2024年10月31日木曜日

【西武山口線】エミテラス所沢のB11形蓄電池機関車B15を見てきた


■西武所沢車両工場跡地の商業施設「エミテラス所沢」にB15号が展示される
西武所沢車両工場跡地を含む周辺一帯で進められていた所沢駅西口土地区画整理事業において、株式会社西武リアルティソリューションズと住友商事株式会社は共同で「広域集客型商業施設」の開発を行っている。その商業施設が「エミテラス所沢」と命名されて、さる9月24日にオープンした。

2024年4月18日付プレスリリースによると、その商業施設には「『西武鉄道所沢車両工場』跡地の歴史を未来へつなぐレガシーを設置」するとあった。

(ここより引用)
①本線と「西武鉄道所沢車両工場」を結んでいた「引き込み線」
②西武鉄道が運転士の養成等で使用していた「運転用シミュレータ」
※その他のレガシー設置も検討中。
(引用ここまで)

どうやらその「その他のレガシー」とは、かつての「おとぎ電車」時代の西武山口線で用いられていたB11形蓄電池機関車B15号の展示のことだったようだ。株式会社西武リアルティソリューションズと西武鉄道株式会社の9月2日づけプレスリリースでこのB15の展示が公表された。

■西武鉄道B11形蓄電池機関車B15とは



このエミテラス所沢に展示されることになったB11形蓄電池機関車について、簡単に説明しておこう。軌間762mmの山口線で用いられるために中島電気自動車と西武所沢車両工場で製造された全長約5メートル、重量約10トンの凸型機関車だ。

B11が1951年(昭和26年)に中島電気自動車で、B12〜B15は1957年(昭和32年)から1960年(昭和35年)にかけて西武所沢車両工場で1両ずつ増備された。B11は形状がやや異なるのだそうだ。

おそらくは作った車両を見本にすることもふくめて中島電気自動車に発注され、増備車はそれを参考にして自社系列の西武所沢車両工場で製造されたのだと思う。電気機関車にもそういう例がある。西武所沢車両工場は蓄電池機関車の製造技術を獲得したいという思いもあったのかもしれない。

ちなみに、この中島電気自動車とは戦前に電気自動車を製造していた大阪・尼崎にあったメーカー。尼崎市のWebサイト『図説尼崎の歴史』から引用する。

(以下、ここより引用)
 明治38年(1905)、大阪市西区に創設された中島製作所は、昭和5年に日本初の電気バス試作車を製造した会社であり、戦後初期に尼崎市バスが導入した電気バスも中島製でした。

 昭和10年12月、同社は小田村梶ヶ島に杭瀬工場を開設します。電気運搬車・電気バスなどを製造する部門工場でした。

 昭和24年12月、杭瀬工場内に関連会社の中島電気自動車(株)が設立され、同29年2月には中島運搬機製造(株)となります。国内工業用バッテリーカー製造の最大手でしたが昭和42年に高槻市に移転。残った中島製作所杭瀬工場は、昭和50年代半ばに廃止されました。
(引用ここまで)


B11形は幌屋根の1形客車、密封式の11形客車を牽引して、1984年(昭和59年)の山口線新交通システム化まで用いられた。

そして、B15は関水金属から西武が譲渡を受けて、こうして展示されることになったということらしい。


【参考】西武園ゆうえんちに保存されていたころの
5形蒸気機関車527号の社紋とナンバープレート。
527号は2011年に台湾・財団法人陳中和慈善基金会に譲渡された

あれれ、「B15」という表記の上にあった旧社紋はマル印になっているのは、旧社紋を描けない事情があるのかな。

■21世紀にもういちど見られるとは思っていなかった
この機関車が西武山口線を走っていたのは、自分が小学生のころまでだ。西武新宿線沿線に居住していたから、多摩湖(村山貯水池)と狭山湖(山口貯水池)、西武園ゆうえんちにはなにかと足を運んでいたし、遊園地に入園しなくても湖畔にいると5形蒸気機関車の汽笛やこのB11形の鐘の音がよく聞こえていたことを覚えている。

当時の幼い自分には、蒸気機関車が木造のダブルルーフ客車を牽引している姿のほうが印象が強く、B11形が牽引する幌屋根客車列車は正直にいえば「はずれ」だった。昭和50年代の鉄道オタク小学生には「前時代的でダサい」「子どもだまし」に思えたのだ。

それが、いまの自分には曲線を帯びて凸型をしていて、白と水色に塗られたこの機関車はユーモラスで可愛らしく思えるのだから、好みというものはあてにならないと思う。

21世紀も四半世紀近く過ぎた。そう書くとものすごく自分が年をとった気がする……ええと、2024年になってまさか1984年に廃車になった「おとぎ電車」の機関車を所沢で見ることができるようになるとは、まったく予想できなかった。

もちろんうれしい。だが、うれしいのだが、驚きのほうが大きい。





■末永くきちんと維持されたらと願う
B15は同施設の1階外構部分にて展示されている。9月末にエミテラス所沢がオープンして、その後B15が搬入されたという記事、報道関係者向けに公開された記事も読んでいた。だが、所沢に行く用事もなくて忘れていた。数日前に所沢に行った際に、そういえば……と思い出して遅まきながらエミテラス所沢にはじめて足を向けた。

西武百貨店からの連絡通路から見て……エミテラス所沢1階の駐車場出口付近にたしかにB15がいた。つや有りの塗装がなされている。

屋外に置かれてはいるが屋根の下にいて、スポットライトも用意されている。駐車場出口のそばで、誘導係がいることと、防犯カメラがあるようだからいたずらされることもなさそうなのは安心だ。





こうして所沢に里帰りしたB15は今後とも美しい姿でいてくれたらありがたい。建物内に移設してくれてもいいし、夜間などはシートを被せてもいいのではないかとも思う。

鶴ヶ島ガーデンパーク(KATO Railway Park)の「関水本線」も自宅からは遠くない。車両公開がなされるタイミングで訪問してみたい。小学生から中学生のころに当時高田馬場にあったショールームと、いまの都営地下鉄大江戸線落合南長崎に近い「ホビーセンターカトー東京店」に通っていた少年としては、ふたたびKATOブランドに心惹かれるようになるのは、とても興味深い。東武東上線大山のグリーンマックス本店でも親切にしてもらった記憶がある。幼いころに、ていねいに接してもらった記憶はいつまでも消えない。

10月はたまたま私にとって「昭和の西武鉄道の車両を見る月間」になったのは興味深い。勝手に想像(妄想)すると、西武鉄道グループ内部でも私と同年代のひとたちがそれなりに責任のある立場になったから、こうして私にも親しみのある車両が活用できるようになったということなのだろう。ありがたいことだ。

車両を保存し続けたいろいろな方、そして所沢あるいは鶴ヶ島で展示しようと調整に奔走したいろいろな方のお力によるものだろうと思うと、その情熱には頭が下がる思いだ。エミテラス所沢と「関水本線」でのこれら元西武山口線車両の保存に尽力してくださった関係各位の皆さんには、心よりお礼申し上げます。