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2023年7月26日水曜日

【西武池袋線1980年代】「西武倉庫」から見た西武池袋線の列車

急行飯能行き。
101系6両固定編成の上り池袋方に新101系2両編成が連結されている

■「西武市場駅」跡について
『NEKO MOOK 写真で見る西武鉄道100年』(ネコ・パブリッシング 2013年)によると、西武池袋線東長崎〜江古田にはかつて「西武市場(せいぶしじょう)」駅という貨物駅が存在したそうだ。いまの住所表記でいうと、練馬区旭丘1丁目22-13。練馬総合病院の隣の線路沿いの場所だ。

1945年(昭和20年)に長江(ながえ)駅という名前で開業したのだそうだ。「東長崎」と「江古田」のあいだにあるから「長江」だったのだろう。井草と荻窪のあいだに「井荻」、あるいは国分寺と立川のあいだだから「国立」など、西武鉄道(旧国土計画)が開発した土地ではよくある命名法だ。

2022年6月22日水曜日

【秩父鉄道いまむかし】急行『秩父路』用300系電車のタブレット保護棒と保護板と100形電車の中央の運転台、そして武州中川駅と武州日野駅の進行方向

1985年10月1日撮影の300系電車デハ302号(下り三峰口方)
このころの写真では上り熊谷方デハ301号の助手席側のみ保護板がない

■300系電車の運転室次位の窓にある保護棒と保護板のこと
先日Twitterで話題にもしたが、秩父鉄道の有料急行『秩父路』号に1992(平成4)年まで使われていた300系電車のうち、両端の制御電動車デハ300形の奇数偶数の両車の運転室次位の客室窓には、二本の保護棒が渡されその上には保護板が設けられていた。過去に投稿した写真にも写っている。ただし、熊谷方のデハ301の助手席側の保護板は1985(昭和60)年の写真では取り外されている。

2020年3月1日日曜日

【秩父鉄道1980年代】国鉄民営化のころの秩父鉄道乗り入れ列車『みつみね』号と秩鉄貨物列車

秩父鉄道乗り入れ国鉄115系電車『みつみね』号サボ(1985年8月)

秩父鉄道乗り入れ115系電車『みつみね』号、御花畑(1985年8月)

■フィルムスキャナーの設定を変えて……ブログの誤記に気づいた
フィルムスキャナーのNikon SUPER COOLSCAN 4000EDを私はまだ温存している。先日、ひさしぶりにこれの接続環境を変えた。そのあとの試運転で退色したカラーネガフィルムをスキャンした。以前にもお見せしたことのある「秩父鉄道に『みつみね』号として乗りれてきた国鉄115系電車」の写真だ。以前よりも入力解像度を上げた。

2019年8月19日月曜日

【伊豆箱根鉄道1980年代】赤電塗装の元国電17メートル車を見たくて


【おことわりとおわび】
※写真はいずれも旧ブログに掲載していたものの再掲載です。旧記事を復活させるのではなく、レタッチをやり直して新たに記事を起こしました。旧記事にいただいたコメントなどは反映できておりません。コメントをいただいたみなさんにはおわび申し上げます。

■店頭で「発作」を起こした
日のこと。用事があって出かけた「時の鐘と蔵の街」の駅ビル内のポポ…デッ…中古鉄コレ……西武371系クモハ377……KATOワラ1……ここで、筆者の身にはなぞの時間と記憶、そしていくばくかの金銭の消失が生じて……UFOと遭遇したのか。Xファイルか。おかしいな、ルパンを追っててとんでもないものを見つけてしまったあ、どうしよう。

2019年4月12日金曜日

【西武多摩川線1980年代】西武多摩川線と571系電車

4連組成時には武蔵境方先頭に来るらしいクモハ575(多磨墓地前)

■551系電車の一員として
日のエントリーの続編だ。同じネガにあった西武多摩湖線を走る571系電車をお目にかけよう。多磨墓地前駅(いまの多磨駅)のホームに停まっているところ以外の写真は再掲載なのは申し訳ない。

この西武571系は、551系電車の一員ながらも、501系電車(二代目)を6両編成化するために1962(昭和37)年に作られた。501系とは、西武所沢車輌工場(当時は復興社)で戦後初めてオリジナル設計・製造された湘南型デザインの電車のうち、車体長17メートルの電動車でのちに改称されて411形(初代)→351系電車となるグループをのぞいた、1957(昭和32)年製の車体長20メートルの電車だ。定格出力130kwの強力な主電動機を用いていて、当時の西武鉄道ではもっとも出力に余裕ある電車とされていた。

2019年4月11日木曜日

【西武多摩川線1980年代】西武多摩川線の551系電車のこと

クモハ556(4連運用時には下り方向の是政方先頭に立つ)

