2017年12月12日火曜日

【国鉄型489系電車なつかし記事】489系電車PETITお名残乗車記:ホームライナー古河3号・鴻巣3号を撮る(2010年2月) 続編


【おことわり】
本記事は旧ブログにあった2010年2月15日づけエントリーを加筆訂正したものです。先日、大宮の鉄道博物館に行った際にひさしぶりにクハ481やクハ181というボンネット型の国鉄特急形電車(あるいは「こだま型」。いずれももはや死語といっていい存在でしょう)を見て、そういえばこのブログにはこれらボンネット形の特急電車の最終型である489系電車が最後の活躍をしていたときに、ほんの少しだけお名残乗車をしに行った記事を載せていなかったことを思い出しました。そのまま掲載するには拙い記事でしたので、大幅に改訂して再掲載いたします。なお、各種列車などの情報はいずれも記事初出時の2010年2月の情報です。ご注意ください。

【以下本文】
■こんどは上野に行く
 鶯谷ホームから急行『能登』を撮ろうとして、京浜東北線の電車に被られてから数日後。私は上野駅にいた。鶯谷で被られるなら、上野のほうが停車時間があるぶん確実だ。




 そこで、帰宅が遅くできるよう調整と手配をして、まずは21時03分上野発の『ホームライナー古河3号』を撮るべく、入線シーンを待ち構えた。入線時間は古河1号の発車後すぐだった。もちろん、ヘッドマークは『能登』ではない。私はそういうところがどうも冷淡だ。とにかく、489系電車だからというつもりでかまわずに停車シーンも撮ってみる。




■乗ってみるか!
 この電車が戻ってきて急行『能登』になるまでにはあと2時間あり、ほかのブルートレイン『あけぼの』と『北陸』を撮りながら待つつもりでいたけれど、ホームライナーの乗車券はまだ空きがあった。そこでふと、ああ、それなら乗ってみようかな! と思いついた。古河まで乗っても終電には間に合って帰宅できるけど……上野から大宮まで30分ほどの特急型車両の旅を楽しむことにして、ライナー券を買って乗り込んだ。


 思えば489系電車に乗るのは20数年ぶり。小学校6年生のころに新潟の親戚宅からの帰りに、妹と二人で直江津から上野まで特急『白山』に乗って以来だ。たしか、2月だったはずで、新潟県内は大雪なのに長野市内は晴れて、軽井沢はまた雪、でも高崎は快晴、なんていう日本海側と太平洋側の冬の天候の変化を目の当たりにした。そのとき乗った平日の午後『白山』はがらあきだった。碓氷峠では乗客のまばらな車内を空き缶が勢いをつけて転がっていくのを見て、勾配を体感した。

 そのときにはすでに上越新幹線は大宮発で開業していた。だから、行きは大宮まで185系200番台の『新幹線リレー号』に乗り、長岡経由で直江津に向かったはずだ。『白山』が空いていたのは、すでに新幹線に乗客が移行していたのかもしれない。

 さて、久しぶりに乗った489系電車はかなりくたびれてきているものの、よく手入れされていた。そして、何度も乗ったことがある高崎線であっても、プチ旅の気分を味わうことができた。そう書くとまるで、私にとっての旅情とはわびしさとセットであるかのような口ぶりだ。王子、赤羽、川口を汽笛を鳴らしながら列車が通過していく様子にぞくぞくした。それにしても、汽笛の音はどうしてこうもの悲しく聞こえるのか。いまのE231系電車でも空気式の汽笛を鳴らすところだけは「きゅん」としてしまうもの。



 大宮までの30分はあっという間だった。うーん、どうしよう。いっそのこと古河まで乗ってしまおうか、とぎりぎりまで迷いながらも、大宮で降りて列車を見送った。


■これが最後の撮影・乗車体験だった
 私が489系電車を撮ったのはこれでおしまいだ。金沢まで乗り通すどころか、ほかの場所での走りも撮らなかったし、ダイヤ改正まで通うこともしなかった。その理由はいまとなっては思い出せない。もちろん、子どもがまだ未就学で延長保育も活用して保育所にあずけていて、基本的には私が迎えに行っていたからという理由もあるだろうけれど、きっとこのプチお名残乗車でなにやら満足してしまったのだろう。

 489系電車は私にとっては「特急型」であり、夜行列車の急行列車とは思えない列車だった。それでも、いま思えば急行『能登』に乗ってみればよかったのに、と思う。2017年のいまや、日本国内では定期列車での夜行列車は『サンライズ出雲・瀬戸』だけだろうか。自家用車、LCC、高速バスと安いビジネスホテルを利用するほうが安上がりで安眠できることはたしかで、割高で眠りにくい夜行列車の存在意義は失われてひさしいことは理解している。私だって、日本国内で夜行列車を利用したことは数えるほどしかないから、身勝手なロマンだということは承知のうえではあっても、夜行列車が恋しい。

 ロシアのロックグループ「ブラボー」の『クラースナヤ・ストレラ(赤い矢号)』の歌詞から一部を以下、引用する(筆者訳)。ロシアには、どうも鉄道旅行がいまでも好きだというひとたちがたくさんいるようだ。

夜行の特急列車、冷めた紅茶、減光された青い光
こうして一日が終わっていく
プラットホームが消えていくと、とつぜんの深夜の客のように
もの悲しさが自分の正面の影のなかにあらわれる
窓ガラスの冷たさを吸い込んで
どこのだれのだか忘れたことばをもくもくと書いてみたり
秋の夜ふけすぎの、赤い矢号にて

 ……書いていてしんみりしてきた。いまはむしろ、日本国内でこうした旅情を感じさせるのは夜行高速バスかもしれない。

【撮影データ】
Nikon D300S/AF-S DX NIKKOR 16-85mm f/3.5-5.6G ED VR, SIGMA 17-70mm F2.8-4 DC MACRO OS HSM/Adobe CameraRaw/Adobe Photoshop CC 2018

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