ラベル 秩鉄1000系電車 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 秩鉄1000系電車 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2024年12月10日火曜日

【秩父鉄道2011年】1002編成に出会った小春日和の日の思い出

熊谷から1003編成に乗って下車した

■印象に残った小春日和の日のこと
それなりに長く同じ路線を訪問していると、とても強く印象に残ったできごとがいくつもあるようになるはずだ。筆者にとっては一時期非常にひんぱんに通った秩父鉄道沿線にいくつもの思い出がある。たとえば、2009年11月中旬の大雨の日のことは忘れられない。夕方になって太陽が出てきて、非常に印象的な夕焼けになったからだ。

今回は2011年のやはり11月中旬の日に北武区間(羽生〜熊谷の旧北武鉄道が開通を意図した区間)を訪問した日のことを書く。

2024年3月25日月曜日

【Nikon1シリーズ】なつかしいNikon 1シリーズのこと

Nikon 1 V1+1 NIKKOR 18.5mm f/1.8 2013年10月

■キミはNikon 1シリーズを覚えているか
かつて、いまのZシリーズミラーレスカメラをニコンが発売するまえの2011年から2018年にかけて、Nikon 1シリーズというレンス交換式シリーズカメラがあった。2011年9月21日に報道発表がなされてV1とJ1の発売が予告されて始まった。

センサーサイズは13.2mm×8.8mm。フォーサーズ・マイクロフォーサーズの4/3型(約17.3mm×13mm)よりひとまわり小さい。けれども1型(1インチ)センサーよりはやや大きい「CXフォーマット」センサーを積み新設計の「Nikon 1マウント」を用いるカメラだ。

2023年5月1日月曜日

【デジタル写真のお話】Adobe Lightroom & Camera RawのAI「ノイズ除去」を試してみた

2012年8月 D2X ISO800

■Adobe LightroomとCamera RawのAI新機能「ノイズ除去」とは
今年4月のAdobeの大型アップデートにより、LightroomとPhotoshopのCamera Rawにおいて、いくつかのAIを用いた新機能が追加された。筆者の興味を引き、界隈で話題になっているのは従来よりも強力な「ノイズ除去」機能が搭載されたこと。

これはRAW形式ファイルで撮影されたデジタルカメラの画像に、従来よりも強力にかつ適切にノイズ除去処理を行うもの。RAWデータにのみ使用できる。ねんのために書いておくが、それはつまり、JPEG形式ファイルでは使うことができないという意味だ。JPEG形式ファイルとはRAWからホワイトバランス、露出、ノイズ除去処理をし終わったあとの完成品だから。

Adobe Webサイトに開発の裏話もあるので参照されたい。膨大な実写サンプルをコンピューターに学習させて実現したのだそうだ。

2022年6月22日水曜日

【秩父鉄道いまむかし】急行『秩父路』用300系電車のタブレット保護棒と保護板と100形電車の中央の運転台、そして武州中川駅と武州日野駅の進行方向

1985年10月1日撮影の300系電車デハ302号(下り三峰口方)
このころの写真では上り熊谷方デハ301号の助手席側のみ保護板がない

■300系電車の運転室次位の窓にある保護棒と保護板のこと
先日Twitterで話題にもしたが、秩父鉄道の有料急行『秩父路』号に1992(平成4)年まで使われていた300系電車のうち、両端の制御電動車デハ300形の奇数偶数の両車の運転室次位の客室窓には、二本の保護棒が渡されその上には保護板が設けられていた。過去に投稿した写真にも写っている。ただし、熊谷方のデハ301の助手席側の保護板は1985(昭和60)年の写真では取り外されている。

2021年10月9日土曜日

【秩父鉄道2009〜2012】1000系電車1007編成「秩鉄リバイバルカラー」(チョコバナナ)のいたころを思い出しながら、鉄道写真でスナップショットを撮りたいのだと考える夜


■どんな写真を撮りたいのかとずっと考えていた
なかなか撮影に行けないでいる。緊急事態宣言も解除されたし、ワクチンも2回決めてから2ヶ月程度のいまこそ外出のチャンスではあるのだろうけれど。もう少しだけ体調が上向いてくれたらいいのだが。気温が高いとちょっときつい。

