2020年6月25日木曜日

【JR鶴見線1991年】クモハ12とホキ2200がいた大川駅のこと


■薄力粉を買うたびに大川駅を思い出す
スーパーマーケットで日清製粉の黄色いパッケージの薄力粉「日清フラワー」を買うたびに、あるいは台所で炊事をする際に薄力粉を使おうと袋を取り出すたびに、JR鶴見線大川駅のことをよく思い出していた。

いまもおそらくそうだと思うけれど、薄力粉のパッケージに「日清製粉株式会社鶴見工場」という製造所名とともに、神奈川県川崎市川崎区大川町という住所が書いてあるのが目に入るから。この日清製粉鶴見工場はJR鶴見線大川駅前にある。

鶴見線にはいまでも本線からわかれる支線がふたつある。浅野駅から東芝の事業所のある海芝浦まで行く海芝浦支線と、武蔵白石からほぼ直角にわかれて大川まで結ぶ大川支線だ。この大川支線には首都圏最後の旧型電車であったクモハ12形50番台車が1996(平成8)年3月まで走っていて、それを目当てに鶴見線や大川支線に通っていた。

平成の時代まで戦前製の電車が定期列車の営業運転に残されていたのは、車体長が17メートルと短く単行運転が可能だから。鶴見線の本線から分岐する武蔵白石駅構内には急曲線とそれにあわせた大川支線用プラットホームがあり、鶴見臨港鉄道開業当初の中型車なら通過できたのだろう。その急曲線を戦後標準的になった通常の20メートル車体の72系、101系や103系電車などは通過できなかった。

そして、国鉄やJR東日本の標準から外れる、短い車体で単行運転可能な電車を新造するにはコストがかかりすぎて、利用者数をかんがみるとペイしないという理由だったのだろう。そういう理由で平成年間に入っていても1929年(昭和4)年製のクモハ12052(クモハ11210←モハ31018)と1931(昭和6)年製のクモハ12053(クモハ11256←モハ31088)が1日おきで運用にあてられていた。

その後、この問題はずいぶんと乱暴に解決された。車両を新造するのではなく、武蔵白石駅の大川支線のプラットホームを撤去して急曲線を改良するという思い切った手段によって、1996(平成8)年3月に103系電車に代替されたのだ。

そうなると武蔵白石駅には大川支線用のプラットフォームはなくなる。だから大川へ行く列車は武蔵白石と大川のあいだの区間運転をすることをやめて鶴見始発になり、本線内は安善に停車してからは武蔵白石を通過するようになった。その1996年3月のクモハ12形の引退以来、鶴見線を訪ねることはしていても大川支線や大川駅には足を運んでいないはずだ。ずいぶんごぶさたしている。


■基礎的な技術がなくもがき苦しむ青年期
少年時代に鉄道写真を写したポジフィルムをしまってある箱をなにげなく開けてみたら、1991(平成3)年9月に大川駅を訪問して撮影したときのカットが出てきた。使ったフィルムはPKR(コダクローム64プロフェッショナル)だ。

そのころの私はすでに「ベタ順光のふつうの編成写真は撮りたくない」「自分だけの写真術を身につけたい」などと思いつつも、それ以外の撮影方法を身につけてはいなかった。そういう意気込みはもちろん大切だ。ところが、なにをするにも基礎的な知識と技術の習得が大切なのに、そのどちらも身についていなかったのだからなかなかうまくはいかない。そう思うと思春期とか青年期とはつらいものだ。きっとそのことは自分でもぼんやりとは気づいていたはずだ。

だから、列車以外のものもなんとか撮ろうとしていた。列車は来なくても夏の終り、もしくは秋の始まりのころの日差しがすごく魅力的だったから、退屈な待ち時間に感じた鶴見線の印象を写したいと思ったようだ。それで、踏切を渡るバイクや斜光線の当たる古い工場などを写した。縦位置の写真は戦時中に米軍の機銃照射にあった鉄橋だったはずだ。並行する道路橋からも穴が見える。

ただし、鶴見線沿線自体が古い埋立地の工業地帯を走る路線でもあって、どちらかというと楽しい雰囲気を漂わせる路線ではない。時代の変遷や工業化の歴史というものに興味や関心がないと、古くさくて殺伐とした場所に見えるかもしれない。貨物輸送も減り、沿線の学校の合併や企業の移転などでなおさら活気あふれる場所には見えない。かの国道駅も修繕されないで傷んでいる感じを見るのは気分がよくはない。ちょっとさみしげに見える。そのことも鶴見線から足が遠のいている理由かもしれない。荒れている姿を見たくはないのだ。

