2022年6月22日水曜日

【秩父鉄道いまむかし】急行『秩父路』用300系電車のタブレット保護棒と保護板と100形電車の中央の運転台、そして武州中川駅と武州日野駅の進行方向

1985年10月1日撮影の300系電車デハ302号(下り三峰口方)
このころの写真では上り熊谷方デハ301号の助手席側のみ保護板がない

■300系電車の運転室次位の窓にある保護棒と保護板のこと
先日Twitterで話題にもしたが、秩父鉄道の有料急行『秩父路』号に1992(平成4)年まで使われていた300系電車のうち、両端の制御電動車デハ300形の奇数偶数の両車の運転室次位の客室窓には、二本の保護棒が渡されその上には保護板が設けられていた。過去に投稿した写真にも写っている。ただし、熊谷方のデハ301の助手席側の保護板は1985(昭和60)年の写真では取り外されている。

2022年6月20日月曜日

【西武狭山線撮影記事】「♪ニシトコは夜の七時」平日通常ダイヤ時の新101系電車狭山線送り込み回送について

小手指からの一本めの狭山線送り込み回送列車

■2022年3月のダイヤ改正による変更
西武狭山線には昨年(2021年)2月から新101系ワンマン車が運用入りしていることは、数回記事にしている。この狭山線用新101系ワンマン車は残念ながら少しずつ数を減らしていて、牽引車でもある263編成をふくめて、多摩川線用と合わせて2022年6月の本稿執筆時には全部で7編成が残るのみだ。

2022年6月1日水曜日

【西武国分寺線の歴史】西武国分寺線を走った貨物列車についての私的な概略的なもの

出発を待つE851形(1992年飯能)

【おことわり】
今回は西武鉄道の貨物輸送のうち、有名な西武秩父線のものではなく、国分寺線を走ったであろうものについて書いていく。できるだけ資料があって「裏がとれる」ものを中心に書いているが、事実誤認や不注意による見落としが、いつも以上にありえることはあらかじめおわびしておきたい。「私的な概略的なもの」と称しているのは一次資料を用いて書いているのではないからだ。既存の書籍などを見ながら「ははあ、おそらくこういうことだったのだろうな」という部分をまとめた、メモ書き程度の書物だと思ってほしい。

■貨物輸送のための重要な支線でもあった
西武鉄道の貨物輸送は1996(平成8)年3月にその役目を終えた。国分寺線を一般貨物列車が走っていたのは、小川で貨物取扱が行われていた1981(昭和56)年3月31日のダイヤ改正まで。その時点では東村山と小川のひと区間だけを走っていた。

2022年5月17日火曜日

【西武国分寺線・新宿線記事】国分寺線と新宿線の直通運用に新101系電車2連+4連が走っていたころの話

2009年4月

■国分寺線と新宿線の直通列車があった
前回のエントリーで西武国分寺線と新宿線との直通旅客列車がかつて運行されていたと書いた。そのうち、2008(平成20)年から2019(令和元)年までは国分寺〜本川越の直通列車が運転されていたとも。

2022年5月16日月曜日

【西武鉄道撮影記事】2000系初期車を求めて国分寺線散歩


■貴重な晴れ間に西武国分寺線沿線散歩
5月に入ってもすっきりと晴れ渡る日が少ない。週間予報を見ていても曇りの日が多い。だが、今年の関東地方の梅雨入りはそれでも平年並みの6月上旬の見込みなのだそうだ。そうはいっても、5月の連休期間に晴れたのも三連休のころくらいだった。

いま思えばその貴重な晴れ間の見えた日に、西武国分寺線沿線をひさしぶりに少しだけ歩いた。

2022年5月6日金曜日

【秩父鉄道撮影記事】デキ201+12系客車+デキ105の団体臨時列車にワレ遭遇ス。返しは望遠レンズで正面がちにねらう話


■本格的に晴れてきた!
秩父鉄道の「北武区間」と筆者が勝手に呼ぶ区間、つまり旧北武鉄道によって開業した羽生〜熊谷の区間で、デキ201+12系客車+デキ105の団体臨時列車に遭遇した日の話の続きだ。羽生方面行き団臨列車が到着する直前に、雲間から太陽が姿を現した。そして、それからはあたりはみるみるうちに明るく晴れた。晴れを予想しない構図で撮影したので、いろいろとレタッチに悩まされることは予想した。それでも、やはり晴れているほうが露出も稼げて、絵柄にもめりはりは出る。