そういうわけで、あいかわらず過去に撮りためた写真を見ながらあれこれと、今後撮りたい写真のことを考えている。何度かお目にかけた写真ばかりで恐縮だ。

2021年9月5日日曜日

【写真のお遊び】平成年間に撮った写真から偽昭和風銀塩写真をAdobe Photoshopで作ってみたという話

『ローカル戦士センガタン』は
昭和の戦隊モノへのオマージュだろうから
偽昭和風写真によく似合うかも


■「フィルムの写真」と聞いて連想するものは
以前にも書いたことがあるけれど、いまの30歳台以下のみなさんにとって「フィルムカメラで撮った写真」(≒ 銀塩写真*。以下「フィルム写真」と略)というと、大多数のみなさんが連想するのは黄色や緑の色被りがあり、コントラストが低くフィルムの粒子が目立つような褪色したカラーネガフィルムからのプリントのようだ。さらに、フレアとゴーストが入ってハイキーにしてあればなおそれっぽいのだろう。

期限切れフィルムや輸入フィルムでわざと色被りをさせて粒子が目立つ写真を「フィルム写真らしい」という理由で好む方が一定以上いることに、SNSを見るたびに気づかされる。SIGMA fpのカラーモードにある「ティールアンドオレンジ」、各社カメラにあるブリーチバイパス(銀残し)ふうの絵作り設定、あるいはブラックミストフィルターなども、こうしたレトロでフィルムらしさを表現するツールなのだろう。

2020年7月20日月曜日

【秩父鉄道1000系電車撮影記事】秩父鉄道1000系1009編成「国電リバイバルカラーうぐいす色・関西本線タイプ」を思い出しながら

こうやって撮ると旧型国電みたい。大船工場の入換動車にも似てる

■関西本線といえば……秩父にもかつていた
関西本線(大和路線)の201系電車の写真を見て「亀の瀬あたりで201系を撮ってみたい。さらにいえば、数年前まで奈良の103系電車が大阪環状線に乗り入れていたのだから、そのころに見てみたかった」などと考えていて、さらに関西本線を走っていた101系電車はうぐいす色で正面は山吹色の警戒色が入れられていたということまで書いておいて、数日経ってからようやく思い出したことがある。

2020年5月22日金曜日

【2012年8月、秩父鉄道1000系撮影記事】日暮れどきの秩父に通っていたころ その2


■二日連続で夕方の秩父に行った
2012年と2013年のとくに夏に秩父鉄道沿線に通っていたと昨日のエントリーでも書いた。とくに2012年8月末には連日秩父に通っていた日があった。このころからすでに「ひつこいカメラのおっちゃん」の萌芽はあったというべきか。好きだった1000系電車の廃車時期が迫っていたからという理由だけではなくて、ねらいたい絵が確実に撮れるという感触があったのだろう。日々の暮らしに退屈していたというのもありそうだ。

2020年5月21日木曜日

【2012年8月、秩父鉄道1000系撮影記事】日暮れどきの秩父に通っていたころ その1


■夏の夜が好きなのかも
2012年と2013年の夏は秩父鉄道沿線に日没後に出かけていた。昼間の暑さが和らぐからという理由だけではなく、夏の夜の雰囲気が好きだからだろう。夏至よりも日没が早くはなっていてもそれでも夕方になっても明るい。

もちろん、そのころは好きだった1000系電車が最後の活躍を見せていたからという理由もある。そのうち、2012年の夏の終わりの日のことを書こうと思う。

2020年5月18日月曜日

【秩父鉄道2011年11月】新郷から武州荒木を歩きながら1007編成チョコバナナと「余白」を撮ろうとした日


■何度かお見せした写真なのですが
いずれも以前のブログでお見せしていたし、本の原稿でも使ったものです。このブログにアップした気がしていたのに、管理人自らが見つけ出せない……なんだそりゃ。そこで、いささか申し訳ないのですが……あらためて公開いたします。

