2010年9月14日火曜日

【つくばエクスプレス乗り鉄記事】子連れ鉄、コスモ星丸に会う

(私)「速いね!」
(我が子)「いまなにえき?」 
(運転士)「流山パーク、通ぅう過!」
(私)「流山セントラルパークだって。わ、120km/h越えたよ」
(我が子)「ながれやまぱーく、つうーか!」 

我が子と筑波まで出かけてきた。なんでも、我が子は中井精也さんと山崎友也のさんの『ぜんぶわかる東京の電車ものしり図鑑』を見ていて、つくばエクスプレス(以下、TXと略)乗りたくなったのだそうだ。 考えたら私も、TXは流山セントラルパークより上り方向にしか乗ったことがないから興味がある。そこで、我が子の思いつきに乗ることにした。


武蔵野線で南流山まで行き、TX南流山から区間快速つくば行きに乗る。裾が膨らんだ日立A-Trainなんて我らが沿線の西武笑電30000系みたい。我が子の希望で運転席の後ろで「かぶりつき」することに。ただし、我が子はまだチビなので抱っこだ。窓まで背が届かないからしかたない。

(私)「速いねえ、線路がいいんだな」 
(運転士)「守谷、2番停ぃぃい車!」 
(我が子)「もりや、にばんてぃぃしゃ!」

 え、守谷ってこんなに近かったっけ? 昔は守谷に来るには関東鉄道と常磐線を乗り継がないといけなかったのが、TXだけならあっというまでこりゃ早い。これでは関東鉄道も客が減るだろう。もっとも、うちからTX沿線に来るまでが遠いけどね。 

電車はあっという間に終点つくばに到着。なんだか駅のコンコースに見覚えがある。とか思いながら我が子とうろうろする。エキスポセンターなんてのがあるの? 行ってみるか、と地上に上がってびっくり。つくば駅周辺って都会じゃん(市民のみなさん、まことにあいすみません)。

それにしてもなんだかどこかで見たことあるような。

ロータリーのLOFTの黄色いロゴを見ながら思いだした。そうか、韓国の大田(デジョン)だ。駅コンコースは大田地下鉄(大田都市高速鉄道1号線)の市庁(シチョン)駅を思い起こさせるし、新世界百貨店グループのE-MARTだってLOFTのロゴを彷彿させない? だいたい、大田は93年にEXPOの開催地になってから「EXPOの町」として有名なのだ。TX(つくばエクスプレス)は首都と筑波を結び、KTX(韓国高速鉄道)は首都と大田も結ぶ、と。ははは、偶然なんだか似てる要素がいっぱいあるかも。もっとも、筑波には大田の万博公園みたいな広い公園はないけどね! 

などと考えながらエキスポセンターへ子どもと行ってみた。町並みは練馬の光が丘団地にも似ている。要は新しい町はどこも無国籍風ってことだ。オレンジ色のH-IIロケットが見えるので、そこがエキスポセンター。 

あー、そういやモスクワのヴェーデーエヌハー(ВДНХ:VDNKh)「ソ連国民経済達成博覧会」いまのヴェーヴェーツェー(ВВЦ:VVC「全ロシア博覧センター」)には「ヴォストーク」やツポレフ154が展示してあるけど、どうしてこうロケットの「偉容」とか「国家の威信」を示そうと展示してある場所って、みんな「つわものどもが夢のあと」みたいな寂しい感じがするんだろう。

万博なんて、19世紀から20世紀のイベントだってことじゃないかな。ハコモノを建てて展示するなんて、時代遅れなのさ、きっと。 

そんな「シニカルモード」でエキスポセンターに入ろうとして驚いた。ああああっ、えーとなんだっけ、そうだ、コスモ星丸じゃあああん! コスモ星丸と再会するとは。筑波科学万博って1985年……25年前なのか。

そう、当時小学生の私は両親に連れられて25年前に来たんだ、筑波科学万博に。常磐線の牛久と荒川沖の間の臨時駅(「万博中央駅」)が設けられて、常磐線の401、403、415系近郊電車は小豆色から白に青帯の小田急線みたいな塗装に改められたんだ。私、万博に行くときに上野駅で写真に撮ったはず。で、万博中央駅から会場までは連節バスが走っていて、会場にはリニアモーターカーが走っていたんじゃなかったっけ? 懐かしい。あの頃思い描いた「未来」はどこへ行っちゃったんだろう。 

さて、エキスポセンターのプラネタリウムには宇宙ロケットの模型があって、そこにスペースシャトルとスペースシャトルそっくりさんのソビエトのブランの模型を見たり。ま、あいつらなんて国がなくなっちまったんだもんな。

そういえば、私のロシア趣味もきっかけは筑波科学万博だったりする。

当時、ソビエト防空軍によるサハリン沖の大韓航空機撃墜事件が直前にあって、ソビエトという国への日本国民の感情は最悪で、万博の巨大なソビエトパビリオンには訪れる人も少なかった。

でも、満員のアメリカ館の人ごみと暑さで嫌になった少年の私は、人気(にんき)も人気(ひとけ)もないソビエト館がとても気に入ったのだった。実に理由が小さい。

でもそこでは、第二次大戦にドイツ軍によって廃墟にさせられた町を写した映画が暗い音楽とともに繰り返し上映され、「平和をめざそう」というメッセージらしいけど非常に暗い気持ちにさせられる展示で、面白くもなんともない展示をずっと流していたものだ。そこでもらったリーフレットも「原子力は完全燃焼させれば廃棄物も少ない安全でクリーンなエネルギーだ」「眼科手術や心臓手術は最先端だ」とソビエトの科学の進歩が謳われているのだけど……どうもモノクロ印刷で野暮ったくて。おまけに、その安全でクリーンなはずの原子力発電所が翌年に大事故を起こすのだから洒落になっていない。

「悪の帝国『ソ連』ってどんなところなんだ?」 

本当に「先進国」なのだろうか。本当に「悪の帝国」なのか。少年の私はとても不思議に思ったものだ。いまは「ロシア」を仕事にしていないけど、大学時代に留学もして勉強までしたのだから、そのきっかけとなった少年の記憶力と好奇心はバカにはできない。だから、こうして連れてきた我が子だって、なにに興味を持って大人になるのかはわからないもんな。 

エキスポセンターをうろうろしていたら、私と同じくらいの年齢の子連れの親たちが、あちこちでコスモ星丸や筑波科学万博の写真、展示物を見て歓声を上げている。「なつかしいー」「ママ来たのよー」だなんて。あの頃の明るい未来に満ちあふれたニッポンの国はどこへいっちゃったのかわからないけど、でも、「楽しかった記憶」「家族とともにいた記憶」っていうものはこうして次の世代へつながっていけば、なによりもいちばんの「希望」ってやつになるんじゃないのかな……。コスモ星丸にすっかり感傷的になっている私は、ちょっとかっこつけてみた。 

さて、帰りもTXに乗った。帰りも我が子を抱っこで運転台の後ろに立つ。あの、JRや私鉄の各社の皆さん。運転台後ろの窓と手すりは3歳児くらいでも見られるようにするか、踏み台を設けていただけませんかね(^_^;)。そうしたら、子どもに鉄道会社は好感度はさらにアップすると思いますよ。未来の鉄道利用者の子どもたちに愛されるようにぜひご検討くださいまし。