2018年1月6日土曜日

【東武鬼怒川線撮影記事】6050系2パン車にしびれた日


■「受動的東武ファン」ですみません
 趣味活動において「積極的」「消極的」、あるいは「能動的」「受動的」などという言い方はおかしいとは思う。それでも、あえて用いるのは自分自身の東武鉄道への向き合い方を見ると、どうみても積極性や能動性が欠けているから。東上線系統はわりとよく乗るし車両も好きだ。そして、利用するたびによく整備された路盤をどっしりと走る列車にとても好印象を抱いている。けれど、秩父鉄道や上毛電気鉄道を撮影するために利用することはあっても、東武鉄道自体の列車を撮影するために出かけたことは、東上線系統をのぞいていままでなかったくらいだから。先日、特急「リバティ会津」に乗って15年ほどぶりに鬼怒川線を訪ねたのも、国鉄型車両であるSL「大樹」を撮影するためだった。だから、自分は「東武ファン」とは言いづらい。それでもさあ、好きなんだよお、東武が!(ここで言葉遣いが乱れる) 東上線で9000系9001編成にあたると感激してしまうし、先日も小川町でラッピングの50070系電車51092編成と8000系ワンマン車の8198編成という二大クモヤ……ではなくて二大「フライング東上」ラッピング電車が並んだときには興奮してしまったし。

 でもね、ではそれを撮影するために出かけるかといわれると……いまひとつこうノリノリで「よろこんで!」と言い出せないような。自分が「受動的東武ファン」としか名乗りがたいのはそういう理由だ。ああもう、めんどくせえな俺。




■更新直後の6050系電車は輝いていた
 そんな積極性に欠ける東武ファンの自分にとってのひとつのだいじな思い出は、野岩鉄道開業(1986年)直後に何度か6050系電車の快速急行「だいや」・「おじか」*1に乗ったこと。そのころ中学生だったはずで、家族で日光や鬼怒川温泉に出かけた帰りに乗ったはずだ。更新直後で輝くように真新しく、リクライニングシートやデッキはなくても座り心地のいいシートと、「新車のにおい」が強い印象に残っている。そして、思えばバブル時代でもあり鬼怒川温泉も盛況で、下今市で東武日光から来た上り列車に野岩鉄道・鬼怒川温泉から来た上り列車が連結すると、たちまち座席が埋まっていった記憶もある。そんな好ましい思い出があるので、東武6050系電車は自分にとってはいつまでも「新しいデラックスな電車」のままだった。なにしろ、特急列車はまだDRC(1720系電車)だったし、DRCにも用いられていた濃いベージュ色とあずき色のツートンカラーだった更新前の6000系電車どころか5700系電車の姿を見るたびに、シブイけれど子どもごころにはどうも古臭いと思っていたのだから*2。

 「2扉クロスシートの電車」というのはどうもこの頃から私には好みだったらしい。国鉄急行型電車はいずれも好きだったし、私鉄では秩父鉄道300系電車をはじめとする「日車ロマンスカー」が気になって調べ始めたのもこの頃。そんな電車が地元の西武鉄道にもあればいいな、という思いは数年後に「西武4000系電車」として具現化して、さらに驚かされたものだ*3。

■その後非鉄時代に
 もっとも、それだけ東武6050系電車に感激したくせに、高校生以降にはすっかり鉄道趣味から遠ざかってしまったので、自由に自分だけで行動できる頃に、この電車を見かけたのはやはり観光で出かけたときだけだった。しかも、往復にはもっぱら特急列車を利用していたから、2000年代になってからは6050系電車に乗ったのは野岩鉄道線内だけだった。そんなわけで、6050系電車はいつのまにか快速急行から快速・区間快速用になり、一部の編成には霜取りのためにパンタグラフが増設されたことを知ったのは、鉄道趣味に復帰したここ10年ほどのこと。そして、パンタグラフの増設を知って「カッコイイ」と思い、冬の会津鉄道・野岩鉄道線内を走るようす、複々線区間の急行線を走り抜けるようすをお世話になっているみなさんのブログなどで見ていても、ずっと自分の足で訪れることがなかった。

■学生時代のあこがれのひとに再会したような
 さて、前置きがずいぶん長くなってしまった。SL「大樹」の撮影を目的として鬼怒川線を訪れた日に、下今市で乗っていた列車から見かけた6050系電車を見て思いだしたのは、上記のもろもろだ。どっしりとしたドイツミンデン式台車のFS357を見て、「あ」という声にならない声を上げた。古めの列車が好きなテツならではの萌えポイントを刺激されたからだ。ええと、もっとわかりやすいたとえはないかな。同窓会やなにかで、学生時代に一方的にあこがれていた異性に出会い、「ああ、そういえばこのひとのチャームポイントはこういうころだった。この表情やしぐさ、言い回しが好きだったんだっけ。昔から変わらないままなんだな」と勝手に思ってきゅん☆とした、とでも言えばいいだろうか。かえってわかりにくいかなあ。

