2022年5月16日月曜日

【西武鉄道撮影記事】2000系初期車を求めて国分寺線散歩


■貴重な晴れ間に西武国分寺線沿線散歩
5月に入ってもすっきりと晴れ渡る日が少ない。週間予報を見ていても曇りの日が多い。だが、今年の関東地方の梅雨入りはそれでも平年並みの6月上旬の見込みなのだそうだ。そうはいっても、5月の連休期間に晴れたのも三連休のころくらいだった。

いま思えばその貴重な晴れ間の見えた日に、西武国分寺線沿線をひさしぶりに少しだけ歩いた。

西武国分寺線は国分寺と東村山を結ぶ全長7.8kmの支線だが、西武鉄道の路線のうちもっとも古く1894(明治27)年に当時の川越鉄道が開業させた路線。現在の西武新宿線(開業時は村山線)が新宿まで走る前は、こちらが本線だった。

■6両編成がほぼ10分おきに走る
全線単線だが、国分寺駅を出て少ししたところにある羽根沢信号所と恋ヶ窪のあいだの1.2kmは複線だ。恋ヶ窪と鷹の台、小川では列車の上下交換が可能だが、日中の上下交換は恋ヶ窪と小川でのみ行われる。交換駅と交換可能な施設の多さが示すように、ラッシュアワーには1時間に最大8本、日中は5本と高頻度の運転がなされている。

2022(令和4)年5月現在は東村山駅の高架化改良工事が行われているために、西武園線や新宿線との直通運転は行われず線内折返し列車のみだ。2003(平成15)年からは日中は新宿線新所沢まで、2008(平成20)年から2019(令和元)年までは本川越までの直通列車が運転されていた。

使用車両は、玉川上水車両基地に所属する2000系電車の6両編成だ。ヲタのみなさんならば、この「玉川上水所属の2000系6両編成」という言葉で「もしや」と理解できるだろう。基本的には新2000系電車の6両編成が充当されているが、3編成残されている2000系初期車の6両編成が走ることもある。車両の検査の都合により、過去には2両編成と4両編成を組み合わせた6両編成が走っていたこともあった。

■2000系初期車同士の上下交換
三連休に私が国分寺線沿線を10年くらいぶりに歩いたのは、その2000系初期車を見るためだ。日中は3編成の車両が国分寺線内で運用されているが、連休期間のうち三連休にはそのうちの2編成に2000系初期車があてられていることに、西武線アプリを見ていて気づいた。

ということは、2000系初期車同士の上下交換が小川と恋ヶ窪で行われることがあるということだ。



■「上下の列車がともに2000系初期車」という機会は減っているよう
「こどもの日」の日中に走っていたのは、初期車の最終増備車である2031編成と2033編成。それと新2045編成だった。もしかしたら、祝日のファンサービスか何かだったのかもしれないと思うのは、それ以降本校執筆時の5月中旬にいたるまで、2000系初期車が日中にはまったく国分寺線を走らない日も少なくなく、用いられていても1編成のみという日が多く見受けられるから。

2000系初期車同士が上下交換をするというのは、少し前まではそうめずらしい光景でもなかったのにね。それがいまや晴れ間と同じくらい「2000系初期車」がめずらしい存在になるとは。グローブ型ベンチレーターの6両固定編成も2027編成しか残されていない。


2009年4月に撮影。このころは新101系が2連+4連で
国分寺線および新宿線直通列車に充当されていた。
当時は南入曽車両基地所属の車両が用いられていて
国分寺線内では現在とは列車の向きがことなる

そういうわけで、すごくひさしぶりに沿線を歩いた。大量の機材を持ってガツガツと撮り歩くというよりは、自宅から遠くないところをできるかぎり携行する機材を減らしてのんびり撮り歩くというような、おだやかな撮影を試みた。少しずつ畑が減って開けた場所はますます少なくなりつつあるので、どういうふうに撮ろうかと頭を悩ませながら。

運転本数も多く自宅からも近いのだから、これからもカメラを持って通い、頭を悩ませてみようと思っている。撮り方はまとめ方に依存するのから、そのあたりをもう少しつめたい。

【撮影データ】(2022年)
Nikon Df/AI Nikkor ED 180mm F2.8S/RAW/Adobe Photoshop CC