2011年3月12日土曜日

【東日本大震災関連記事】帰宅難民になりかけた日

【はじめに】2011年3月11日夜のことを書いた記事を加筆しアップいたします。あのときのささやかな記録を残しておくことも必要かと思うのです。そして、あらためて被災されたみなさまには心よりお見舞い申し上げます。

道路上のがれき。外壁が崩れた建物やアスファルトをあちこちで見た

■都心から歩いて帰宅しようと決めた
2011(平成23)年3月11日の東日本大震災の日のことだ。会社のある東京駅八重洲口方面から、内堀通り、新宿通り、明治通りを伝い、下落合を経て椎名町まで歩いた。

早々に家族とは連絡がつき、埼玉県茶畑だらけ市の自宅で無事でいるのはわかっていた。だから、会社の同僚たちのように会社に泊まることもできた。ただ、当時の私はアレルギー疾患がいろいろとあって、埃だらけの会社の床にダンボールを敷いて眠るのが嫌だった。そして、どこかのターミナル駅の近くまで歩いているうちに電車が復旧すればいい、と思った。

2011年3月11日金曜日

【都電荒川線通勤途上鉄記事】さよなら、都電7500形


  さて、この日曜日で都電荒川線7500形電車が運用を終える(*)。以前のエントリーで書いたけど、私が沿線に住んでいた30年以上前は7500形は丸い古い車体だったから、なんとなくまだまだ「新しい」気がしてしまう。でも、昭和37年製造というから、鉄道車両としてはもうけっこうな古さなのだ。