2011年4月11日月曜日

【東武東上線記事】東上線が新鮮だ(その3)

和光市駅手前のアップダウンは魅力的だ

■東武東上線の営団地下鉄有楽町線直通運転開始は「世紀のビッグイベント」だった
東武東上線と営団地下鉄(当時)有楽町線の相互乗り入れ開始は、少年時代の私にはビッグイベントだった。

なにしろあの、セイジクリームや青い線の新塗装の8000系電車だらけで有料特急列車のない、純然たる通勤路線にして車種の変化という「趣味的なおもしろさ」の少なく感じられる(失礼)東武東上線だと思っていたのだ。9000系電車は試作1編成のみで、10000系電車が増えつつあったころだ。「73・78系がいないと同じ電車ばかりだなあ」と思っていたところに、営団7000系電車が走るようになるのだ。

■お隣さんの慶事を祝わないわけにはいけない
しかも、その後は我らが西武池袋線にも営団有楽町線は乗り入れる予定でいた。ながいあいだ西武有楽町線新桜台から練馬につながらず、営団7000系電車がひと駅走っている期間が長かったけどね。東武鉄道と西武鉄道が直接乗り入れるわけではないことはもちろん知っていたけれど、「ご近所さんのおめでたいできごと」は祝わないわけにはいかないじゃないですか。

そして、23区の山手線内側に住んでいない限り「地下鉄」は近所を走らないわけです。当時の私は中野区民でむかしから営団地下鉄東西線は走っていたものの、都営地下鉄12号線(いまの大江戸線)もまだ新宿まで開業していない時代で、幼いころに地下鉄漫才も見ていた私には「地下鉄」というのは都会的で未来を連想させる近代的な乗り物だった。そんなわけで、あの東武東上線が! セイジクリームでぶあいそうな顔つきの電車ばかりのあの東上線が、「都会的な電車」と接続するようになる! こりゃあ行かなきゃあ。なにはともあれ「新鮮な新線」が開業するのだ。

そこで、営団地下鉄有楽町線の和光市延伸のころに、何回か開業後にカメラを片手に出かけている。

■ダイナミック造形の高架線にしびれた
まず1987年8月末の営団成増(現地下鉄成増)~和光市開業後にまず気に入ったのは、和光市から営団成増に至る勾配だ。望遠レンズで撮ると非常にフォトジェニックで、そこを走る東武9000系電車はなんてかっこいいのだろうとしびれた。光線状態としては後追いでないと撮りにくいのだけどね。

それから、東上線内を地下鉄の電車が走る様子を撮ろうと見つけたのが志木と柳瀬川の間の直線区間。午後から夕方には側面にしか日が当たらず正面は陰る。逆光ではアルミやステンレスの銀色の電車の車体が輝く様子が美しく、思春期で「順光の列車写真しか撮らないのはつまらない」といまにいたる地味な反逆心を抱き始めていた私はわざわざこの場所に何度も通った。

1987年8月、和光市、フィルムはKRだ

1988年の有楽町線の新富町〜新木場の開業も心躍った。心躍ったのだけど、新木場周辺で駅以外ではどうもうまく写せなくて、向かったのはやはり東上線内。「新富町」ではなく「新木場」行きの列車を写した。

■若草色の座席が明るくて素敵だった
このころ好きだったのは東武9000系電車の量産車だ。明るい若草色の座席のモケットと白っぽいベージュ色の化粧板が地下鉄線内でも明るく見えて、都心の塾に通塾する際に有楽町線の駅で待っているときにやって来るとじつうれしかった。この和光市延伸の祝賀列車と思しき関係者向け試乗列車にも市ヶ谷あたりで遭遇した記憶がある。当時、所用で出かけるにもわざわざ有楽町線に乗り、時間が許すときにはあえて9000系電車を待った。 8000系電車からくらべるととてもスマートで都会的だった。同時代に登場した6050系電車といい、東武鉄道の電車の印象を一変させて好ましく思えた。

そのころに正直いえば、この9000系電車や6050系電車が西武鉄道や秩父鉄道に乗り入れてこないかなあ、と思っていた。いま思えば秩父鉄道での営業運転は、9000系電車はとくに、10両固定編成だから無理なのだと想像できるけどね。6050系電車は秩父鉄道ATSを搭載した電車を先頭にしてくれれば……ぶつぶつ。
 
1988年7月、志木-柳瀬川

1988年7月、志木-柳瀬川