 そうして、SL「大樹」を待つあいだに……撮ってみたいと思っていたパンタグラフ増設編成がやって来て、それも上り方先頭を撮影できるアングルでカメラを構えていたときには、思わず小躍りした。ここにアップした写真のうち後半は後追いだけど、それでも撮らずにいられなかった。




■乗ってみたら別の魅力に開眼
 SL「大樹」の撮影をした日のエントリーに書いたとおり、この日の私は鬼怒川橋梁と砥川橋梁をなんどもなんども徒歩で往復していた。それに飽きて、この駅間の下り方の駅から鬼怒川温泉まで下ろうと思い、やってきた6050系電車に乗り込んでおどろいた。6050系電車のコンプレッサー(電動空気圧縮機)はいまでもDH-25が用いられていて、置き換えられていないことをうかつにも知らなかったのだ。だから、列車の床下からときおり「コトコトコトコトコトコトコトコト」(と書くといまひとつうまく表現できない。「ポコポコポコポコ」と書き表してもいいかも)と古めかしいコンプレッサーの音がするのを知ったときには、6050系電車にいままで抱いていたのとはことなる、別の魅力に開眼した。ええっと、前述の「ひさしぶりに再会したあこがれのひと」が、学生時代にも使っていた「親からゆずってもらった、若者にしては大人っぽすぎたアクセサリー」をいまでも大切に使っているのを見て、「まだ大切にしていて物持ちがいいんだね!」と感心させられたとか。そんな感じか(いや。やはりわかりにくいかも)。

 SL「大樹」はまだ撮ってみたいし、すでに廃車も始まった6050系電車もだんだん姿を消していくはずなのだから、あれこれ言っているだけではなくて撮影もしてみよう。まだまだ撮りたいものはこうして存在するのだ、ということを気づいたのは年末年始の最大の収穫かも。これもまた結び(なんちゃって)。

1* 快速急行「だいや」・「おじか」:小学生のころにこの列車名を見たときには、それぞれが日光や鬼怒川の地名ということを知らず、ダイヤモンド? シカ? と不思議だった。古色蒼然とした5700系電車「だいや」なんて、「ぼろいのにダイヤモンド?」という連想をして首をひねっていたものだ。坊やだからさ。そんなことも「大谷向(だいやむこう)」という駅名を見て久しぶりに思い出した。

2* 濃いベージュ色とあずき色のツートンカラーだった更新前の6000系電車どころか5700系電車の姿を見るたびに、シブイけれど子どもごころにはどうも古臭いと思っていたのだから:昭和50年代から60年代には、子どもからすると軽やかさに欠ける色合いに思えたのは事実。なお、当時の秩父鉄道の車両にも、塗りわけ位置がことなるもののこれに似た色のツートンカラーに紺色で形式表記があるのを見た第一印象は「まるで東武鉄道のようだ」というものだった。東武でもD型電機が貨物列車を牽引していたし、上長瀞や三峰口には東武東上線から乗り入れてきた8000系電車「みつみね」「ながとろ」が昼間は留置されていたとか、東武熊谷線と秩父鉄道のホームの共用、東上線について書かれている記事には必ず「東上線寄居と伊勢崎線羽生のあいだを秩父鉄道を通じて車両の回送が行われる」と書かれていたことなど、東武鉄道との関係の深さをいろいろなところで感じさせたからか。

3* 数年後に「西武4000系電車」として具現化して、さらに驚かされたものだ:1988年に「前面に貫通扉がありその左右の窓まわりは黒塗装、2扉クロスシートでデッキなし」というスタイル、「101系電車の主要機器を利用した」という登場の経緯、「西武秩父線と秩父鉄道直通に用いられる」と用途なども、西武ファンだった自分でさえも「東武の真似のようだ」と思わずにはいられない登場の仕方をしたから、なおさら驚かされた。好きな路線を走る好きな列車だし、いまでも土日の夕方に都内に出かけるさいに秩父鉄道始発の列車が現れると喜んで乗るけれどね。そもそも、あの頃には西武秩父駅と御花畑駅が結ばれたこと、SLパレオエクスプレスが走り始めたことも、驚いたのなんの。

【撮影データ】
Nikon D850/AF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8E ED VR, AF-S NIKKOR 70-200mm f/4G ED VR, AF-S NIKKOR 200-500mm f/5.6E ED VR/RAW/Adobe Camera Raw/Adobe Photoshop CC 2018

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