2021年9月30日木曜日

【鶴見線2012】冬の鶴見線海芝浦支線にて


■どうして鶴見線に行ったのか
古い写真をあれこれと見ていて……最近はそればかりだ。感傷に浸るのが目的ではなく、忘れていたような古い写真をきちんと見返して「今後の撮影ではここをこうしたい」と反省材料にしているつもり。それと、2021年9月末現在の自分の好みのRAW現像の手法で現像し直すと過去の写真がどう見えるか、という興味もある。

とにかく、2012年2月に友人たちと鶴見線に出かけたときの写真を見つけた。旧ブログには記事にしていたのにそれを引き継がないでいて、その存在を忘れていたのだ。

このときなぜ鶴見線に出かけることになったのかはいまでは思い出せない。当時の私は療養中だったし、外出やウォーキングを推奨されてもいたので、友人たちが声をかけて連れ出してくれたのだろう。ありがたいことだ。そこで、当時の記事を加筆しながらお目にかけたい。記事はいずれも2012年2月時点のものだ。

2021年9月24日金曜日

【秩父鉄道5000系】秩鉄5000系電車のことをあれこれ思い出す日々


■元都営地下鉄6000形である秩鉄5000系電車を思い出した
秋雨が少々落ちつき好天の日が続いている。まだ台風シーズンは終わってはいないだろうから、警戒を緩めてはいけないだろうが。だいぶ日も短くなり、秋の虫の声も聞こえるようになり、秋の訪れをいやおうなしに感じさせる。もう9月も終わりだものね。

2021年9月20日月曜日

【1990年7月】青梅線のEF64形1000番代牽引石灰石輸送列車いきあたりばったり撮影記


■石灰石輸送列車ももちろん撮った
1990(平成2)年7月に青梅線の列車撮影に行ったときに撮ったTri-X(コダックのモノクロネガフィルム)には、EF64形電気機関車1000番代が牽引する石灰石輸送列車の姿もとらえられていた。なぜ青梅線を訪問したのかという理由はもう覚えてはいない。

おそらくは、自宅から近いわりに山間を走る列車の雰囲気を楽しむことができて、同時に貨物列車も走っているからという理由で青梅線に決めたはずだ。だから、石灰石輸送列車を撮ることも訪問目的の大きな理由だったはず。

2021年9月18日土曜日

【1990年7月】青梅線「103系の沼」をかいま見る その2(高運転台車編)

クハ103ATC対応車の次に写っているのは
モハ72-970番代から改造されたサハ103-3000番代車じゃんか

ATC対応高運転台のクハ103が青梅線にいるなんて
1990(平成2)年7月の夏休みに青梅線の列車を撮りにでかけたときの話の続きだ。そのときに最も強く感じたのは、青梅線にも103系ATC対応高運転台車で冷房車のクハ103がずいぶん増えたなあということ。

京浜東北線および山手線用に製造された車両で製造数も多かったものの、その両線および横浜線と新規開業して間がない埼京線で用いられていた。それが、205系電車に置き換えられた。まだ車齢が新しいことからATC装置を下ろして青梅線・五日市線用に転属してきた。

それまでの青梅線の103系は初期に製造された低運転台・非冷房車がおもだった。この高運転台で冷房車であり、ユニット窓のクハ103形にはどうしても「京浜東北線および山手線用の電車」という印象が強くあり、青梅線で見るとじつに不思議な感じがした。

2021年9月16日木曜日

【1990年7月】青梅線「103系の沼」をかいま見る その1(低運転台車編)

有名な白丸駅下り方のトンネル
自分もモノクロフィルムでこれを撮ってみたかった


■ネガを見つけ出してフル解像度で再スキャンした
先日のリコーフレックスVIIで撮った青梅線のカラーポジのエントリーを書いたあとに、その文中でも触れた1990(平成2)年7月にモノクロームフィルムであるTri-Xで列車主体に撮影したネガを見つけた。以前にもなんどかお見せしたことのある写真が含まれている。だが、それらは当時のパソコンが非力であったために、600万画素相当(3,000×2,000ピクセル)程度でスキャンしていた。

いまも手元のパソコンは非力ではあるが複数台あり、「フィルムスキャナー専用機」を用意しているから、フィルムスキャンのあいだにパソコンが占有されても困らないよう、以前よりは自分のハードウェアの環境は改善されている。そこで、ネガがより傷んでしまうまえにあらためてNikon SUPER COOLSCAN 4000 ED(LS-4000ED)の約2,280万画素のフル画素(5,782×3,946ピクセル)でスキャンすることにした。Photoshopでの画像処理もむかしより経験を積んで、そう気が重くはなくなったしね。

そうしてネガスキャンした写真を見ていて、1990年の少年だった私には気づいていないことが、2021年の中年の私に見えてきた。それは、90年代の青梅線103系電車はバリエーション豊富で奥が深いということ。これは……沼だ。あえていおう、沼であると!

