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2020年8月17日月曜日

【八高線撮影記事】「河岸」を変えて……残暑お見舞い申し上げます

 

■暑い日が続きますね
お盆休み期間も終わった。暑い日が続いているが、みなさんはいかがお過ごしだろうか。ようやく晴れる日が増えたのはとてもありがたい。体が暑さに慣れないけどね。そこで梅雨明けしてからも、お盆であっても筆者はあいかわらず自宅から10キロメートル程度のところにふらりと出かけている。遠出をしなくてもカメラがあれば私はそれなりに楽しい。距離が遠くなくても雰囲気が好きなところを選ぶとか、工夫をすればいいのだもの。

2017年9月16日土曜日

【上信電鉄撮影記事】電車に揺られた日


■けだるい撮影行
なんとなくもの憂い気持ちで午後遅くに「頑張るぐんまの中小私鉄フェア2017」を訪れた日のことだ。本社前の会場でフェア開催記念1日乗車券を買ってから、すでに日が傾きかけているのを承知で上信電鉄の下り電車に乗った。

もし明るければなにか撮ってみようかな、けれどいつもと同じ写真も飽きたし、写真を撮れなくてもまあいいや……そんないいかげんな気持ちだ。高崎にやって来たのは、上州富岡行きのクモハ153-クモハ154のホワイトタイガーだった。

2016年9月18日日曜日

【真岡鐵道撮影記事】「どういう印象」を絵にするか


■雨夜の品定めのように
すっかり9月の長雨にたたられて、ここ最近は雨の写真ばかり量産している。趣味写真ではないものではちょっと困ることがある。晴れた日の写真がどうしてもほしかったら、どこか晴れているところに行かなくてはいけないな。そう思いながら過去の写真を見つつ、どんな写真にしたいか、どんな写真を撮るかどうかのイメージトレーニングをしているわけだ。

さて、このところ何度か真岡鐵道へ行ったのは、正直に言うとC12を撮りたかったというばかりではない。C12と50系客車は理由のひとつでしかないのだ。

2016年8月25日木曜日

【JR両毛線撮影記事】115系電車最後の夏


■いよいよ恐れていた日が来た
JR東日本高崎支社が、高崎地区で運用している115系電車1000番台車と107系電車を8月22日(月曜日)より置き換えることは、すでにWeb上のあちこちで既知のことらしい。高崎支社より9日発表されたプレスリリースによれば、「211系リニューアル車が運行を始めます」とある。私がそれを知ったのは遅まきながらあまのじゃくさんから誘っていただいた上信電鉄JAZZ&ビール列車に乗った20日(土曜日)のこと。いつもおせわになっているおっとっとさんにその話を聞き、「いよいよきたか!」と身を引き締めた。

2016年5月25日水曜日

【JR青梅線撮影記事】隧道と落石避けに胸アツ


■青梅線に乗ると思い出す
思えば、最後にJR青梅線でカメラを構えたのは……25年も前になるのだろうか。いや、それ以降にもレジャーで乗ったことは数回ある。けれど、正直にいえば、そのころは鉄道趣味への関心を失っていたので、201系電車やE233系電車をまじめに撮ろうという気にならなかった。

ところが、先日ひさしぶりに奥多摩まで乗ってみて……いやあ。架線柱が多くて、写真にしてしまうと西武秩父線ともそうそう変わっては見えないけれど……石灰石輸送のために昔の人は氷川(当時)まで隧道を掘って線路を繋いだわけだよなあ、と思うとなんだか胸が熱くなった。ま、E233系電車自体をまじめに撮る気にはならないけどな。あんなものは、走ルンですです。偉い人にはわからんのです。それでも、列車が走る風景には興味がある。

2016年2月22日月曜日

【東急多摩川線撮影記事】城南の町を行く東急7700系電車をNew Jupiter 3+で撮る


■New Jupiter 3+で撮る東急7700系電車
先日、デジカメWatchの記事のためにLomography + ZENITのコラボレンズであるNew Jupiter 3+ 1.5/50を試用したさい、Sonyα7IIボディとともに数日間持ち歩いた。ひさしぶりに東急多摩川線沿線に所用ででかけた際にも持って行った。

この日は明るいうちに7700系電車を見かけなかったので、もう帰ろうかと思って多摩川まで出たところ……ようやく1編成だけ姿を表した。それも、歌舞伎塗装ではない。こうなったら、撮影続行だ。

2016年2月12日金曜日

【JR両毛線撮影記事】115系1000番台を撮る


■両毛線の115系電車を撮ったのだ
三が日に上毛電鉄デハ101号車を撮りに出かけた帰りに、JR両毛線を撮りに出かけたことはすでに記事にした。先頭のパンタグラフを上げて走る211系3000番台車がカッコいいなあと思っていたけれど、ここにご覧になる方のうち鉄のお仲間のみなさんであれば「おまえが両毛線に行くのはそれだけではないだろ!」と思われたはずだ。ええ、そりゃあもちろん。両毛線には高崎運転センターの貴重な湘南色の115系1000番台も走るからこそ、出かけたわけです。いやあ、撮ったことを忘れかけていた。

2015年10月12日月曜日

【ひたちなか海浜鉄道撮影記事】さよならキハ2004。平日早朝の旧型2連の勇姿を撮る(その1)