■覚えていないことがたくさんある
づけハードディスクのなかを漁っていて、10年ほど前にスキャンしたままどこにしまったか忘れていた写真を見つけた。おそらく1987(昭和62)年3月末か4月(学校の春休み期間)に西武多摩川線を訪ねて写した西武551系電車の写真だ。

ネガはまだ持っているし、フィルムスキャナも稼働できるようにOSをアップデートさせないでいるMac miniもあるけれど、10年ほど前にスキャンした際にもすでに退色が始まっていたネガであり、かつフィルムスキャナの調子がいまひとつでもあり、なつかしくはあっても中学生のころのへたくそな写真でもあるから、いまさらあらためてスキャンする気が起きないでいた。もちろん、怠惰なだけだ。フィルムの劣化をあらためて目にするのが少々恐ろしくもある。

2018年4月2日月曜日

【西武多摩湖線1986年】西武351系電車355編成のこと

西武351系電車355編成(1986年4月、以下同じ)

■萩山を通るたびに思い出すのは
小平で西武拝島線の列車に乗り換えて萩山に着くと、いまでもつい気にしてしまうのは1番線にいる多摩湖線の電車のこと。「今日はなにが停まっているかなあ」と思って1番線を観察する。それはもちろん、私のヲタ気質のなせるわざによる。というのも、多摩湖線には私の子どものころから中年真っ盛りのいまになっても、たいていは本線系統では見られなくなったやや古い電車が、代替わりしながら用いられているからだ。

2017年6月5日月曜日

【1980年代西武鉄道】上信電鉄クモハ103-クハ103解体の報を聞き

おそらく1985年(詳細不明)。小手指車両基地にてクモハ472ほか

■上信電鉄100形103編成が解体される
上信電鉄高崎駅構内にながらく留置されていた100形電車(元西武451系電車)クモハ103-クハ103編成の解体が始まった、というしらせをTwitterで聞いた。構内の移動と陸送の準備に数日かけていたようなので、そのようすを見に行くことはできなくもなかったけれど、やめてしまった。

2015年1月10日土曜日

【西武鉄道1980年代】1986年8月、西武秩父線の主役たちと秩鉄クハニ23号

E851(851号機)、横瀬

■1986年の西武秩父線
さて、先日のエントリーでは1986年8月に秩父鉄道300系電車を見たこと、そしてその際に秩父鉄道線内で乗った電車が国鉄から乗り入れてきた115系電車の上野発の臨時列車『みつみね』号だっということをお話しした。ちなみに、どうして『みつみね』号とわかるかというのも簡単だ。ヘッドマークこそ掲出されていなかったが、側面サボにそうあった。そして、当時の私はそれを写してもいるのだ。ただし、そのカットは超露出アンダーのカットなのでお目にかけるのがはばかれるのが申し訳ない。

そして、行き帰りの西武線内で写真を撮ったことも書いたのだから、改めてそれをごらんに入れるべきだろう。

2015年1月9日金曜日

【秩父鉄道1980年代】1985年8月、影森にて300系電車を見る


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国鉄115系1000番台「みつみね」号(御花畑)

■秩鉄6000系電車のリバイバルカラーを見て思い出したのは
さて、年始に武甲山の麓の駅で秩父鉄道6000系電車6003編成急行リバイバルカラーの急行「開運」号を見たとき、私の記憶の奥底にある映像が脳裏に甦るのを感じた。それは、いまをさかのぼること30年前。1985(昭和60)年8月に家族とレジャーで浦山鍾乳洞に出かけた際に見た、300系電車の姿だった。

2014年4月13日日曜日

【秩父鉄道1980年代】急行「秩父路」用300系電車のこと その2

デハ302。旧塗装期の末期

【はじめに】秩父鉄道300系電車について。第2回目は300系電車の細部についてお話しする。なお、写真は特記のない限り1985(昭和60)年10月1日撮影。

■ディテール解説
主電動機は三菱電機製のMB-3032-A形(75KW)で、小田急2220形や長電2000系と同じ。音色をはっきりは覚えていないが、YouTubeで動画を見ることができるので、知りたいという方はアクセスされたい。初期の新性能電車らしい静かな音がする。制御装置はABF-108-15 EDCH形で、同番号のものは京急1000系や長電2000系にも用いられている。ブレーキは三菱電機AR-D(発電ブレーキ併用自動空気ブレーキ)型。昭和30年代の私鉄形の高性能車の典型のような組み合わせなのだろう。

