2022年1月23日日曜日

【写真展鑑賞記】「フィリア―今 道子」展を観に神奈川県立近代美術館鎌倉別館へ


■知的な刺激がほしくて写真展めぐりをしていた
今月は例の措置が実施される前までは、思い出しては都内のメーカーギャラリーや公立の博物館と美術館を中心に写真展の鑑賞に出かけていた。知的な刺激に飢える気持ちがあるからだ。自分で何かを写したいのではなく、他の方の写真を見て刺激されたいと考えた。

写真展や絵画展、美術展を見るという行為は、映画館での映画鑑賞や旅行などと同じで、習慣のようなところがあるのではないか。よく見に行くひとと、まったく見に行かないひとに分類できそうだ。私自身は、版元の編集者だったころから「行かなくちゃなあ」と思いながら腰が重いタイプ。行こうと思いながら会期を逃すことを数多くしてきた。仕事柄流行にキャッチアップしておくべきだし、社交としても大切なのに。

いまは版元におらず、おまけに郊外在住になってしまい、しかもギャラリーの大半は都心にあり、さらにあれがああであるという状況も手伝って、写真展からはなおさら足が遠のいている。そんなある日、気になる作家の展示がなされていることを知り、思い切って神奈川県立近代美術館鎌倉別館まで行ってきた。会期が早めに終了するとか入場制限を設ける可能性も予想したからだ。都心のギャラリーに行くよりもずっと遠いので、もはやちょっとした旅行のようだ。そんなわけで、いざ鎌倉。

■新宿駅でまたもや「分割案内板A」を探しかけた
武士ではなく、旅する僧侶を囲炉裏の火でもてなすためにくべる鉢植えさえ持たない、21世紀に生きる者である筆者が鎌倉へ、馬に乗ってではなくJRまたは東京メトロ副都心線・東急東横線経由で行くのならば、拙宅からは2時間程度かかる。小田急・江ノ電経由だと3時間以上要するそうだ。

ただし、後者ならば割引率が大きい「江の島・鎌倉フリーパス」が利用できる。西武鉄道沿線在住の筆者なら、最寄駅から西武鉄道発券の同フリーパスを購入でき、それを用いるとJR経由の往復に比べて500円程度は割安になる。小田急江ノ島線藤沢〜片瀬江ノ島と江ノ電全線がフリー乗降区間になるところもいい。

時間はかかってもたまには江ノ電にも乗ってみよう。有名になった龍口寺の例の場所も通ってみたい。そう思い「江の島・鎌倉フリーパス」を購入し、小田急・江ノ電経由で鎌倉を目指すことにした。

小田急電鉄の新宿駅西口は地上一階から入ると優等列車のプラットホームになる。改札口を通ると目の前には快速急行藤沢行きの列車がちょうど停車していた。小田急に残された唯一の白い塗装の8000形電車を目にして、筆者はいつものように「前6両に乗らなくては」と考えて列車の先頭に向かった。そうしながら「いや、藤沢に行くならば江ノ島線行き列車なのだから、後ろ4両に乗るんだった」などと思い直し「ホーム中程の分割案内板A」を探しかけて……はたと気づいた。

ずいぶん前にも記事にしたように、相模大野での列車の分割併合などというものは15年以上前に廃止された。「分割案内板A」はそのときに廃止されて存在せず、この列車は10両編成のすべてが藤沢まで行くのだ。むかあしむかしの、通勤と通学で何年間か小田急を利用していたときの習慣のまま行動しそうになるなんて私は超ダセえ。現在の「常識」にアップデートできないとは我ながら「老害乙!」と思い、頭をかいたぜ。


■海が見えるだけでなんだか感激する
小田急線の道中では「1990年代の小田急電鉄」のまま常識がアップデートできていない私には驚きの連続だった。いまは小田急にめったに乗らないからなのだけど。「下北沢を出ると登戸まで快速急行は停まらないの!」「ロマンスカーは車内販売をやめちゃったのか」などと、「2022年の小田急電鉄」のようすにふむふむと観察しているあいだに列車は藤沢に着いた。

