2022年5月17日火曜日

【西武国分寺線・新宿線記事】国分寺線と新宿線の直通運用に新101系電車2連+4連が走っていたころの話

2009年4月

■国分寺線と新宿線の直通列車があった
前回のエントリーで西武国分寺線と新宿線との直通旅客列車がかつて運行されていたと書いた。そのうち、2008(平成20)年から2019(令和元)年までは国分寺〜本川越の直通列車が運転されていたとも。

川越に集まるひとと物資を新河岸川の水運ではなく、甲武鉄道(現在のJR中央線)までの鉄道を敷いて、東京へ輸送するために1894(明治27)年に開通したのが川越鉄道だ。そして旧西武鉄道と旧武蔵野鉄道が合併して西武鉄道が成立したのちの1952(昭和27)年に「国分寺線」として分離されるまで、国分寺〜東村山は旧川越鉄道の後継である「川越線」の一部だった。21世紀に入ってからの旅客列車の国分寺〜本川越の運転は、その由来を彷彿させるような運行だった。

新河岸川水運について記された狭山市内にある説明文。
さらに川越街道も物流の中心だった。
東上鉄道開通以前に東京と川越の輸送に
甲武鉄道を利用しようとしたのが川越鉄道だ

なお、1976(昭和51)年3月ダイヤ改正までは国分寺線国分寺駅で国鉄(当時)との貨物輸送の連絡を行っていたそうで、それ以前には各種輸入形電気機関車とE851形が国分寺線を貨物列車を牽引して走ることがあったようだ。1968(昭和43)年に設置された羽根沢信号所と恋ヶ窪駅までの1.2キロメートルが複線化されているのは、国分寺線国分寺駅は1面1線しかないために、貨物列車が退避できるようにという意図のはずだ。

グーグル検索をすると国分寺線を走る貨物列車の姿を見ることができる。E851形も走っていたのか……とふむふむと興味深く見てしまった。貨物列車が国分寺線を走っていたころは私は幼児だったので、まったくそのようすを知らないから。

2009年1月

■新101系がその任にあたることも
私は国分寺〜本川越を走る列車をときどきねらっていた。それは、2010(平成22)年春までは新101系電車がその任にあてられることがあったからだ。

新宿線系統では新101系電車のうち、パンタグラフのある制御電動車クモハ101形(奇数車)は、通常は本川越・東村山方に連結されるために先頭に立たないことが多かった。おそらくは、朝のラッシュアワーに女性専用車両が西武新宿方に設けられるためだ。ところが、この国分寺〜本川越の直通列車に限っては、国分寺線に女性専用車両の指定が設けられないためか、クモハ101形奇数車が西武新宿・国分寺方に連結される機会が多かった。

「クモハ101形奇数車が先頭に立っている列車を撮りたい」とつねに思っていた私には、国分寺線の運用はじつに都合がよかった。

もっとも、平日に仕事を休んで国分寺線内で撮ろうとしたときに限って、2両編成が本川越・東村山方に連結されていたということもあった。掲載写真の日はまさにその日だ。だから、国分寺線内でうまく撮影できた機会はそう多くはない。

2009年4月

■「6両編成」という表示が目印
国分寺線のプラットホーム有効長は6両編成までだ。そういう理由からだろう、国分寺〜本川越のこの直通列車は国分寺線運用の6両編成が、東村山から新宿線に乗り入れるかたちをとっていた。そして、新宿線の列車は10両編成で運行されていたから、輸送量に格差が大きい。そのためか、この直通列車は日中の閑散時間にのみ運行されていた。

新宿線の東村山〜本川越では6両編成の停車位置で列車を待つ必要があった。やってくる上り列車が「国分寺行き」であれば直通列車であるのでわかりやすい。「本川越行き」の場合は「短い6両編成でまいります」という放送を聞かないでいて、列車が停車してから8両編成や10両編成の最後尾あたりで待っていた客が「あれあれ」と小走りに列車に乗り込むようすも見られた。

2009年12月

■2010年春からは2000系に置き換えられた
私自身が鉄道趣味に「出戻り」したのは2008(平成20)年。2009(平成21)年に新宿線沿線に転居してきてこの直通運転の列車と、それに新101系が充当されることに気づき、そこから撮り始めた。だからそれ以前のようすは写真に収めることはできていない。

2009年12月

2010年3月に新101系の4両編成がワンマン化改造を施されて、多摩湖線・多摩川線に転属してしまったために、国分寺線から新101系電車は撤退した。その後、国分寺線で用いられていた2000系電車や、6両編成化された3000系電車(2014(平成26)年まで)によって、直通運転は2019年までは続けられていた。

東村山での乗り換え客の量を見ていると、中央線沿線に出るために国分寺線を利用する東村山以遠の新宿線利用者は少なくはないように見受けられる。中央線からの乗り換え客を待つために国分寺線が遅延し、新宿線の終電がそれにあわせて遅れるということも、コロナ禍まえの週末にはめずらしい光景ではなかった。コロナ禍で激減したであろう川越観光の需要もあったとは思える。

ただし前述のように、プラットホーム有効長のちがいによる国分寺線と新宿線の使用可能編成の長さの差があるために、日中のみの運行だったのだろう。新宿線のラッシュアワー時には6両編成では積み残しを出す。そして日中の直通列車の需要がどこまであったのかはわからない。それにかんする数値的な資料などを持ってはいない、沿線在住の一趣味人の視点でしかないからだ。

正論のふりをしてごまかすのはよろしくはない。私自身も中央線沿線に出る際には国分寺線を経由することが多いので、国分寺〜本川越の直通列車が東村山の高架化改良工事が終わり情勢が安定して需要が戻ってきた際には、直通列車が復活してくれたら便利でうれしい、というのがいちばん正直な気持ちだ。もちろん、まことに身勝手で厚かましいことは承知のうえだ。ただ、実際には高架化が完成した際には新宿線と国分寺線は上下ともに乗り場が対面するようになるので、直通列車ではなく乗り換えの利便性の向上で対応するのだろう。

【撮影データ】
Nikon D2X/AI AF Nikkor 24mm f/2.8D, AI AF Nikkor 50mm f/1.4D, AI AF Zoom-Nikkor 80-200mm f/2.8D ED <NEW>/RAW/Adobe Photoshop CC