2019年11月6日水曜日

【関西リハビリ鉄2019夏】令和を走る昭和の国電! JR奈良線103系撮影記事 その4 「椿井大塚山古墳にてアイン・ツヴァイ・ドライ!」


■椿井大塚山古墳に行った
筆者が夏に滞在していた大阪・松原市の近隣の堺市、あるいは羽曳野市と藤井寺市はいまや百舌鳥・古市古墳群を観光資源として活用しようとしているようだ。太古の昔の有力者が埋葬されていた跡と思えば、たしかにちょっとしたロマンもある。

とはいえ、古墳の近くに住んでいるみなさんにとっては、日常生活のなかでは古墳というのは「近所の森」「うらの丘」くらいのものだろうと思う。とくに、大昔からの伝承が失われたようなところなどは、なおさらそんな存在だろうか。もっとも、埋葬された本人にとっては本意ではないかもしれないけれど、そうやって登ってお弁当を食べることができるような存在のほうが、近隣住民のみなさんにとっては楽しそうだ。天皇陵として宮内庁が管理しているような古墳だと、堀の内側に入ることもできないし。もしかしたら古墳がどういう取り扱いになるかどうかは、埋葬者の地位だけによるのではなく、古墳や文化財保護に強い関心が持たれている時期に発見されたのかどうか、によるのかもしれない。

さて、8月上旬のある日、筆者は京都府木津川市にある椿井大塚山(つばいおおつかやま)古墳を訪ねた。これまた、古文の授業で習う「詠嘆の系助詞:ぞ、なむ、や、か、こそ」の説明文のように、じつに蒸し暑い日であったことだなあ、あったことよ、という一日だった。

椿井大塚山古墳は前方後円墳のひとつで3世紀末ごろには建造されていたという。埋葬者は地元の豪族とされている。私には説明しかねるので、くわしくは京都府観光ガイド藤井寺市のWebサイトなどを見ていただけたらと思う。アクセスはJR奈良線上狛、もしくは棚倉のどちらからでも可能だ。古墳はちょうど両駅の中間くらいに位置する。どちらの駅前や道中にも飲料自販機はあるけれど、食べ物が買えるお店は近くにはないので、食べ物はどこか途中で買ったほうがいい。




■古墳が好きだったっけ
筆者は上狛から歩いた。松原市内から向かったので、近鉄南大阪線→<道明寺>→近鉄道明寺線→<柏原>→JR大和路線(関西本線)→<王寺>→JR大和路線(関西本線)→<奈良>→JR大和路線(関西本線)→<木津>→JR奈良線→<上狛>というルートで行った。京都方面から訪ねる場合は棚倉下車が便利だろう。なお、上狛も棚倉も快速停車駅ではないことは覚えておきたい。

真夏の暑い日に椿井大塚山古墳を筆者が訪ねたのは、木津川沿いに本居を構えたかつての豪族たちの栄華をしのんで……などと太古のロマンを想像する旅をしているのではない。ここを訪ねてくださる、とくに鉄のお仲間のみなさんにはもうおわかりだろう。さきほど、リンクを貼った自治体による椿井大塚山古墳の説明文にこういう文字列があることを。

昭和28年に後円部を切断する国鉄(現在のJR)奈良線の工事が行われ、そのとき竪穴式石槨が崖面に露出し、40面近い鏡が見つかったのです。
(藤井寺市Webサイトより引用。傍線は筆者による)

古墳のすぐそばをJR奈良線が走っていて、線路をかつては見下ろすことができたので、有名な撮影地のひとつなのですよ、ここは。注意深く列車から見ていると、棚倉から上狛のあいだ、奈良方面に向かう列車なら左側に、斜面に立つ看板も見える。

■山あいを走る雰囲気がいい
さて、みなさんは「JR奈良線」というとどういう沿線風景を連想するだろうか。全長が35km程度とそう長くはないのに、意外と変化があるのがJR奈良線の特徴であると筆者は思う。京都を出てから城陽までは複線化工事もいまやどんどん進行している。かなり宅地化も進んで通勤通学路線の趣が強い。けれど、城陽から木津までは田畑が増えて、こうして平地の端を走る区間がまだある。私は宇治橋(複線化が完了すると下流側から撮れなくなるのかも)と、この山のなかを走る区間が好きだ。103系電車はどんなところにも似合うというひとつの典型例かもしれない。

そう思って上狛からスマホで地図検索しながら歩いた、30分も歩かなかった気がするけれど、住宅地を抜けたらいきなり古墳があった。そうして、古墳に登ってみた。なるほど、これか。足元を奈良線の電車が行き交う。

ところが、よく見てみると棚倉方向からの古墳の出入り口となる線路そばの斜面には新しく柵が設けられ、危険なのでここから入らないようにという注意書きがあった。じつはまさにその場所が、奈良線の列車を見渡すにはベストポジションなのだけど。

でもまあ、禁止と書いてあるところでむりやり撮っても発表できなくなっちゃうからな。そこで、柵と注意書きの下まで降りた。みなさんには見慣れた場所だろうが、列車を見下ろしていない高さで撮影しているのはそういう理由だ。夏だと手前のササや草が伸びていろいろ邪魔なのだけど、こういうときは300m相当でなんとかする。せーの、アイン・ツヴァイ・ドライ! 全艦突撃! ファイエル! (ドイツ語というより銀河帝国公用語)





なんとかなったよ。ようしらんけど。それに昼頃に奈良行きが順光で、ちょうどよかった。でも、逆光もこうして見るといいじゃない。このままこの場所で撮ればよかった。ここはいわば、古墳としては原型をとどめていないのだろうけれど、皮肉にもそのおかげで列車の撮影に楽しませてもらった。

■棚倉まで歩いた
これを撮るまでに、椿井大塚山古墳にいて、あいまに日陰に逃げながらも1時間半くらいねばっただろうか。この日は103系電車はNS407編成(クハ103-216、モハ102-614、モハ103-458、クハ103-215)のみが運用入りしていた。この列車が奈良から京都行きとして戻ってくるのも、もちろん撮るつもり。けれど、いまこうして思えば、その列車もさきほどの場所でそのまま撮ったほうがかっこよかった。

それなのに暑くてなにか飲み物がほしくなったので、棚倉方向に歩いた。どうなっているかもわからなかったからね。だからこちらは不本意ながら、やってきたから撮ったという程度。

そして、棚倉まで行って列車に乗ることにした。なんといっても涼みたかった! 涼みたいことだなあ、涼みたいことよ! (詠嘆)





【撮影データ】
Panasonic LUMIX DMC-GX7 Mark II/LEICA DG SUMMILUX 15mm F1.7 ASPH. /LUMIX G 42.5mm F1.7 ASPH.  POWER O.I.S./LUMIX G VARIO 45-150mm F4.0-5.6 ASPH. MEGA O.I.S./Adobe Photoshop CC 2019