2020年5月25日月曜日

【2019年9月、上信電鉄撮影記事】ソビエトレンズで撮る夏の終わりの烏川


■上信電鉄に行きたいな
信電鉄の烏川橋梁が好きでよく行く。2両編成の電車が単線でトコトコと川を渡る姿が好きだし、列車と並行して撮影できる佐野橋のたたずまいがいい。木でできていて増水すると流れるようになっている。数年前にもそうして流出したほか、昨年秋の台風19号でも流されていていまでも工事中のはずだ(2020年9月追記:7月22日に開通しました)。4輪車が渡れない橋なので歩行者と自転車、オートバイしかこないところも、のんびりできて好きだった。この前後の烏川の雰囲気が好きなのだ。

短くまとめると……上信電鉄に行きたいなあ。遊佐未森の『夏草の線路』ごっこをしたいんだな、きっと。

【2015年4月、秩父鉄道撮影記事】Nikon Dfで撮る雨の秩父路 その3


■シダレザクラが好き
2015年4月の秩父鉄道撮影記事の続きだ。今日はこれらの写真を見ながら考えた写真撮影のヒントについて書こうと思う。このときは毎週末いずれも冴えない空模様だったと書いているけれど、列車を情緒的に撮るなら晴れているかいっそのこと雨のほうが絵になる。ただし、記録的に車両の形式写真を撮るなら曇りが向く。いっぽう、花の撮影をおもに行いたいならば、しっとりした雰囲気に写せるのは曇りの日だ。陰影が濃く出ないからね。そして、私はソメイヨシノよりもシダレザクラのほうが好き。このシダレザクラも明るい曇りのほうが絵にしやすいと思う。

2020年5月24日日曜日

【2015年4月、秩父鉄道撮影記事】Nikon Dfで撮る雨の秩父路 その2

AF-S NIKKOR 24-120mm f/4G ED VR(24mm)

■家に帰らず夜遊びをする
2015年4月にNikon Dfを持って毎週末に秩父鉄道の列車を撮っていた話の続きだ。ソメイヨシノがまだ花を残していたころで、その姿を見ていて帰ってしまうのは惜しくなった。朝から雨にぬれながらいると、しばしば集中力が切れてしまうので夜は撮影をしないで帰ってしまうことが多い。でもこのときは、もう少し頑張ろうと思って下り方向の列車に乗った。

【2015年4月、秩父鉄道撮影記事】Nikon Dfで撮る雨の秩父路 その1


■もうすぐ出かけられるようになるのかな
い写真を見返したり、自宅内や周辺の写真を撮っていると、このところ毎回のように書いている。地方私鉄を撮るのにNikon Dfでどんな写真を撮っていたのだっけ……などと考えているから。そうしたなかで2015年4月にNikon Dfで撮った秩父鉄道の写真を見つけた。このときは借りた機材でその成果は拙著Kindle電子書籍『ぼろフォト解決シリーズ060 Nikon Df 脱・初心者マニュアル』『ぼろフォト解決シリーズ037 Nikon Dfで上毛電気鉄道を撮る! しみじみ鉄道写真家・秋山薫編』に収めた。どちらも月額読み放題制のkindle unlimited対応だ。もしよろしければ、ご一読いただけたらうれしい。

今回はそこに収めなかった写真をもとにエントリーを書く。あの年の4月は、春先のサクラが咲くころにはよくあるのだけど、週末ごとに天気が悪かった。上記の本の撮影のために秩父鉄道SLパレオエクスプレスを撮ろうと思ってでかけても、曇りか雨。蒸気機関車の煙は写るけどね。

2020年5月22日金曜日

【2012年8月、秩父鉄道1000系撮影記事】日暮れどきの秩父に通っていたころ その2


■二日連続で夕方の秩父に行った
2012年と2013年のとくに夏に秩父鉄道沿線に通っていたと昨日のエントリーでも書いた。とくに2012年8月末には連日秩父に通っていた日があった。このころからすでに「ひつこいカメラのおっちゃん」の萌芽はあったというべきか。好きだった1000系電車の廃車時期が迫っていたからという理由だけではなくて、ねらいたい絵が確実に撮れるという感触があったのだろう。日々の暮らしに退屈していたというのもありそうだ。

2020年5月21日木曜日

【2012年8月、秩父鉄道1000系撮影記事】日暮れどきの秩父に通っていたころ その1


■夏の夜が好きなのかも
2012年と2013年の夏は秩父鉄道沿線に日没後に出かけていた。昼間の暑さが和らぐからという理由だけではなく、夏の夜の雰囲気が好きだからだろう。夏至よりも日没が早くはなっていてもそれでも夕方になっても明るい。