2021年9月11日土曜日

【1991年8月】二眼レフのリコーフレックスVIIで青梅線のEF64形1000番代を撮った話


■二眼レフで撮っていた青梅線を行くEF64形1000番代
1990年代に大学生になったころ、なんとなく鉄道を撮るのをやめてしまったとは何回もここで書いている。でも、そのころにもレジャーで出かけた先でときには列車を撮ってはいたから、鉄道への興味が完全に失せたわけではなかった。外出するにも未踏の鉄道路線に乗るのを楽しく思っていたし。

旧ブログでもお目にかけたことがある画像をまた見つけた。レタッチをし直してご覧に入れたい。1991(平成3)年8月にJR青梅線沿線に出かけた際に見かけた、EF64形1000番代が先頭に立つ石灰石輸送列車の姿だ。たしか奥多摩町の民宿に一泊したはずで、その往路で奥多摩駅で撮った。

2021年9月9日木曜日

【西武狭山線】西武園ゆうえんち「大火祭り」の打ち上げ花火と狭山線の列車を比較明合成を使って撮った話


■遊園地の花火をいつも心待ちにしている
西武鉄道沿線在住歴が長いせいか、夏休み期間には遊園地の打ち上げ花火が身近に感じられる環境にさいわいいたためだろうか、夏になると遊園地の花火をいつも楽しみに心待ちにしていた。筆者は小学生から大学生になるころには東京23区内に在住していて、としまえんの花火を自宅から見ることができた。埼玉県内に転居してからも、週末の西武園ゆうえんちの花火を自宅窓から見ることができる家にたまたま住んでいた。意図してそういう場所に住んだわけではないけれどね。

どちらも遊園地自体からは距離が離れていたので、ときには遊園地やその近辺に出かけて花火を見た。そういう楽しい思い出があるせいか、どこかの花火大会にたまたま出くわすことがあると、いまでもうれしくなる。

昨今のあれのために、各地の花火大会は見物客が密集しないように軒並み中止になっていて、とても残念だった。また、としまえんはなくなり、西武園ゆうえんちもいつからか花火の打ち上げをやめていて、さらにリニューアルのために休園していた。残念ながらここ数年は花火から縁遠くなっているなあ、と思っていた。そこへリニューアルが終わりグランドオープンした西武園ゆうえんちでは7月15日から9月5日まで「大火祭り」と称して、花火を毎日打ち上げると発表があったときには、思わず歓声をあげた。

2021年9月5日日曜日

【写真のお遊び】平成年間に撮った写真から偽昭和風銀塩写真をAdobe Photoshopで作ってみたという話

『ローカル戦士センガタン』は
昭和の戦隊モノへのオマージュだろうから
偽昭和風写真によく似合うかも


■「フィルムの写真」と聞いて連想するものは
以前にも書いたことがあるけれど、いまの30歳台以下のみなさんにとって「フィルムカメラで撮った写真」(≒ 銀塩写真*。以下「フィルム写真」と略)というと、大多数のみなさんが連想するのは黄色や緑の色被りがあり、コントラストが低くフィルムの粒子が目立つような褪色したカラーネガフィルムからのプリントのようだ。さらに、フレアとゴーストが入ってハイキーにしてあればなおそれっぽいのだろう。

期限切れフィルムや輸入フィルムでわざと色被りをさせて粒子が目立つ写真を「フィルム写真らしい」という理由で好む方が一定以上いることに、SNSを見るたびに気づかされる。SIGMA fpのカラーモードにある「ティールアンドオレンジ」、各社カメラにあるブリーチバイパス(銀残し)ふうの絵作り設定、あるいはブラックミストフィルターなども、こうしたレトロでフィルムらしさを表現するツールなのだろう。

2021年9月1日水曜日

「夏の思い出作り」についてあれこれと思う


■8月もあっというまに終わり
梅雨明けのころはあれほど楽しみにしていた夏ももう終わりなのだろう。日の出の時間が遅くなり、日の入りが早くなってきた。朝晩の気温が少しずつ低くなり、セミの声ではなく秋の虫たちの声があたりに響く。今年の東京首都圏では、8月に一日中晴れた日はせいぜい一週間程度しかなかったようだ。写真好きのみなさんが望むような「夏らしい青い空の日」は数えるほどしかなかったのではないか。