2022年6月25日土曜日

【西武国分寺線撮影記事】たそがれどきの駅前通り(その2「駅前通りの情景」編)


■西武国分寺線のとある駅前通りを主題にしたバージョン
西武国分寺線にある、駅前通りが素敵な駅周辺をスナップショット的に撮った写真をまとめる話の続きだ。前回のエントリーでは「2000系初期車が走るようす」を主題にして、駅前通りはその雰囲気を描くための、いわば「添えもの」として考える組み合わせをお目にかけた。

今回はむしろ、駅前通りのほうを主題に描く組み合わせをお目にかけたい。


カメラはあいかわらずNikon DfとD7200、AI AF Micro-Nikkor 60mm f/2.8DとAI AF Nikkor 180mm f/2.8D IF-EDだ。こういう絵をかの海外製距離計連動式カメラでさらっと撮影できたらカッコいいね。でも、どんなカメラでも撮影できる絵柄かも。むしろ、距離計連動式カメラでは望遠レンズが使いにくいか。

先日、M-ROKKOR 40mm F2でクラシックカーを撮影された南雲暁彦さんの写真を玄光社のウェブサイト「カメラファン」で拝見して、心底しびれた。作者の被写体の切り取り方がとても素敵なので、なおのこと魅力的なレンズに思えるところはすごい。広告写真家さんたちの腕前にはしびれてしまう。カメラボディの絵作りか、作者の手による繊細なRAW現像のおかげもありそうだけど、M-ROKKORレンズは球面収差のバランスのためか、なんともいえない描写をする。色のヌケはよろしくはないが解像感はある。自動車のボディなどの光沢のある部分の描写に、独特の質感が感じられる。こぶりな外観も素敵だ。

そういう特性を使ってじつに魅力的に撮影された写真を拝見すると、プロの技(まさしく「アート」)だと感心するし、自分もそういうふうに撮ってみたくなる。私の場合は鉄道沿線のなにかで、そういうことができないかと夢想する。家にある古いニッコールレンズでもできないかな、とも。

少しクラシックな機材が好きなのに、自分には肝心の「クラシックな描写」をいまだにうまく使うことができない。明快な描写をする機材や現像方法、絞り値を選んでしまう。作例として必要な写真以外には、ぼけをいかした写真をあまり撮らないし。私はレンズグルメではない自覚がある。だって「レンズの味」なんてわからないもん。

広田尚敬さんのセリフか、それを名取紀之さんがかつてブログで書いたものだったか。「ハッセルブラッドやローライフレックスのプラナー80mmは人物撮影には向くが、鉄道車両にはむしろテッサー80mmのほうが適切だ」という記事を読んだことがある。おそらくはこれも球面収差の残し方による、ピントの合った部分の解像感とぼけについて述べているのだろう。プラナー80mmのぼけのやわらかい美しさだけはむかしパートナー氏が手に入れたハッセルブラッドをファインダーでのぞかせてもらい、わかるつもりではいる。それ以外は「ほう。そうなんですか(同意も不同意もせず)」というところ。体感としてわかっていないのだ。

でも、クラシックなレンズ描写をうまく生かした作画も自分の技術のひとつに習得できるように、いろいろとやってみようと思うのだ。アーニャがんばるます!


■車両をはっきり見せないほうが「スカした感じ」にできるかも
今日のバージョンは前述のように、列車を「あえて」はっきりわかるように写していないカットばかりを選んでいる。だからでんちゃが好きなテツのみなさんをいらいらさせ、退屈させてそっぽを向かれる写真であることは想像がつく。

このバージョンは「西武2000系電車」を主役にはしていない。「駅前通り」が主役で、そこを走る「2000系電車」は脇役だ。だからこれは、鉄道ファン向けではない一般の媒体で旅や旅情について記すテキストとともに見せるための絵柄だ。ただし、下町的な人情を描きたいわけではないので、意図的に人物をおもには写していない。インターネットで公開することを考えたからでもある。

車両がはっきり見えないと、ヲタ的にはじらされる感じもするだろう。うん、じらしているんだよ。だが、そのほうがより「スカした」感じの写真にできる気がする。私もカッコいいスカした写真を撮りたいんだよ。あは。一時期、このブログに列車の写真が少なかったのはそういう理由さ。

それはもちろん冗談だけど、私はどんなものでも、被写体を図鑑的にわかりやすく見せる写真を撮りたいわけではない。そういうのはほかの方におまかせして、自分はその場で感じた情緒や気配、雰囲気といったものを表現したいのだ。


■泣く泣くボツにしたカットも
さて、組写真を考えるには、できれば事前に絵コンテを書くくらい計画的であるほうがいい。ただし、そうはいっても撮り始めてみないと、当初の予定のようにうまく組み合わせができるかどうかはわからない。ただ、撮影に慣れると事前予想の精度が高くはなっていくし、それにあわせて被写体や撮影場所、時期や天候、光の状態を選んで撮影に行くようになる。

そして、撮影を始めてからもこの事前の絵コンテを念頭に置きながら、同時に柔軟に修正しつつ撮影を進めていくほうがいい。絵コンテをまったく無視するのではなく、絵コンテに従いつつ現場でのアレンジを加えたカットも撮り進めておくこと。現場のインスピレーションも取り入れるべきだが、撮影後に冷静に振り返ると、そうたいしたものではないこともあるからだ。


