2021年9月24日金曜日

【秩父鉄道5000系】秩鉄5000系電車のことをあれこれ思い出す日々


■元都営地下鉄6000形である秩鉄5000系電車を思い出した
秋雨が少々落ちつき好天の日が続いている。まだ台風シーズンは終わってはいないだろうから、警戒を緩めてはいけないだろうが。だいぶ日も短くなり、秋の虫の声も聞こえるようになり、秋の訪れをいやおうなしに感じさせる。もう9月も終わりだものね。

私は残念ながら8月末からほとんど家にいた。蒸し暑さのせいかひさしぶりに調子を崩してしまったからだ。いろいろと不義理を各方面にしていてもうしわけない。さいわい、昨今流行っているあれではない。そして、数年前に入院したときほどにはひどいわけではない。

だが、あれもああであることから、いろいろとわずらわしく思えてなおさら大人しく家にいた。呼吸器疾患による基礎疾患者であるために、ありがたいことにあれのワクチンは少し早めに7月末に2回キメさせてもらっているから、9月になったら出かけられるかとは思っていたのだけどな。夏どころか9月も終わっちまうぜ。

そういう理由でまたまた昔撮った写真を眺めていて、ときどきここで書いているくせに、秩父鉄道5000系電車をあらたに撮り溜めたいなどと考えていたのだった。



■ステンレス車体といえば近未来的な印象があったのに
この電車の基本的な性能などについては過去のエントリーにさんざん書いたのでここでくわしくは述べない。秩父鉄道に東京都交通局から譲渡されたのは6000形のうち、1972(昭和47)年増備車で京王重機整備で冷房改造がなされた車両なのだそうだ。元東急7000系電車であった18メートル車体で非冷房の2000系電車の代替として1999年に導入され、以来秩父路で日々走り続けている。

この電車は当時増備されていた営団地下鉄5000系電車と基本スペックが類似しているようで、抵抗制御で100kwの主電動機を備える。どうやら主電動機の性格はことなるようだが、国鉄101系電車であった秩父鉄道1000系電車とは出力は変わらない。秩父鉄道の羽生から熊谷を経て三峰口に至る路線は、下り方向にかけてところどころに勾配こそあれ、ほとんどの区間ではそう急峻ではない。積車では下り勾配であり、上り勾配を空車で登る鉱石貨物列車にずっとD形機関車が用いられていることからもそれは想像がつく。5000系は長く用いられているところを見ると、性能的にも秩父路を走るのにじゅうぶん適しているのだろう。

さらに4扉ロングシートであること、乗り入れ予定だった東武東上線にあわせて踏切事故に対応して高運転台であるところも、秩父鉄道には好都合だろうか。

足元を見ると関東ではめずらしいシュリーレン式台車をはき、ずいぶんどっしりとした足もとに見える。枕ばねは空気バネだ。いつも思うけれど、1000系電車ほどではなくてもガタピシという感じの音をたてて走るように思える。空気バネ台車なのに。窓やドアが揺れて発する音だろうか。



■「抵抗制御のスキンステンレス車」と思うと希少価値がある
ステンレス車体ではあっても外板だけで骨組み部分は鋼鉄製のスキンステンレス車だ。1960年代から70年代にはまだステンレス車体は製造コストもかかったようだ。だから、ステンレス車体の車両は大手私鉄と大都市の地下鉄の車両という印象が自分にはいまだに強くある。そのせいか、1980年代の少年であった私にはステンレス車体というのはどことなく未来的な印象を感じさせた。

それがステンレス車体の製造技術向上と軽量化志向により、いまやコルゲート板を持つステンレス車体の車両はだんだん数を減らしてきた。抵抗制御という制御方式も消費電力の少ないインバーター制御に置き換えられつつある。主電動機も構造が単純な交流モーターを使用するものが主力だ。だから、意匠的にも機構的にも2021年の段階では「少し前の時代の電車」になってしまった。

インドネシアに譲渡された車両は引退し、熊本電鉄の車両も置き換えが進んでいるから、秩父路を走る3編成には希少価値が生まれつつある。




■薄暮のシーンをもっとねらってみたい
もっとも私自身は典型的な文系男子のひとりといいますか。情緒押忍! とでもいおうか。理系的に機構上な希少価値から写真に残したいというよりも、白熱灯の前照灯や方向幕を持ち、角ばっていて1960年代ふうの外観の意匠を持つところに好感を抱いている。少し古いものが好きだからとか、そういう感じ。軟派なものでね。

1000系電車が主力のころには、この電車が姿を現すと舌打ちしたこともある。それは正直に認める。都営三田線に親しんでいた友人や私鉄電車好きの友人は、1000系電車が現役だったころからこの電車を好んでいたから、私の目が曇っていて「坊や」だったということの証拠だ。

1000系電車が姿を消してずいぶん経っても元気にこの電車が走る姿を目にすると、その姿をもっとかっこよく撮っておきたいと素直に思えるようになってきた。我ながらずいぶん現金だ。ずいぶんつきあいが長くなってきて見慣れたけれど、あいかわらず頑張っているなあというような、ちょっとした敬意を持つようになったというべきか。



それなりに撮っているものの、この電車だけをものすごく重視しているわけではなかったという私の冷淡さは、いまとなって仕返しされているかのようだ。被害妄想だけどさ。昨年からはとくになかなか秩父鉄道沿線を訪問できず、かつ訪問しても減便されているために、3編成のうち1編成程度にしか遭遇できないのだ。遭遇しても影森で入庫中の姿とか。

しかたがない。推しがいなくなって二番目の好きぴだったから、という理由で「推し変」をしていたら、相手にしてもらえなくてもそりゃあ当然だよな、生身の人間だったらさ。

ま、電車だから人間ではないのであれだ。そういうわけで、機会を作ってもう少し撮りためていきたい。薄暮のシーンをもっと撮りたいんだよな。しかし、この電車のことを書くといつも同じことを書いているよね、私は。

【撮影データ】
Nikon D2X, D7000/AI AF Nikkor 24mm f/2.8D, AI AF Nikkor 50mm f/1.4D, AI Nikkor 85mm F1.4S,Nikkor-Q Auto 135mm F2.8, AI AF Zoom-Nikkor 80-200mm f/2.8D ED <NEW>, AI AF Nikkor ED 300mm F4S (IF)/RAW/Adobe Photoshop CC

5000系ではなくて7000系列車内でしか表示できないけれど、おまけ