もちろん、そのころは好きだった1000系電車が最後の活躍を見せていたからという理由もある。そのうち、2012年の夏の終わりの日のことを書こうと思う。

2020年5月19日火曜日

【2018年8月】阪堺電気軌道御陵前から浜寺駅前のこと



■何度もいうけれど……阪堺電車が好きだ
年と一昨年の夏は事情があってそれぞれ2ヶ月ほど大阪・松原市と堺市の境界あたりに長期滞在していて、そのあいまにJR桜井線(万葉まほろば線)と和歌山線JR奈良線、そして阪堺電気軌道(以下、阪堺電車と記す)を撮りに出かけていたとは何度か書いた。桜井線と和歌山線はそのころ置き換え間近の105系電車を見たくて出かけていた。

いっぽう、阪堺電車のほうは滞在先からだと、すぐ目のまえにある大阪府道・奈良県道12号堺大和高田線を5キロほど歩けば花田口停留所がある。すぐ近くを走っていて通いやすく、沿線風景の変化が大きいところが好ましく思えた。もともと、私は路面電車のある町が好きだ。東京都交通局荒川線を幼少のころに見ていたからか。大学生のときに見たモスクワ市電を思い出させるからか。おそらく理由はそのぜんぶ。

2020年5月18日月曜日

【秩父鉄道2011年11月】新郷から武州荒木を歩きながら1007編成チョコバナナと「余白」を撮ろうとした日


■何度かお見せした写真なのですが
いずれも以前のブログでお見せしていたし、本の原稿でも使ったものです。このブログにアップした気がしていたのに、管理人自らが見つけ出せない……なんだそりゃ。そこで、いささか申し訳ないのですが……あらためて公開いたします。

■秩父鉄道新郷〜武州荒木のこと
父鉄道秩父本線のうち、北武鉄道が開業させた羽生〜熊谷の区間で、羽生市と行田市の境界あたりを走る新郷〜武州荒木と武州荒木〜東行田には、市街化調整区域なのだろうか、農地が広がっている一帯がある。駅周辺に住宅がある程度で、駅間には高い建物もないので、開けている感じが好ましい。武州荒木駅前の使われなくなった農業倉庫は近年解体され、そばにあった大きな木も伐採されてしまったとはいえ、少なくとも1990年代からはあまりようすが大きくは変わらない。秩父鉄道のイベント列車や東武鉄道の回送列車が走ると、その姿をおさめようとする撮影者が集結する。秩父鉄道や東武鉄道が好きなひとたちには「養豚場」としてよく知られた場所だ。いろいろなミュージックビデオのロケ地にも使われているようだ。都内からも遠くないのに、開けている雰囲気で撮ることができる数少ない場所かもしれない。

2020年5月6日水曜日

【西武池袋線2010年】「3ドア10両編成」が走っていたころ

2010年12月の年末。平日ダイヤ最終日の朝

■2010年秋から冬の西武池袋線のこと
いま書き出すまえに文章の構成を考えていておどろいて声をあげた。今回は西武池袋線と新宿線を「ほんの少しまえ」まで「3ドア10両編成」の新101系・301系電車が走っていたこと、そのうち通勤のついでにおもに西武池袋線でそれらを撮っていたことを思い出して書こうとしていた。

そうして写真を編集してみたら……EXIFデータによれば撮影したのが2010年だった。「ほんの少しまえ」ではなくもう10年もまえのことだったから。

2020年5月4日月曜日

【秩父鉄道2013年10月】デキ108が走り回った日


■2013年10月の「さよなら1001編成」の日に
ードディスクのなかを整理していて、2013年10月12日に行われた秩父鉄道1000系電車1001編成「国電リバイバルカラー・スカイブルー」のさよなら列車の日に撮った写真を見つけた。このブログではその1001編成スカイブルーが1010編成秩鉄オリジナルカラーと組み合わされて6両編成で熊谷〜三峰口を往復したようすは記事にしているものの、それ以外の写真からは記事にしていなかった。そのためか撮影した本人がすっかり忘れていたけれど、よくよく思い返すとこの日は秩父鉄道「中のひと」のみなさんによるいわば「大サービス列車」がたくさん走った日だったのだ。そのうち、今回はデキ108号について書く。

2020年5月1日金曜日

【秩父鉄道2013年5月】オレンジバーミリオンIIと三峰口の夜


■あれはたしか2013年5月のこと
5月も終わりごろの曇り空の日のこと。おそらく高崎線沿線に用事があったその帰り道に秩父鉄道に立ち寄った……などと書くと気まぐれに立ち寄ったように見える。その日のことは正直にいうと写真を見るまではあまりよくおぼえていなかった。ハードディスクにあった写真は秩父鉄道の北武区間の交換駅から始まる。時刻は17時半頃だ。日が長い季節でまだ明るい。