■秩父鉄道新郷〜武州荒木のこと
父鉄道秩父本線のうち、北武鉄道が開業させた羽生〜熊谷の区間で、羽生市と行田市の境界あたりを走る新郷〜武州荒木と武州荒木〜東行田には、市街化調整区域なのだろうか、農地が広がっている一帯がある。駅周辺に住宅がある程度で、駅間には高い建物もないので、開けている感じが好ましい。武州荒木駅前の使われなくなった農業倉庫は近年解体され、そばにあった大きな木も伐採されてしまったとはいえ、少なくとも1990年代からはあまりようすが大きくは変わらない。秩父鉄道のイベント列車や東武鉄道の回送列車が走ると、その姿をおさめようとする撮影者が集結する。秩父鉄道や東武鉄道が好きなひとたちには「養豚場」としてよく知られた場所だ。いろいろなミュージックビデオのロケ地にも使われているようだ。都内からも遠くないのに、開けている雰囲気で撮ることができる数少ない場所かもしれない。

2020年5月1日金曜日

【秩父鉄道2013年5月】オレンジバーミリオンIIと三峰口の夜


■あれはたしか2013年5月のこと
5月も終わりごろの曇り空の日のこと。おそらく高崎線沿線に用事があったその帰り道に秩父鉄道に立ち寄った……などと書くと気まぐれに立ち寄ったように見える。その日のことは正直にいうと写真を見るまではあまりよくおぼえていなかった。ハードディスクにあった写真は秩父鉄道の北武区間の交換駅から始まる。時刻は17時半頃だ。日が長い季節でまだ明るい。

2020年4月26日日曜日

【秩父鉄道2010年3月】たそがれどきの1007編成「チョコバナナ」


■日が沈むころになると元気が出る
こ最近は作業のあいまにハードディスク内にある過去の写真を整理しているとは以前も書いた。そうしたおりに2010年3月6日のダイヤ改正の日に訪問した秩父鉄道の写真が出てきた。この日はどんよりとした曇り空だった。朝から夜暗くなるまで沿線に貼りついていて、数を減らしつつあった1000系電車も場所を移動しながらあれこれと写していた。お見せするのは日没のころに撮ったものだ。

2019年4月30日火曜日

【秩父鉄道1000系電車】秩鉄1002編成「リバイバルカラー・デハ100形タイプ」を思い出しながら

2011年4月(再掲載)

■平成の御代の終わりに
直いうと私自身は元号が変わることをあまり強く意識していなかったけれど、平成年間が終わろうかという日にどういうわけか、かつて走っていた秩父鉄道1000系電車という「平成年間に最後に活躍した昭和の電車」のうち、2009年春に「リバイバルカラー・デハ100形タイプ」塗装になった1002編成のことをなつかしく思い出している。おそらくは、西武赤電復刻塗装と切妻形の西武571系電車からの連想にちがいない。

とはいえ、1980年代なかばまでの秩父鉄道のツートンカラーは「小豆色とはだ色」で、西武鉄道のかつての赤い電車の塗装である「ディープラズベリーとベージュ」とはことなる。むしろ、東武鉄道の特急・急行色である「ロイヤルマルーンとベージュ」に近い。東武のマルーンのほうがやや赤みが強いだろうか。似ているのだけど、その微妙な差については確信を持って語りにくい。色に関する記憶というのはあてにならないから。

2019年2月19日火曜日

【秩父鉄道2014年2月】平成26年豪雪の頃


平成26年(2014年)2月の豪雪からちょうど5年が経った、ということをふと思い出した。2014年2月14日に10年に一度というほどの積雪があり、首都圏でも数十センチ、奥多摩や秩父では1メートルほどの積雪があり、しかも数回にわたって降り続け、秩父市では自衛隊への出動要請がなされ、秩父鉄道が不通になったあの大雪だ。

2018年5月10日木曜日

【2011年9月】武州荒木にて、チョコバナナ1007編成を見る


■季節の美しい移ろいを見ながら
 少し前までだいぶ淡かった木々の緑も日毎に濃くなっていく。空が青いとその緑がよく映える。そして、日の入りもどんどん遅くなりつつある。窓の外を見るたびに、こうした美しい季節の移ろいをもっと味わいたくて、しばし落ち込む。Topical steroid withdrawal syndrome(以下、TSWSと略)(アメリカ人が最近いうところのRed Skin Syndrome)を耐えるために自宅にいるからさ。もう少し症状が落ち着けば、見た目が悪くても外出するのだけどなあ。どうも安定しないと、いろいろ落ち着いてものを考えにくい。

