2018年4月29日日曜日

【2011年8月】「ホームライナー鴻巣」3号、485系電車を撮る



■じつは……まだ不調なのです
 このところ体調不良がいまだに底を打たないので、いささか困っている。といっても、命に別状はない。関係各位、まことにあいすみません。親しいお仲間のなかには覚えていらっしゃる方もいるかもしれないけれど、以前入院したときのアレが再発してしまいまして。家での仕事はできるけれど、外出はできるだけ避けたい。今年に入って多忙で撮影できなかったあとに、こんどはこういう理由で撮影に行けないとは。まさか、7年ぶりにまたTopical steroid withdrawal syndromeが悪化するとは思っていなかったよ。withdrawal直後のあのときよりは症状は軽いけど、意外と近いレベルにまでどうやらなってしまうようだ。またアレをやるのかと思うと、ため息も深くなる。死ぬことはないけれど、見た目と暮らしに支障はあるよなあ。いつ安定化するようになるかだれにもわからないから。

 とにかく、そういう理由でやむをえず、数年ぶりに高崎線沿線の「ドクトル」のところに通っている。先日ももいささかものうげに高崎線の電車に揺られていた。大宮で乗り換えるのにたまたま高崎車両センター所属の485系電車「華」を見かけ、その走行音を聞いているうちにふと、7年前の夏から冬にかけて、当時走っていた「ホームライナー鴻巣」3号のことを思い出した。より正確にいうと、私の「ドクトル」が当時勤めていた「ダーチャ(ロシア語で「別荘」。ただし、文中での意味は「バリニッツァ」「ゴシピタリ」のこと)」にしばらく世話になっていたときに、しばしばその終着駅や手前の駅で列車を見に行くことを目的にしてほぼ毎晩散歩をしていた、あのころを思い出した。




 そこで、当時は携帯電話で撮った写真だったので、あの頃使っていたD2Xで撮った写真に差し替えつつ、加筆訂正してお目にかける。あのときは記事自体も携帯電話で打ったのだったっけ(遠い目)。筆者の勝手なセンチメンタルさです。すみません。なお、旧ブログで公開していて移行していなかったのと、いまでも私のdiseaseというかsicknessについてぼかした書き方をしているのは、「ドクトル」がネットに出たがらないからだ。以下の文中は2011年8月31日づけエントリーで、文中はいずれも記事初出時のものだ。ご注意ください。

■2011年8月、鴻巣にて
 あんなに暑かった夏ももう終わろうとしているとはっきり感じさせさせるのは、日没後に外に出たとき。肌をなでる風はすっかり涼しく、あたりでは秋の虫が鳴き始め、オシロイバナの香りがしたから。そんな秋の気配を感じさせる夜道を高崎線鴻巣駅に向かった。というのは、19時半頃にやってくる列車を見たいから。そうして駅に着いて列車を待っているあいだにも、秋の虫たちがさらにコーラスに精を出し始めるのに耳をすます。乗客の表情も、このあいだまで見られた暑さにうんざりした感じのそれではない。心なしか落ち着いているように思える。

 虫の声ばかり聞こえる夏の終わりの夕べの駅に懐かしい電車がやって来た。新潟車両センター(新ニイ)所属の485系電車K1編成。国鉄特急色をまとう特急マークも誇らしげな電車だ。列車名は「ホームライナー鴻巣」3号。今日も19時30分の定時に到着した。



■「ホームライナ鴻巣」とは
 くわしい説明は省かせていただくが、この列車は平日夕方に上野から鴻巣まで4本運転されていた高崎線の帰宅客むけ定員制列車である「ホームライナー鴻巣」号のうちの1本だ。上野からは宇都宮線の古河までの「ホームライナー古河」号という名の列車も2本運転されていた(2011年8月当時)。

 この「ホームライナー鴻巣」は1号、3号、5号、7号と「同古河」は1号と3号で、いずれも片道の下り列車のみの運転。4本運転されていても奇数である「1号」、「3号」、「5号」、「7号」という名称だ。もし上り列車があれば「2号」、「4号」、「6号」、「8号」もあるだろう。このうち、「同鴻巣」1号、5号、7号と「同古河」1号には上野口でおなじみ185系電車200番台が使われているのに、どちらも3号だけは2010年春のダイヤ改正までは急行「能登」の間合い運用としてJR西日本の489系電車ボンネット車が用いられることでファンには有名だった。

