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2020年10月29日木曜日

【JR武蔵野線撮影記事】さよなら武蔵野線用205系電車


■JR武蔵野線から205系電車が引退
さきごろ、JR武蔵野線から205系電車がすべて退役したという。私は205系電車は好きな電車であっても、武蔵野線を走る姿を真剣に追いかけたことがほとんどない。それでも『むさしの』号で大宮から乗ることは楽しんでいた。1985年に山手線に先行試作車が登場したときにはわざわざ乗りに出かけている。

あのころの雰囲気はいまでは想像しがたいかもしれない。たとえば、比較的最近の例でいえば、E231系電車がつぎつぎと各路線を走り始めたころのようすに近いかも。あれは規模も大きくて誰の目にもわかるようなはっきりとした世代交代だった。103系電車から205系電車に置き換わったのも同様だ。だから、E217系電車やE231系電車、E233系電車がE235系電車に置き換わるよりもずっとインパクトがあったように同時代の子どもの私には思えた。

2019年12月3日火曜日

【JR武蔵野線PETIT撮影記事】2010年12月3日、豊田車両センター所属115系電車M40編成による快速『むさしの』号最終日

ハトも『むさしの』号をお見送り

■あれから9年経つわけか
日、大宮と八王子をJR武蔵野線を経由して走る『むさしの』号を記事にしてから思い出した。八トタ(豊田車両センター)所属115系電車M40編成が専属で充当される臨時列車だった快速『むさしの』号が、定期列車化されて愛称つきの各駅停車である『むさしの』号になり、使用車両が武蔵野線で用いられる205系電車などに置き換えられ、同時に京葉線方面行きの『しもうさ』号も登場したのが、2010(平成22)年12月4日のダイヤ改正からだった。

9年前のちょうどいまごろなのか、となつかしく思い、旧ブログに掲載していた115系快速「むさしの」号最終日のお名残乗車記を加筆訂正して掲載することにする。以下、日時などは掲載当時(2010年12月)のものだ。ご注意されたい。

2019年12月2日月曜日

【JR武蔵野線PETIT撮影記事】『むさしの』号のこと


■「貨物線経由の旅客列車」が好きらしい
鉄JR直通線(新横浜線)の列車が東海道貨物線を走るところを見ていて、ふと思い出したのは、JR武蔵野線経由の列車『むさしの』号のことだ。

埼玉県南部の西武沿線に在住している筆者は、ときおり所用で大宮を通る。たいていはJR川越線を利用するものの、川越線の本数の少なさと、本川越と川越の徒歩連絡がいやだなあ、と思うことも。それならば西武池袋線秋津から武蔵野線新秋津まで歩くほうが距離が短いと思い、武蔵野線をときおり利用する。ただし、武蔵野線を利用するならば、武蔵浦和でJR埼京線に乗り換えるか、南浦和でJR京浜東北線に乗り換える必要もある。

2016年6月17日金曜日