2022年5月4日水曜日

【秩父鉄道撮影記事】デキ201+12系客車+デキ105の団体臨時列車にワレ遭遇ス。そしてRAW現像とレタッチで太陽が入ってしまう構図をなんとかする話


■デキ201+12系客車+デキ105の団臨がやってきたあ!
秩父鉄道秩父本線のうち、筆者が呼ぶところの「北武区間」こと北武鉄道が開業させた羽生〜熊谷の、田んぼのなかにある有名な駅で降りた。そして熊谷方の曲線区間にいたところ、団体臨時列車がやってくると聞いて待ち構えた、という話の続きだ。

2022年5月3日火曜日

【秩父鉄道撮影記事】ひさしぶりの北武区間訪問で太陽と影と背景相手に戦いを挑む話。そして地方私鉄沿線撮影の「秘訣」について


■北武鉄道のこと
秩父鉄道秩父本線のうち羽生〜熊谷の区間は、秩父鉄道の前身である上武鉄道の手によって開業したのではない……という解説は、ここにお越しになるであろう大多数のテツのお仲間のみなさんには不要だろう。現在の羽生町の有力者が中心となって創業した北武鉄道が、1921(大正10)年に「羽生線」として羽生〜行田(現在の行田市)を開業させ、翌年に行田〜熊谷を延伸し全線開業させた。いまからちょうど100年前のできごとだ。

2022年4月27日水曜日

【西武鉄道撮影記事】さよなら、2000系電車2007編成。初期車8両固定編成が姿を消す


■2007編成の退役で「2000系初期車8両固定編成」が全廃に
さる2022(令和4)年4月26日(火曜日)に、西武新宿線系統で運用されていた2000系電車のうち、1977(昭和52)年から1979(昭和54)年にかけて製造された、側面に「田の字窓」(下段上昇・上段下降の二段式窓)を持つ初期製造車のなかで、最後の8両固定編成であり、行き先表示器が方向幕式のままだった2007編成が横瀬車両基地に向けて廃車回送を行った。この回送は同時に事前申し込み制の有料見送りツアーでもあった。2007編成が横瀬に到着したことで、2000系の初期車の8両固定編成がすべて姿を消した。

2022年4月25日月曜日

【三脚関連のあれこれ】アルカスイスタイプL型カメラプレートの試験運用とジッツオ三脚にホームセンターで買えるもので安価なエンドフックを取りつけた話

ウクライナ独立後にザヴォート・アルセナール
(アルセナール工場)で製造された
MC ARSAT-N 2.8/20(MC MIR-73N 2.8/20)は
アタッチメントサイズが直径62mmで
AI Nikkor 20mm f/2.8S用レンズフードHK-14がよく似合う。
だが、今回はその話をしたいわけではなかった

■DfにはアルカスイスタイプL形プレートが欠かせなくなった
「とあるアジアの国で製造された『素人さんは手を出すな』的なグリップつきアルカスイスタイプL型プレート」を昨年末にニコンDfボディに装着したという話を、以前このブログで書いた。

Df用として販売されていたにもかかわらず、入手したときの状態ではボディに装着さえできず、そういうものに簡単に引っ掛けられた自分の鑑識眼のなさに失望して数年間放置したのちに、にわかに腹が立ってグリップ内部を小型ハンドグラインダーで削って整形したところ、ようやく装着可能になり、さらにグリップ部分にもネットで見つけた方の例を真似させてもらってグッタペルカ(カメラ装飾用の貼り革)を貼ってきたら、やっと握りやすくなった。そういう、いろいろと手を加えた結果ようやくまともに使用できるようになったという、例のあれのことね。

非常にくせの強い品物であるために、諸手を挙げて万人におすすめすることができない品物だ。

2022年4月15日金曜日

【カメラ写真機材メンテナンスの話】雨の後始末:降雨のあとで機材を清掃するお話


■降雨や水べりでの撮影の「後始末」を忘れずに
先日の二日間の上信電鉄沿線撮影行は両日ともに雨に降られた。強い雨ではなくてもやむことはなく、傘を差してはいても機材も服も、カメラバッグもずぶ濡れになった。投宿先に着いてもまずは着替えて機材とバッグを乾かすことから始めた。室内の湿度が低すぎることが多いビジネスホテルの低湿度ぶりをこれほどありがたく思うことはなかった。そうして撮影を終えて帰宅してから、本格的な機材の清掃に一日費やした。

そこで、今回のエントリーではそうした「雨の撮影後の後始末」について思うことを、あれこれ書きたい。もっとも心がけるべきはできるだけ機材を濡らさないことにつきるが、意図的に濡らすわけではなくても、撮影中に濡らしてしまったものは仕方がない。それに、この知識は海辺や水辺での撮影のあとにも必要だろう。