2014年4月12日土曜日

【秩父鉄道1980年代】急行「秩父路」用300系電車のこと その1

1985年10月1日、三峰口にて301編成

【はじめに】かつて秩父鉄道で急行『秩父路』号にもちいられていた300系電車について数回にわけてお話ししていく。第1回目はこの300系電車の概要について。

留置線に引き上げた301編成。800系電車も懐かしい

■秩父鉄道初の新性能ロマンスカー
秩父鉄道300系電車は1959(昭和34)年に日本車輌東京支社で製造された。車体長20メートル、幅2.8メートルの大型車体に2扉セミクロスシートというデザインで、秩父鉄道初のカルダン駆動と発電ブレーキを備えた新性能ロマンスカーだった。

2014年4月1日火曜日

【国鉄・JR1980年代】鶴見線クモハ12052&053のこと

夕方の大川行き、武蔵白石

■昭和の終わりから平成はじめのころの鶴見線
前日のエントリーで国鉄大船工場(当時、そしてそれ以前は国鉄中原電車区)にいたクモハ12013のことを書いたので、今日は鶴見線に所属していたかの有名なクモハ12052、053のことを書こう。以前のブログでお見せした程度の絵しかないが、ご容赦いただきたい。1985(昭和60)年末から平成にかけての姿だ。

2014年3月25日火曜日

【国鉄・JR東日本101系1980年代】民営化のころの101系電車

1986年10月中野(中央緩行線、クモハ100-191)

鶴見線や南武支線以外にも、国鉄→JR東日本101系電車の写真を少しだけ撮ったことがある。中学生のころで、中央緩行線にも原型ライトの車両が民営化直後まで存在した。南武線にもたしかわずかに残っていたはずだ。いずれも旧ブログで掲載したものを再掲載する。旧ブログにアクセスしないで見てみたいからね。

2014年1月13日月曜日

【西武鉄道1980年代】デビュー当時の3000系

ツートンカラーでスカートのない登場時の姿

■登場直後の西武3000系電車
さて、先日は1986年春の西武池袋線江古田駅付近を走る101系電車の様子をお目にかけた。この日はそのエントリーでも書いた通り、デビュー間もない3000系電車を見に行くのが主目的だった。

2014年1月11日土曜日

【西武鉄道1980年代】1986年の新101系と5000系レッドアロー

ヘロヘロの柵と自動車も昭和っぽい

■昭和61年春の西武新101系電車と5000系電車
さて、昨日は1986年春の西武池袋線江古田駅周辺を行き来する101系初期車の様子をご覧に入れた。今日は新101系と5000系レッドアローをお目にかけようと思う。つい最近まで池袋線で見られたのに、いまでは多摩湖線か多摩川線、あるいは譲渡先の私鉄に行かないと新101系が見られないということは、いまでもまだ容易には信じがたい気がする。

2014年1月10日金曜日

【西武鉄道1980年代】池袋線の101系初期車

分散クーラーの冷房試作車の唯一の写真

■フィルムスキャナのドライバソフトのためにOSアップデートをやめた
私の自宅のメインマシンである林檎計算機のOSアップデートをやめた。というのも、PowerPC系ソフトがまだ残っているから。最新OSではPowerPC系ソフトを動かすことができない。私にとって重要なもののひとつにフィルムスキャナのドライバがある。もはや数世代前のOSからサポート対象外であり、いささか挙動が怪しいことがあるものの、最近またなんとか動くようになった。

2013年12月5日木曜日

【1980年代末の秩父鉄道】秩父100形電車のこと


コニカFP・ヘキサノン52ミリ(1985年8月)

■秩父になにかと縁があって秩鉄に惚れた
年時代を振り返ると、いまの自分の「秩父鉄道趣味」をかたちづくった理由のひとつに、なにかと家族を秩父へ遊びに出かけた機会が多かったことがあげられるだろう。自家用車を所有しない家で育ち、それが西武沿線在住であれば、秩父は当時おそらく西武鉄道が旅客誘致に力を入れていた観光地でもあったし、電車一本で行けるわりに変化のある、行きやすい観光地だったからでもあるだろう。

2011年4月9日土曜日

【東武東上線記事】東武東上線が新鮮だ(その2)

1986年4月、秩父鉄道上長瀞

■東武東上線は「近くて遠いお隣さん」
私にとって東武東上線が「近くて遠いお隣」という存在になったのは鉄道に興味を持ちはじめた小学生のころからだ。西武池袋線沿線に住んでいて、自転車でちょっと行けば東上線に出ることはできた。大山のGREENMAXまで動力ユニットを買いに行ったからね。

ふだんから池袋で山手線の隣のホームの東武電車をよく見ていたし、家族で秩父へ観光で出かけると秩父鉄道線内で停泊中の8000系電車をよく見ていた。そう、池袋発の直通特急『みつみね』号と『ながとろ』号だ。『みつみね』号は三峰口に、『ながとろ』号は上長瀞で夕方まで昼寝をしていた。いまの西武鉄道直通4000系電車と同じように、1980年代には秩父線内で間合い運用に入ることはなかった。