■キハ2004-キハ205のありし日の勇姿
ひたちなか海浜鉄道の公式Webサイトによれば、JR東海から購入したキハ11の導入にともない、旧国鉄キハ22タイプの旧型気動車のうちキハ2004号車(元留萠鉄道新造車)が近く引退するという。それをうけて、この連休にはキハ2004が単行運転を行っていたようだ。私はあいにくこの連休の単行運転の様子を見にひたちなかを訪問することはできなかったが、梅雨の頃に平日の始発列車の様子を見に出かけたので、その際に写した(勝田方から)キハ2004+キハ205の勇姿をお目にかけたいと思う。

2015年7月30日木曜日

【流鉄流山線PETIT撮影記事】Sony Cyber-Shot RX100IIIで夜の流鉄を撮る


■RX100IIIを手に夜の流鉄を見てきた
あれはもう、1年以上前になるのか。Sony Cyber-Shot RX100IIIを持って夜の流鉄流山線を訪れたことがある。都心での用事の帰りに、新松戸=幸谷から小金城趾までの一駅を歩き、小金城趾から一駅だけ戻って帰ってきただけの、わずかな訪問だ。

2014年10月27日月曜日

【写真的チラシの裏】海にて


まずお断りしておきます。ご期待されているかたがたくさんいらっしゃいそうでもうしわけないのですが、10月26日(日)の秩父地域開通100周年イベントには参加できなかったので、リバイバル臨時急行や夜汽車を撮影できていない。だから、関連記事は書くことができません。あしからずご了承くださいませ。

その日は、まったく別のところへ撮影に出かけていた。土曜日夜に急遽予定が入ったのだ。そして、使うべきメインカメラが日没の頃にあっけなく電池が切れてしまったので、それでも撮らずにいられない因果な写真家根性というのか、三脚を立てて自前のニコンで撮っていたのがお見せするカットというわけだ。

2012年5月19日土曜日

【西鉄貝塚線2012年5月】西鉄貝塚線に乗る(その2)


■西鉄貝塚線に乗って家に帰ろうか
さて、数件の訪問先をまわり、香椎宮前からふたたび西鉄貝塚線に乗った。訪問先で予想外に時間をとり、福岡空港から羽田へ戻る飛行機の時間も迫っていたので、西鉄香椎から先に乗りたいと思っていた希望はかなえられそうにない。こればかりはしかたがないなと思って切符を買ってプラットホームで列車を待った。少しずつ太陽が傾いてきて、日差しに赤みが差してきた。5月の風が心地よい。

2012年5月18日金曜日

【西鉄貝塚線2012年5月】西鉄貝塚線に乗る(その1)



■博多に日帰り出張した
博多へ行った。もちろん仕事だ。香椎方面にあるとある企業を訪ねるというのがその目的だが、ついでに市内の得意先を数件回ってくること。そういわれて飛行機を予約した。そのころはものすごくブラックなくせに、文字の禁則処理もご存知ではない編集長のいる職場にわずかな期間だけ在職していた。しかも日帰りだ。

2012年3月8日木曜日

【2012年3月】さよなら、485系電車『ホームライナー鴻巣3号』



■首都圏では貴重な「国鉄特急型」
国鉄特急色塗装、MT54主電動機と抵抗制御、方向幕、特急マークエンブレム、ダブルパンタグラフ……。こう書いただけでも2012年春のいまとなっては大変貴重な昭和な(国鉄好き鉄ヲタにとっての)国鉄的要素でいっぱいの、JR東日本新潟車両センター所属485系電車。この485系による臨時急行『能登』と、その間合い運用である『ホームライナー鴻巣』3号および『同古河』3号は、急行『能登』がJR西日本金沢総合車両所属の489系電車から置き換えられたあとに残された、首都圏で見ることができる貴重な国鉄特急形車両を用いた列車だった。

2008年9月15日月曜日

【秩父鉄道PETIT撮影記事】Nikon F2を持って鉄道撮影に行くという「ゆめを叶えた」



■F3の時代の少年はどういうわけかF2がほしいと思っていた
「ゆめを叶える」とは大げさな言い草だ。だが、よく考えてみると長年願ってきたことをしたわけで、やっぱり「ゆめが叶った」わけか。

少年時代の私はニコンF2を使ってみたかった。不思議なもので、私の少年時代はすでにF3の時代であり、周囲にF2を持っていた人物も特にいない。それなのにどういうわけか、憧れていたのはF3ではない。きっと、現役で使えるのに見た目がクラシックなところに惹かれていたのだろう。「少し古いものが好き」という好みはそのころからすでに自分にはあった。

2005年11月15日火曜日

【JR八高線PETIT撮影記事】八高線でプチ旅


■八高線が好きなわけ
西武鉄道沿線在住の少年だった私には、むかしから八高線は好ましい存在だった。八高線は西武池袋線の元加治を越えたあたりで西武池袋線の線路を越えて走り、東飯能で接続する。

1996(平成8)年までは非電化で、キハ30・35系気動車やDD51型ディーゼル機関車の牽引する貨物列車が走っていた。東京首都圏でかなり最後まで非電化のまま残されていたために、その雰囲気がものめずらしかったのだろう。西武池袋線の列車のなかから立体交差の地点で運よく八高線の列車を見られたことは数えるほどしかない。そんなところも謎めいて見えた。東飯能に行けば八高線の列車を目にすることはできたのにね。

そういうわけで、中学生のころに遠くに行きたいときには、拝島や東飯能から毛呂や小川町、寄居まで乗り、高麗川付近で列車にカメラを向けたものだ。