そうして江ノ電に乗った。やってきた列車のうち1001編成に乗り込んだ。なぜなら1000形電車は吊り掛け駆動であることを思い出したから。そうして駅を発車して加速していくさいの重厚な駆動音を楽しんだ。



鎌倉行き列車に乗って腰越駅を過ぎて海が見えると、どんな天気のときでもいつでもなんとなく感激してしまう。座っていた座席から海へカメラを向けるために立ち上がってiPhoneで撮影準備をしていたら、斜め前の席にいた女性が「なにかあるのだろうか」という顔をした。けれど数秒後に海が見えて納得してくれたようだ。観光客が多い時間帯だと、この曲線を曲がって車窓に海が広がるときに車内のあちこちから歓声が上がるのは、いつ見てもおもしろい。

準備をしておけば写真も撮れるというものさ。

私が海を見るたびに感激してしまうのは、「そこらへんの草」で病気を治す「海なし県」の住民だから……だからではないと思う。あいまに、さすがに退屈になっておっさんもすなるセルフィーといふものを、われもしてみむとてするなり、と紀貫之ごっこをした。いや、紀貫之の時代にはカメラはないからあれか。




■「フィリア―今 道子」展を見たかった
海なし県から曇り空の午後にわざわざ神奈川県立近代美術館鎌倉別館まで来たのは、企画展「フィリア―今 道子」を見たかったからだ。第16回木村伊兵衛写真賞(1991年)を受賞した今 道子(こん・みちこ)さんの作品は印刷物では目にしたことがあるものの、オリジナルプリントを目にしたことがなかった。美術館での展示ははじめてなのだそうだ。

作者は写真家というよりも造形作家という感じもするが、オブジェを作り上げて自分で写真に撮っているのだから、写真作家でもある。作者が作り上げたオブジェはモノクロのプリントで見るととても美しく見える。だから、印刷物ではなくプリントで見てみたかった。

オリジナルプリントを見る以外にも実際に足を運んだかいはあった。それは、展示タイトルから覚えた「ちょっとした違和感」を解消できたから。

私は「フィリア」という展示タイトルに違和感を覚えていた。なんとなく、あくまでも観る側の勝手な感想に過ぎないものの、作者には被写体への「フィリア(philia):友愛」というよりも「フォビア(phobia):恐怖」が根源にあるのではないかなあ、などと思えてならなかったからだ。そう思って一連の展示を見てから、会場外にあった作者自身が書いたであろう解説文を見て、ようやく合点がいった。

いわく「『フィリア』というタイトルは音の響きで決めて、のちに意味を知って考え込んだ。だが、たしかに『愛』かもしれないと考え直してそれに決めた」というのだ。なるほどな、と。そうそう厳密に論理的に展示タイトルを決めたのではないということなのだろう。これはのちに読んだいくつかの作者へのインタビューでも理解できた。

そういう、ときには勝手な観客側の想像や読み解きへの答え合せができるのも、リアルな展示を見る楽しさなのではないか。知的な刺激を勝手にいただいたというわけだ。

会場では実際に作者をお見かけしたから、もしかしたらこのことを尋ねてみてもよかったのかもしれない。だが、それもぶしつけなように思えて、自分だけの謎解きでいいやと思って会場をあとにした。

そんなわけで、このところいくつか見た写真展のなかで私にはいちばんおもしろく思えたのが、この「フィリア―今 道子」展だった。デビュー当時から作風をあまり大きく変えずに、こつこつと独自の作品を作り続けていることにも好感を持った。会期は今月30日(日曜日)まで。まん延防止等重点措置の施行にともない、本稿執筆時の1月23日(日曜日)現在、神奈川県立近代美術館鎌倉別館は入場事前予約制になっているので、訪問される方は注意されたい。

【撮影データ】
iPhone 7 Plus/HEIF/Adobe Photoshop CC