 2011年8月の段階では「能登」が489系ではなくなったために、新潟車両センターの485系K1およびK2編成が充てられていた。赤とクリームの国鉄特急色をたもち、かつては快速「ムーンライトえちご」に用いられていた6両編成で、上野方先頭車は半分はグリーン車であるクロハ481だ。ときおり、予備車として新潟方にクハ485形1500番台車の組み込まれたT18編成が代走したこともあったという。

 このホームライナーは前述のとおり「能登」の間合い運用であるわけで、金沢まで走る前のウォーミングアップ、あるいはアルバイト的な運用だ。早朝に金沢から上野に着いてから尾久の車庫でひと寝入りして、夕方ごそごそと起き出してホームライナーとして上野から鴻巣と古河まで一往復ずつする。客を乗せるのは下りだけで上りは回送のみだ。そうして、ウォーミングアップが終わってから真夜中に金沢へ向けて発つ、というパターンで運行されていた。2010年春に「能登」が臨時列車になってからもこの運用は変わらなかった。ただし、金沢までは毎日往復しなくなったので、「能登」の運転日はわかりにくいけど……なかなか新潟に帰れなかったよね、この電車。どうやら、「能登」の運転日にやっと車両が入れ替わるしくみだったようだ。まれに新前橋(当時)の185系電車200番台が代走することもあった。

 でも、185系電車ではなく新潟車両センターの485系電車K1およびK2編成が489系電車の後釜についたことは、国鉄形電車ファン的にはありがたいなあと思っていた。185系だって貴重なのはわかっていたけれど、田町(当時)にいた特急マークなしの183・189系電車ではなく、きちんと特急マークの残されている元特急形車両が毎日走るのが見られるのだから。いわば「平成23年に現れたる昭和の特急」だった。アラフォーオヤジには「子どもの頃に絵本で見ていた特急列車といえばこいつ」という感慨があるのだ。


■夜風を浴びながら
 都心に勤めているふだんの私はなかなかホームライナーを見に行く時間が捻出できなかった。ところが、たまたま記事初出時に一か月半ほど過ごしていた「ダーチャ」が運よく(?)高崎線沿線にあった。7月なかばから滞在を始めて、散歩に出ることもできるようにようやくなった。さらに、運動を推奨されているのに昼間に外出する勇気がなかった。そこで、なまった体を少しは動かすためにもホームライナーを見に夜の散歩に出たというわけだ。「ダーチャ」にこもっているとますます夜は眠れなかったから。

 住宅街とはいえ郊外の町なので、夜の7時半になれば駅も下り列車から降りてきた人たちくらいしかいない。上りホームも人は多くないので、のんびり上りホームで待つことしばし。そこへホームライナーはのそのそと速度を落としてホームに入線してくる。オデコの3つ目ライトが485系電車の印だ。きたきた。総員各個に引き付けてから撃て! 左舷、弾幕薄いよ、なにやってんの! という気持ちだ。というのは、ダーチャで小説版『機動戦士ガンダム』を読んでいたからだ。

 しかし、ファインダーの中で列車を追いながら思わずヘナヘナと腰砕けになったのが……列車は駅ホームに差し掛かったとたんに方向幕を動かしてしまう。ホームの中央を越える頃には「ホームライナー」幕どころか「回送」幕になってしまうのだ。運転士さんあと30秒待ってくれえ!

 まあ……回送幕でも仕方あるまい。ダーチャには門限があり、破ると「シスター」たち(ロシア語「メヂチンスカヤ・シストラー→メドシストラー」=ナース)にしかられてしまうから、これ以上は追えない。どこか上野寄りで撮れる場所を探さないといけないな。ともあれ、10分ほどの停車時間にあれこれ撮った。


 さて、湘南新宿ラインの通過待ちがあり、下り特急が通過するのを見計らってからK1編成は上野に向けて再び走っていった。赤い尾灯を眺めていたら、ダーチャにいるあいだに窓の外を過ぎていってしまった夏の日々を思い出した。私と関係なく季節が過ぎていくんだと思うと、すこしほろ苦い。

【撮影データ】
Nikon D2X/Ai NIkkor 50mm F1.8S/RAW

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