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2021年10月20日水曜日

【レンズフードの話】ニコンゼラチンフィルターホルダーAF-1はいつ発売されたのか

1977年ごろのニコンゼラチンフィルターホルダーAF-1
元箱が銀色だった。のちの製品では金色の箱になっている

■いったいいつ発売されたのかと考えていたら
カメラボディやレンズの発売年月日や発売当時の価格などを調べることは、零細メーカー製品でなければそう難しいことではない。ところが、メジャーメーカー製品でもアクセサリー類について、それもコンシューマー向けではなくどちらかというとニッチな業務用途向け製品の発売年月日を調べるのは、意外とむずかしい。

2021年9月30日木曜日

【鶴見線2012】冬の鶴見線海芝浦支線にて


■どうして鶴見線に行ったのか
古い写真をあれこれと見ていて……最近はそればかりだ。感傷に浸るのが目的ではなく、忘れていたような古い写真をきちんと見返して「今後の撮影ではここをこうしたい」と反省材料にしているつもり。それと、2021年9月末現在の自分の好みのRAW現像の手法で現像し直すと過去の写真がどう見えるか、という興味もある。

とにかく、2012年2月に友人たちと鶴見線に出かけたときの写真を見つけた。旧ブログには記事にしていたのにそれを引き継がないでいて、その存在を忘れていたのだ。

このときなぜ鶴見線に出かけることになったのかはいまでは思い出せない。当時の私は療養中だったし、外出やウォーキングを推奨されてもいたので、友人たちが声をかけて連れ出してくれたのだろう。ありがたいことだ。そこで、当時の記事を加筆しながらお目にかけたい。記事はいずれも2012年2月時点のものだ。

2020年11月9日月曜日

【ニッコールレンズの話】1980年代のAI-Sニッコールレンズのこと(その2)

1984年12月版のレンズカタログ
カメラの製品写真ではストラップと三角環を外して
レンズのヘリコイドは無限遠にして
絞り値はF5.6にセットする「作法」がある。
いまでもこのカタログでそれを参照しているよ

■フィルム時代のレンズには「松竹梅」があった
筆者の手元にある1984年のニッコールレンズのカタログには、28mm、35mm、50mm、135mmにはそれぞれ3種類が用意されていたとある。これはニッコールだけではなく、大手各社もそうだった。レンズメーカー製品に対抗するために純正製品でも普及価格帯の製品を用意したかったのだろう。いまのデジタル一眼レフ用レンズでは多くても2種類だろうか。

2020年11月8日日曜日

【ニッコールレンズの話】1980年代のAI-Sニッコールレンズのこと(その1)

AI Nikkor 28mm f/2.8S(左)
AI Nikkor 50mm f/1.4S(中央)
AI Nikkor 85mm F2S(右)

■80年代のAI-Sニッコールシリーズとは
インターネットで調べ物をしていてあるとき、AI方式のニッコールレンズのうち、AI-Sニッコールレンズ(Sタイプ)の区別やちがいについてきちんと書かれているものが非常に少ないことに気づいた。

なにしろ、昭和から平成に変わるころの話だからなあ。私の検索の仕方にもよるだろうし、ネットとはそういうものかもしれないけれど……ニコン関係者の記事以外には、申し訳ないけれど信憑性がなさそうなものが多そう。そう思って以下に長文を書いた。あいかわらず長いので2回にわける。 

2020年10月2日金曜日

【ニッコールレンズの話】いろいろなニッコールレンズにコンタックスメタルフードを装着して悦に入る俺は「フード病」をこじらせたに決まってる 補遺


■コンタックスメタルフードが「さらに生えた」
かつての京セラ・コンタックス(またはヤシカ・コンタックス、略してヤシコンまたはY/C)RTSシリーズ用一眼レフカメラのカール・ツァイス*1交換レンズには、⌀86mmの円筒形で深さ(長さ)が5種類あるねじ込み式メタルフードおよび⌀82mmのW-1、レンズの何種類かのアタッチメントサイズに合わせた各種アダプターリングが用意されていた。そして、いくつか所有していたそれらのフードとアダプターリングを、用品メーカー製ステップアップリングを介してFマウントニッコールレンズにつけてみたら気に入ったという話を先日した。

そこでカメラ店で傷のある安価なコンタックスメタルフードとアダプターリングをさらにいくつか手に入れて、AI Nikkor 20mm f/2.8S、AF-S NIKKOR 50mm f/1.8G(Special Edition)、AI Nikkor 85mm F1.4S、そしてAI Nikkor ED 180mm F2.8SおよびAI AF Nikkor 180mm f/2.8D IF-EDにあれこれとつけ替えて用いるようになったというところで、戦争は終結し世界には平和が訪れた。

