ラベル AF-S DX NIKKOR 18-300mm f/3.5-6.3G ED VR の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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2016年2月17日水曜日

【上信電鉄撮影記事】「緑の中を走る」ところを撮りたい


■ミッドサマー・アロング・ザ・ジェイディーケー・ライン
作業の合間にハードディスク内を検索していて、真夏のころの写真を見つけた。真夏の頃からしばらく私は上信電鉄沿線に通っていたのだ。"mid-summer along the JDK Line"などと意味なく横文字にするといやにかっこいい感じがする。気のせいかしら。

2015年10月14日水曜日

【JR北海道PETIT撮影記事】しみじみ鉄、北に(最終回 急行『はまなす』撮影記)


午前5時10分すぎ、JR北海道千歳線長都駅。渡道2回めの私は、駅に着くまで「おさつ」と発音することさえ知らなかった。知らないとそう読めないなあ。千歳線の各駅停車は6時台までないので、駅には私と相棒の二人しかいない。10月第一週の5時過ぎの気温は10℃以下で、数日前まで首都圏で日中の気温が25℃もあり、高湿度のなかで暮らしていた私には、一足先に秋を体感するような寒さだ。じっさいに、早出のサラリーマン氏は冬のハーフコートを着ていて、それが大げさに思えない。

10月上旬だからまだ明るい。それでも、これからの季節ではより札幌寄りではないと走行シーンを撮るのは、高感度撮影が得意なカメラではないと難しそうだな、と思いながら苫小牧方面へ向かう貨物列車が通過するのを見送った。しばらく経つと、苫小牧方向から待ち構えていた列車と思しき前照灯が見えた。

2015年10月7日水曜日

【JR北海道PETIT撮影記事】しみじみ鉄、北に(留萠本線増毛駅訪問)



■北の大地でしみじみ
9月の終わりの増毛(ましけ)は、本州よりもひとあし先に秋の気配を感じさせた。前述のとおりこの日は大荒れで波が高くて、海は大荒れだった。風も強くて砂浜に逃げているカモメが風に流されるようすが見て取れた。昼ごろに増毛に着くと、どこからともなくのらねこが現れて悠然と線路を渡り散歩をしていた。

2015年8月22日土曜日

【上信電鉄撮影記事】JAZZ&ビール列車に乗る

上信電鉄本社第一会議室からの眺め
 
■暑い日にアツい列車に乗った
高崎から吉井、富岡、南蛇井、そして下仁田にかけての一帯はじつに、じつに暑かった。でもそれは気温のせいではない。乗っていた上信電鉄の列車の乗客の熱気の高さと、私のように昭和の西武電車ヲタには、きわめてアツい列車運用だったから。

8月22日土曜日、上信電鉄本社に行った。上信電鉄の夏の風物詩である「JAZZ&ビール列車」に乗るためだ。時間まで、本社2階の会議室が控室として開放されていたので、その窓辺に立つと……うほっ! こりゃまた絶景ですなあ。昭和の西武電車ヲタにはね。もう酔いそう。

2015年8月19日水曜日

【上信電鉄撮影記事】立秋を過ぎたのに


■夏終了のお知らせ
今年、夏終わるってよ。

というわけではない。聞いたことがあるような言い方なのは、気のせいです。でも、立秋もお盆期間も過ぎて夏ももう終盤だ。それなのに、いまひとつ満足のいく「夏の絵」が撮れないことに、じりじりとした焦燥感を感じる。いや、趣味の写真の話ではないから。

2015年8月13日木曜日

【上信電鉄撮影記事】ホワイトタイガー走ってます


この草の根ブログにはいくつかの興味深い傾向がある。ニコン関連記事を書くとビュー数がぐわっ! と伸びる。いっぽう、鉄道記事でもいちばんビュー数が下がるのが上信電鉄だ。上毛電鉄のデハ101型記事などはビュー数が多いのに。

さて、その上信電鉄はいまや、首都圏で昭和の西武電車の世界を楽しむことができる最後の牙城ともいうべき場所だ。流鉄流山線も元西武新101系2連が走り回る住宅街として魅力的だが、上信電鉄は走行距離が長いことと、新101系よりも古い西武701系列が現役で走るところに、おおいなるアドバンテージがある。おまけに、AK-3コンプレッサーを響かせて。上信電鉄オリジナル車と仕様が合ったことが幸いしたのだろう。

2015年8月5日水曜日

【上信電鉄PETIT撮影記事】走れ上信オリジナル車


6000形は高崎方と下仁田方の両方にパンタグラフがあるのね

■いつも同じ写真だというのは……誤解です……たぶん
なにやら、連日似たような写真を撮っているようだ。ちがう鉄道路線を訪れても。まあ、撮影者が同じだからね。私はできるだけシンプルな画面にしたいだけだ。

さて、久しぶりに上信電鉄を訪れた。思えば、昨年の年始以来だろうか。あのころは待望の新車7000形が登場直後でクリーム塗装のままで走っていたし、烏川の佐野橋も再建されず、なによりも佐野のわたし駅がまだなかった。烏川右岸の佐野のわたし駅は、根小屋駅からいつもひいこら言いながら佐野橋を目指していた私には、とてもありがたい駅だ。佐野のわたし、ありがたいの私。なんでもありません。