そのせいか、現像したポジを見てもあまりおもしろくないと思ったらしい。それで、ずっとこのポジはしまいこんでいた。撮影した本人もときどき見返しては忘れていた。


■平成時代にしても古めかしい
さて、1991(平成3)年9月上旬にどうして鶴見線にPKRをつめたカメラを持って出かけたのかという理由はもう思い出せない。天気がよいからひさしぶりにふらりとクモハ12形電車を見に行こうと思ったとか、おそらくはそんな程度の理由だろう。当時は都内に住んでいたから、川崎や鶴見もいまよりも通いやすかった。ただ、すでにそのころから武蔵白石〜大川を走る列車は朝と夕方だけだったと思う。それでもいまよりはまだ運転本数はあったはずだ。

ながらく大川駅へ足を運んでいないのは、列車の運転本数が極端に減便されて朝晩のみの運行になったからだ。もっとも、武蔵白石から大川までは線路沿いを歩いても1キロ程度だ。川崎鶴見臨港バスが川崎駅を結んでいるので、鶴見線の列車がなくてもあまりこまらない……周辺の工場に勤務するみなさんもそう思っているだろうからなお鶴見線の利用が減るという悪循環がありそうだ。大企業は自社で送迎バスを用意しているようだ。列車では鶴見までは行きやすいものの、川崎には浜川崎と尻手で乗り換えを強いられるためにアクセスしづらい。大川駅だけではなく鶴見線の各駅はすでに無人化されてひさしく、そっけない駅だった。

それにしても、1991(平成3)年とはいえクモハ12も沿線のようすも、平成年間とは思えないほどとても古めかしく見える。


■いまならもっとうまく撮れるのかなあ
1991年9月のころはまだ大川駅発着の貨物列車があった。もっぱら目についたのは日清製粉発着のホキ2200形貨車だった。クリーム色の車体がめだつからだろう。1997(平成9)年にこの日清製粉関連の貨物列車は廃止になったという。

また、2008(平成20)年までは昭和電工の事業所発着のタンク車による貨物列車もあり、係員が手で押して事業所に搬入していたという。鶴見線に通っていたころにはそのことをまったく知らないでいた。私がいつも目にして知っていたのは、日清製粉発着のホキ車が常駐していることだけだ。この日は列車を待つあいだにホキの車体にうまく日があたっているのが好ましいと思って撮っているようだ。

いま思えば、たとえば大川支線を行く貨物列車を撮ろうとなぜ考えなかったのだろう。武蔵白石駅構内で写した1枚があるだけで、大川支線内ではないのだ。『鉄道ダイヤ情報』誌はすでにあった。けれど『貨物列車時刻表』のようなものは一般に市販されてもいなくて、携帯電話もインターネットもない時代とはいえ、あきらめがよすぎる。私はクモハ12形電車や101系電車にしか関心がなかったから、なおさら調べるということをしなかったのだろうか。

中学生くらいまでは鉄道誌にある読者投稿欄などで、なにか特別な列車が運行されたという知らせを見るたびに、どうやってそういう情報を事前に得ることができるのかと、そのころは不思議に思っていた。大学の鉄道関連のサークルや鉄道友の会などに所属しているひとたちには、鉄道関係者や鉄道会社に勤務する親しい先輩などから運行情報がまわってくることがときにはあるらしい、ということをのちに知って「そういうことか」と思った。だが、私自身は鉄道関連のサークルに所属することはしなかった。

高校や大学時代には写真関連の部活には所属していても、濃厚な人間関係を強いられる可能性のある場所を私をいま思うと無意識に避けていた。そこまでの熱心な探究心と行動力がなかったのだろう。そして、鉄道の知識を得ることよりも、そこで得た印象を写真にすることのおもしろさのほうに開眼したからいまの自分があるともいえる。暗室作業は誰よりもうまいという自信だけはあったから。

こうして見ると鉄道を撮るにも車両についてだけではなく、歴史などのさまざまな知識と、写真の基礎技術が必要なのだということをいまあらためて思い知る。少なくとも知識が多くあればあるほど、視点が立体的になりえる。このころはそれでも『鉄道ピクトリアル』誌の鶴見線特集は読んでいたはず。

それでも、知らないでいたために、あるいは思いつかないでいて絵にできなかったことがたくさんある。もちろん、知識と技術を身につけて、そのうえで意欲や独創性もほしい。

人生とはきっとひたすら勉強しつづけるべきものなんだ。長々書いて結論が常識的でおかしい。


そして、PKRの狭いダイナミックレンジを印刷原稿に向く露出やライティングで撮影していたむかしのプロカメラマンはほんとうにすごいと思わされる。印刷現場で四色分解する製版の現場にも職人みたいなひとがいたのだろう。露出アンダーのPKRは民生用途のスキャナではじつにデジタル化しにくい……というよりも私のレタッチテクニックがまだ足りない。マルチサンプリングスキャンをしてもディープシャドーは救出できない。HDRのようにスキャン時の露出を変えてPhotoshopで合成するほかない。

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【撮影データ】
Nikon F-301/AI Nikkor ED180mm F2.8S, Sigma 28mm F2.8/PKR