2020年8月29日土曜日

【カメラ機材のお話】いろいろなニッコールレンズにコンタックスメタルフードを装着して悦に入る俺は「フード病」をこじらせたに決まってる

コンタックスメタルフード4と67/86リングを
58mm-67mmステップアップリングを介して
AF-S NIKKOR 50mm f/1.8G(Special Edition)に装着した

■「フード病」とは恐ろしい病気
3年前の春に「フード病」の話を書いた。レンズの描写性能ではなくレンズフードの格好のよさばかりに気をとらわれてしまい、その実用性ではなく外観を重要視するようになる病気のことだ。純正品が用意されているにもかかわらず外観が気に入らないと非純正品をわざわざ用いるケースや、重篤になると「フードが格好いいから」という理由でレンズを手に入れることさえある。ただし、純正フードの深さや効果に不具合があるからという実用性を考えて非純正製品を入手するのは、まったくもって健全なので安心してほしい。

繰り返しになるが、外観と質感などの非実用性にだけ心ひかれるようになったら、あかんやつや。もっとも重篤になると入手してもそのレンズフードを装着したレンズで写真を撮らないようになる。そうなると手遅れだ。そういう「口でしか写真を撮らない」罹患患者は少なくないけどな。さいわい私自身はあの記事を書いたあとにこのフード病からは回復していて、日常生活をふつうに送ることができていた。宇宙世紀の来たるべきあの日までは。

2020年1月29日水曜日

【カメラ機材チラシの裏】いつまでたってもNikon F2みたいな古いカメラばかり好きでいたら令和になってからNikon Dfを「生やした」話


■私一眼レフ世代だから
はたまたまニコンの一眼レフを使い続けている。こう書くと積極性がないようでよろしくないな。F-301を買ってもらって以来、揃えてきたレンズをいまでも使うことができるため、操作に慣れているから、カメラの作りや明快な描写が好きだから、壊しにくいから、などという理由でおもに使うカメラをずっとニコンにしてきた。筆者が一眼レフを使い始めたのは、ちょうど「ミノルタαショック」のころ。位相差AFを備えた本格的なシステム一眼レフが登場した時期だった。もっとも、筆者自身がAF一眼レフを使い始めるのはずっと遅い。

ともかく、いまや時代の主流は「レンズ交換式ノンレフレックスカメラ」(いわゆる、ミラーレスカメラ)になるという時代にあり、ミラーレスカメラの便利さを享受していても、「好きなカメラ」を問われたら、光学ファインダーを備えた一眼レフだ。

2014年1月5日日曜日

【秩父鉄道7000系列撮影記事】秩父暮らしのハニワッティ&シモブクレッティ

歴史のある鉄橋を渡るシーンは秩父ならではの魅力

■冬はSL派以外の活動時期だ
SLパレオエクスプレスの正月運行が終わり、C58363は春までの整備期間に入った。これから春までは秩父党でも最右派である「1988年(パレオ運行開始)以前からの党員」を自認する長老派、都営派、西武抵抗制御派あるいは東急派、さらにはデキ派などの非主流派である非蒸機諸派(苦笑)の季節になる。

もっとも、2013年度いっぱいで引退する1000系電車の日常の姿をねらおうという人はいるだろうが、イベント列車ではない限りもう少し穏やかな雰囲気であろうとは思う。希望的観測だけどね。

2009年6月1日月曜日

【秩父鉄道1000系撮影記事】「秩鉄リバイバルカラーデハ100形タイプ」撮影記 後編

AI Nikkor 180mm F2.8S

■地元のみなさんと世間話をすべし
タンカタンカタンカタン……レールのジョイント音を大きく響かせながら、カーブを曲がってきた電車は警笛を鳴らして目の前に現れた。速度が予想外に速くてドキドキしながらカメラで追った。

2009年5月31日日曜日

【秩父鉄道1002編成撮影記事】「秩鉄リバイバルカラーデハ100形タイプ」撮影記 前編

Ai Nikkor 50mm f/1.4S

■秩父鉄道で20年ぶりに鉄道を撮る
そらく、20年ぶりに秩父へ行った。それも、鉄道を撮ることだけを目的にして。

鉄道を撮ることだけを目的に秩父へ行ったのは、1988(昭和63)年春のデハ100形電車引退直前の桜の季節に行ったのが最後だ。それ以降も秩父へはなんども出かけている。だがそれはいつも観光や子連れでのおでかけがおもだった。鉄道撮影に出かけたのは20年ぶりだ。いやはや、20年なんてあっという間だった。