 そこで、あいまに過去フォルダをさぐって、以前のTSWSのときに「リハビリ鉄」をしていたころの写真などを眺めている。そういう理由から、旧ブログから移行していない2011年9月の記事をふたたび加筆訂正してお目にかけたい。秩父鉄道1000系電車(それもチョコバナナ塗装)をふと見たくなったことと、この日は空が真っ青だったことをよく覚えているからだ。

2017年6月17日土曜日

【1980年代国鉄101系電車】「シーサイドライナーヨコスカ」のこと

もともと武蔵野線を走っていた101系1000番台車なので、
方向幕が武蔵野線の「府中本町-南越谷」なのがご愛嬌。
この「府中」と「越谷」だけが大きい「府中本町 - 南越谷」という行先表示も懐かしい

■「シーサイドライナーヨコスカ」をキミは知っているか
鉄分割民営化からJR移行の直後にかけて、各地の国鉄およびJR工場や車両基地ではさかんに一般公開が行われていた。多くは、施設や古い車両を見せてくれるものだったけど、なかには「これから行う予定の新サービス」を先行公開するものもあった。

1986年8月の国鉄大船工場(当時)の一般公開でよく覚えているのは、武蔵野線用にA基準に難燃化改造された101系電車1000番台車のクモハ101-1015+クモハ100-1015が斬新な色に塗られて「シーサイドライナーヨコスカ」のヘッドマークをつけていたことだ。

2017年4月9日日曜日

【秩父鉄道1000系電車記事】桜の季節に1000系電車を思い出しつつ


■ソメイヨシノと秩父鉄道1000系電車の思い出
東京周辺のソメイヨシノの盛りはこの週末がピークで、雨と風で週明けにはどんどん散っていくはずだ。おもえば1週間ほど遅かったことになる。もう少し標高の高い秩父周辺は次の週末に見頃だろうか。

先日、熊谷市内の秩父鉄道沿線の荒川桜堤の駅に通い、さらに下り方向に電車に乗っていて、そういえばと思い出した。1000系電車(旧国鉄・JR東日本101系電車)が秩父鉄道から引退して3年経つ。思えばあっという間だった。そして、あれだけ好きだったのにソメイヨシノとともに撮ったカットは引退間近になるまでそう多くはないのだ。

2016年11月7日月曜日

【秩父鉄道2010年1月】日没後に秩鉄リバイバルカラー1002編成を待ち構えて


■薄緑の内装と青い座席の電車
先日、少し古い映画を見ていた。すると登場人物が通勤電車に乗るシーンがあり、薄緑色の内装と青い座席、ドアコック表示があって、硬いコイルばね台車が車体を揺らすのを見ていて、そういえばこういう電車が昭和の通勤電車の典型だったし、もはや地方都市の限られた路線でしか見られないのだな、と改めて思っていた。

2016年10月21日金曜日

【秩父鉄道2011年10月】1007編成チョコバナナに出会う


■2011年10月のこと
なかなか趣味の撮影に行けないでいるあいだに、秋は深まりつつある。朝晩の気温の低さに秋を体感しつつも、デスクワークをしているのはいささかもどかしい。そんな作業の合間にハードディスク内で写真を探していて、2011年秋の写真を見つけた。旧ブログではこのときのことを記事にしていたものの、いまのブログではそれを再構成してはいなかった。そのために、ひさしぶりに自分でなんだかしんみりしながら見入ってしまったのは、もちろん秋めいてきた空のせいか。「もう5年も前なのか」とすなおに驚かされる。

2015年11月23日月曜日

【秩父鉄道2014年春】ポジフィルムで振り返る2014年3月21日「さよなら1003F貸切り&撮影会ツアー」


■前年の「さよなら1003F貸切り&撮影会ツアー」はポジでも撮っていた
秩父路より1000系電車(元国鉄→JR東日本101系電車)が姿を消して、はや1年半を過ぎた。最後に残った1003編成「オレンジバーミリオンII」がさよなら運転を行ったのは2014年3月末のこと。よく晴れた3連休の日だった。