2013年12月12日木曜日

【1980年代末の秩父鉄道】秩父100形電車のこと その3

デハ100側の走りをちゃんと撮れた数少ない例

■SLパレオエクスプレス運行開始のころの秩鉄100形電車
度か書いたように、秩鉄100形電車はパレオエクスプレスが走り始めた1988(昭和63)年6月に運用を離脱した。いま、本稿を書くにあたり手元の『鉄道ピクトリアル』誌1998(平成10)年11月号特集を参照してみると、1988(昭和63)年2月20日づけでデハ105、クハ67、クハニ25が廃車になり、3月以降に残っていたのはデハ101、デハ109、デハ110、クハニ22、クハニ24、クハニ29II(いずれも廃車は1988(昭和63)年9月15日)とある。2両編成を2本組み合わせた4両編成が最末期には、羽生・熊谷<デハ+クハニ+デハ+クハニ>三峰口だった記憶があるから、1988(昭和63)年春にはすでに4連を組んで運用していたのは1運用だけだったという記憶とも合致する。

そして、この100形はSLパレオエクスプレスに雁行するかたちで運用に入っていた。いまも1000系電車がしばしば、熊谷をSLパレオエクスプレス5001列車のあとに出て、秩父で追い抜く運用に入ることがある。それを彷彿させる運用だ。そのころからきっと秩父鉄道の運用さんはそれを意図していたはずだ。

掲載順が逆だけど、まずパレオがやって来た

掲載した写真の構図が寸分違わないところを見ると、めずらしく三脚を使っているようだ。撮影地はいまでも大変人気のあるあの場所だ。いまは携帯電話の基地局ができてしまったけど、それでもあのころと同じようにもなんとか撮れる。ただし行かれた方はご存じの通り、曇天だから上り列車でもこうして正面にから撮影できた。このアングルは晴天だと午後は逆光になる。列車側面の光を活かすのが好きな方にはいいのだが。

■長瀞の桜並木でさようなら
何度か書いた桜並木での写真も改めてアップしよう。これが、私が走っている100形を撮った、ちゃんとうまくいった最後の写真だ。いまや、この場所は有名になりすぎてしまい、桜の時期には始発電車で出かけて場所取りをしないといい場所を押さえられそうにない。そういう人出の多さがいやになり、ソメイヨシノが満開のシーズンにSLパレオエクスプレスをここで撮ることは私はずっとしていない。さらにソメイヨシノの枝振りも小さくなって背後に家も建ってしまい、このころよりも立ち位置を選ぶようになった。それでも、うまく撮ればいまでも雰囲気が大きくは変わらない。

PKRはいいな、とこの写真を見るたびに思う

いずれもAI Nikkor 85mm F1.4Sを使い始めたころに、その85mmばかり使って撮っている。これらのポジを見てサードパーティの普及版ズームレンズよりもずっと解像感が高いことを知り、さらに私の単焦点好きが深まり、それ以降は単焦点レンズばかりを集めるようになった。フィルムは2点がフジクローム50で桜並木はコダクローム64プロフェッショナルだ。

そういえば、このコダクロームの写真は当時、日本のコダックがキャンペーンで行っていた無料添削に応募した。正確には、コダックフォトクラブを下請けで運営していた出版社で行なっていたので、そこに応募した。すると、直筆で「鉄道写真としてはよいのだろうが、風景写真や風俗を写した写真としては、もっと列車を小さくして桜を画面内に多く入れるべきだ」との評を下町を撮っているとある写真家*からもらった。いまならばその意味が理解できる。

そして、そのころはまさかそうした下請けを扱っていたその出版社でのちに自分が働くようになるとは、想像だにしていなかった。そんな思い出もよみがえった。

*「下町を撮っているとある写真家」:雪松覚(ゆきまつさとる)さんのことだ。いまとなっては、昔のカメラ誌などを読んでいなかった方にはご存じない名前かもしれない。映画のスチルカメラマンの仕事をされ、写真塾を主宰しカメラ誌でアマチュア向けハウツーも書いていた。体調も崩されたと一時期聞いていた。

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