2018年11月21日水曜日

【2018年夏関西リハビリ鉄記事】チン電でプチ旅 阪堺電気軌道沿線散歩 その4. 浜寺駅前についに到着

天王寺駅前にモ501号車キター!

■もう冬ではないですか
阪のカメラのおっちゃん、というつもりで大阪に滞在していたころの写真をみなさんにお見せしている「関西リハビリ鉄記事」シリーズも、まだまだネタがある。ところが、帰宅後の「カメラおじさん」がうっかりしているあいだに、季節は確実にその歩みを速めていて、 窓の外にはもはや晩秋というべき風景が広がっている。あの木の最後の一葉がなくなったら……どころか、枯れ枝にクリスマスイルミネーションが這わされているようなていたらくだ。というわけで……と書くと、非論理的で大きく飛躍しているけれど、時の流れの速さにぼんやりしとったらあかんっちゅういいわけや。この「カメラのおっちゃん」がチン電の浜寺公園前にたどり着いた話を今日はやっとするで!


■話は住吉祭の日にさかのぼる
7月終わりに、阪堺電車(もしくは阪堺電気軌道。以下、阪堺電車あるいはチン電と略)の堺市内の紀州街道ぞいの線路、具体的には大小路や宿院のあたりは、滞在先から直線距離で5キロ程度しか離れていないことを知った。滞在先からまっすぐ歩くと阪和堺市駅を経て、花田口にたどり着く。その経路には南海バス布忍線も走っていたので、それもよく利用した。

そうして阪堺電車沿線に通いはじめて、7月30日から8月1日は住吉祭であることを知ったというのが、前回までのあらすじだ。この住吉祭の開催を私は享受することにした。というのも、この日は阪堺電車全線にわたって、列車が増発される旨が事前に発表されていたからだ。そして、その日であれば阪堺電車の浜寺公園側に行っても、列車を待つ時間がすこし少なくなるだろうし、モ501型や351型といった、昭和30年代ふうデザインのおでこライトの電車も撮りやすいのではないかとにらんだ。

そこで、あらかじめ滞在先には夜までの外出届を出して、まずは天王寺駅前に来てみると……さっそくオレンジ色のモ501号車が現れた。わお! ええやんか!

お祭りなので混雑してる

お祭りの日だけあって、天王寺駅前停留所もいつもよりもずっと混んでいる。車内も朝晩のラッシュアワーみたいだ。こういうときには「あずまびとには強すぎる」などと以前に書いた強めの冷房がありがたい。そうして出発した電車は途中の住吉と住吉鳥居前の両停留所で大半のお客を降ろして、さらに先へ進んだ。窓から見ていても、住吉大社にはたくさんの参拝客がいて、それを撮るために、もちろんお祭りを見るためにも降りようかな……とまよったものの、今日こそは終点の浜寺駅前に行くと決めていたので、まずはそちらを果たすことにする。どうしてもなら、そのあとでお祭りを見に来たっていいのだし。

■大阪のコニーアイランドみたいなところだったんだって
いつも書いているけれど、阪堺電車の楽しいところは、車窓風景の変化が私のよく知っている都電荒川線と比べると大きいところにある。天王寺駅前の大都会ぶり、それもいまやあべのハルカスもあるような、メガロポリス的な風景のなかを走るかと思えば、帝塚山の高級住宅地を抜け、住吉大社の前は明治時代の開業当初のようなままだ。住宅地のなかの専用軌道を走りながらも、沿線が海に近いために大和川や石津川などの大きな鉄橋もある。堺市内の紀州街道ぞいのように、たいへんよく整備された専用軌道区間もある。この、いろいろな絵柄をねらうことができて、車両の種類も豊富であるところに魅せられる のだ。

そうしてたどり着いた浜寺駅前停留所は、 いまではなんとなく唐突なかたちで住宅地のなかにある終点に見える。ところが、明治の終わりから昭和のはじめまで、ここはまるでニューヨークのコニーアイランドのような、海に面した一大レジャースポットだったのだそうだ。コニーアイランドには行ったことがないけれど、ほら、海沿いの板張りの遊歩道があってルナパルク(遊園地)がある、あれですよあれ。大阪のひとたちがチン電に乗って泳いだり海を眺め、あるいは松林の立ち並ぶ公園を散策しにくる場所だったというのだ。

ついに終点の浜寺駅前におっちゃんは着いたで!