もっとも難しいのが撮影後の写真の選択だ。1日の撮影だけでうまく組写真が仕上がることは私には少ない。数回以上撮影してみないと、なんらかのストーリーをもの語る組写真に仕上げることは私には無理だ。そしてRAW現像まえにすべてのカットをAdobe Bridgeで閲覧して、ラベルや☆をつけながら現像をするカットを決める。

そうして選んでから数日は放置して、冷静になってから「厳しいチェック」を行い、ピンぼけやぶれているカット、タイミングの悪いカットからはラベルを外す。つまり、興奮を覚ますためにも写真のチョイスには数日は時間をかけたほうがいい。

冷静に自分の写真を振り返ることは、練習をしないととてもむずかしい。練習をしてもむずかしい。あなたがもし写真集を作るときには、編集者がいるほうがいい。Kindle電子書籍『プロの撮り方』シリーズを制作するときには、信用できる編集者の仲間に写真のチョイスをまかせた。それができないならば「撮影時の思い入れ」をすぱっと忘れて、「写真の絵柄が主題にふさわしいか」「組み合わせて違和感がないかどうか」をかなり冷徹に観察しよう。

写真を見るひとにとっては「よほどの理由がないかぎり『撮影者の思い入れ』には関心を持たれない」という、とても残酷だが冷徹な事実をいったん受け入れたい。たいていの観客にはそのひと自身の思い入れにだけ関心があり、「撮影者の思い入れ」には価値がないのだ。だから、見るひとの視点を考えることができればいい。

それがとてもむずかしいことは承知のうえだ。

大切なのは、ストーリーや流れを考えることと、全体の調子を考えることだ。どんなに思い入れがある写真でも、組み合わせてみて異質に思えるカットは取り除く。すぐれた組写真にするには「好きな写真」を集めるのではなく、複数の写真を集めて「何を描くか」をよく考える必要がある。また、時系列で並べるのもおもしろみがなくなる。なにかの記録ではないならば時系列の順番は無視してもいい。

事前にコンテを作るほうがいいというのは、こうした「何をどう描いてどう見せるか」をきちんとつきつめて、効率的に撮り進めるためだ。

■見せる媒体によっては縦位置と横位置の使いわけを

今回は自分のブログ記事のためだし、パソコンのモニターで閲覧することを意図して写真を選んでいる。だが、スマホでの閲覧をおもに考えるならば、むしろ縦位置の写真のほうが大きく見せることができる。すでに、スマホの普及により、従来は考えられなかった縦位置動画がTikTokの流行とともに定着しつつあるように。

写真集や雑誌の誌面の掲載を考えるならば、横位置での裁ち落としでの見開きページでもっとも大きく見せたい写真を扱いたいし、扉ページは縦位置の裁ち落としを使うことも考えたい。また、見開きでページのノドになる部分や、扉ページで文字が入る部分を考えながら作図することになる。具体的には、人物の顔などの主役となる被写体の中心にページのノドが来ることは避ける。そう思うと日の丸構図の写真は見開きにしにくい。

また、大きく伸ばしたい写真には、ぼけた部分を多くしないほうがいい。たとえば、つねに絞り開放でばかり撮影していると、大きく伸ばすとまぬけに見えることもある。絞りを開いてもピントが合って見えるように、被写体に向き合うさいに向きを考えて工夫することも必要だ。

つまり、発表する媒体や使用目的によって構図や撮影方法も変わる。写真の奥の深さはこういうところにもある。撮影時に意図していない使われ方をするのが、撮影者としてはいちばん困惑するよ。

雑誌媒体で仕事をする職業写真家は、ページ構成やレイアウトを考えながら撮影している。具体的には、以下のようなことを考えながらカメラを構えている。見開きで使うにはこの部分をノドにかからないような構図にしよう、列車の進行方向や人物の視線の方向をどうするか(人物の顔の向きはノドの方向に合わせる)、文字はここに入れてもらえたらいいなあ、タイトルページやいちばん最初のページのイメージカットはこれだな、決めの写真がまだ撮れないから帰れない……というふうに。

むかし流行した『マディソン郡の橋』にも、Nikon Fを使う写真家の男が文字の入るスペースにアキをもたせて撮影するというシーンがあったはずだ。


最後に載せた4枚組はA4の用紙に配置したものだ。なお、白フチは太めのほうがしゃれて見える。もともと、印画紙の白フチは現像時に現像バット内で現像バサミで挟む部分だし、乾燥させる際に絵柄を傷つけないために設けるものだ。万が一、白フチの部分だけが変色しても切り落としてしまえばいい。そのためにも、やや太めに設けることになっている。

このフチ、あるいは写真展でのオーバーマットの大きさや幅も研究の余地がある。白フチを大きくしすぎると、絵柄の部分が小さくなってしまうので、せっかくの写真が行儀よく、おとなしく見えてしまうこともある。雄大な写真にはフチを大きく設けないほうがいい。リバーサルフィルムのダイレクトプリントのように「余黒」を設ける方法もある。

このあたりも正解があるわけではない。だから、できるだけたくさんの写真展や写真集を見て、そのあたりを体感するほかない。ふだんからいろいろな写真を見て、同時にいろいろなひとに自分の写真を見てもらい、感想を聞くことは写真撮影とともに見せ方の勉強にもなるはずだ。

【撮影データ】
Nikon Df/AI AF Micro-Nikkor 60mm f/2.8D, AI AF Nikkor 180mm f/2.8D IF-ED/RAW/Adobe Photoshop CC