駅前の松露だんごのお店福栄堂。この夏は通ったよ

■たいせつなのはストーリー、かも
浜寺公園は堺から高石にかけての高師の浜(たかしのはま)に作られた日本最古の都市公園なのだそうで、そこにあった松林がいかされている。南海本線浜寺駅と阪堺電気軌道の浜寺駅前停留所は公園すぐそばにあり、明治時代終わりにそれぞれが開業したころに写された写真を見ると、行楽客でにぎわう様子がわかる。関東圏に住む私たちには、小田急江ノ島線片瀬江ノ島駅から、江ノ電江ノ島駅にいたるあの雑踏を想像すると、きっと浜寺公園の当時の様子に近いのではないか。

公園にはその頃、南海電鉄と毎日新聞社が経営する海水浴場があり、料亭が並び、公園周辺は別荘地でもあったのだそうだ。そして、阪堺電車そのものも、大阪と堺を結ぶインターアーバン(都市間連絡鉄道)だったという。その時代の賑わいを見てみたいものだ。

そんな様子が一変したのはどうやら第二次大戦後のようだ。進駐軍の接収が解除されてからまもなく、堺泉北臨海工業地帯の建設に伴って海岸が埋め立てられ、浜寺公園は海から離れてしまった。工業地帯のおかげで雇用の創出と高度経済成長がなされたとは言えるし、その恩恵を受けて私たちは暮らしてもいるはずだけれども……後世の人間である私には白浜青松で知られた高師の浜の頃を見てみたかった、という気持ちは完全には拭えない。

などと思いながら浜寺駅前に降り立つと、福栄堂という和菓子屋さんがあり、店前で麦わら帽子を被ったお姉さんがかき氷を売っていた。お客さんに愛想よくかき氷を売る姿に、なんだか話しかけてみたくなり、私もかき氷を買った。彼女いわく、お店はその明治40年に創業し、松露だんごといえば浜寺公園みやげとして有名らしい。店の看板は創業当時のものなのだそうだ。

おいしいかき氷を食べながら阪堺電車の停留所を眺めていると、浜寺公園からプールバッグを持った小学生たちが電車に乗り込んだり、停留所に着いた電車からも降りてくる。お姉さんいわく、浜寺公園には有名な浜寺水練学校というものがあり、スイミングスクールとしては歴史のある名門で、遠くからも子どもたちが通ってくるのだという。

ああ、いいなあ。路面電車に乗ってプールに通い、帰り道に和菓子屋さんでかき氷を食べるなんて、とても文化的で洒落ている気がする。むかしむかし、都電荒川線沿線に住んで、大学には都電で通うというガールフレンドがいて、それを聞いて私はうらやましかった。よく考えたら、ふつうにJRや私鉄に乗って通勤通学するのとべつに大差はないはずなのに。もちろん、そんなライフスタイルがたんに私の好みというだけだ。

もし私が堺に住んでいて、大阪の都心部に通勤していたなら、阪堺電車を通勤経路に選んで通いたいな。あほやなあ、南海か阪和線のが速くて便利やぞ! と笑われても。

いいんだよ。人生でだいじなのは「自分はこういうライフスタイルでありたい」というストーリーを描くこと*なのかもしれないよ。もちろん、そのストーリーのなかで自分がどういう役割を演じ、どう演出して、どう発展させるかは、主役であり監督でありプロデューサーであり演出家でもある自分が決めることなのだ。ときには、そのための代償を払うことや、責任を果たす必要だってあるだろうけど。

そこで私は、在阪期間中は「チン電に乗ってかき氷を食べに浜寺公園に来る」というストーリーを作り上げて、そのひとときをおもしろがっていたわけ。


阪堺電車駅となりのお店のウインドーは有名みたい

南海浜寺公園駅

NPO法人が経営するカフェとして使用されているよ
*ストーリーを描くこと:べつに検察が容疑者をあげるためのものばかりではないのさ。

【撮影データ】
Panasonic LUMIX DMC-GX7 Mark II/LEICA DG SUMMILUX 15mm / F1.7 ASPH. LUMIX G 42.5mm / F1.7 ASPH. / POWER O.I.S./Adobe Photoshop CC 2019