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2021年9月5日日曜日

【写真のお遊び】平成年間に撮った写真から偽昭和風銀塩写真をAdobe Photoshopで作ってみたという話

『ローカル戦士センガタン』は
昭和の戦隊モノへのオマージュだろうから
偽昭和風写真によく似合うかも


■「フィルムの写真」と聞いて連想するものは
以前にも書いたことがあるけれど、いまの30歳台以下のみなさんにとって「フィルムカメラで撮った写真」(≒ 銀塩写真*。以下「フィルム写真」と略)というと、大多数のみなさんが連想するのは黄色や緑の色被りがあり、コントラストが低くフィルムの粒子が目立つような褪色したカラーネガフィルムからのプリントのようだ。さらに、フレアとゴーストが入ってハイキーにしてあればなおそれっぽいのだろう。

期限切れフィルムや輸入フィルムでわざと色被りをさせて粒子が目立つ写真を「フィルム写真らしい」という理由で好む方が一定以上いることに、SNSを見るたびに気づかされる。SIGMA fpのカラーモードにある「ティールアンドオレンジ」、各社カメラにあるブリーチバイパス(銀残し)ふうの絵作り設定、あるいはブラックミストフィルターなども、こうしたレトロでフィルムらしさを表現するツールなのだろう。

2018年1月7日日曜日

【写真術】プラグインソフトなしでAdobe Photoshopだけで「フィルム写真らしく」する


■「高彩度+ハイコントラスト vs ゆるふわ」戦争はいぜん終わらず
写真には大きくわけて絵作りに関して、2つの潮流があるのではないか、ということを最近強く思っている。この潮流はいつからあるかはわからないけれど、自分が写真術というものを意識し始めた、少なくとも1990年代から存在するものだ。いや、写真術が誕生したときからあると考えるべきなのかな。

どういうことかというと、「高彩度+ハイコントラスト」な「あざやかでくっきりはっきり」した絵作りをする流派と、やや彩度を落とし、ハイキーな露出で不明瞭でさえある絵作りをする流派が存在するとでもいおうか。

あくまでも私個人の認識だと、フィルム時代であれば、前者はフジクロームベルビアと偏光フィルターを用いて風景写真を撮るどちらかというと年齢層の高いユーザーに多く、後者はカラーネガフィルムを用いて場合によっては自家製プリントを行い、日常を描くような作家活動をする写真家、あるいは写真学生に多く、どちらかというと若い人たち向けのおしゃれな広告写真にもこういう仕上がりがなされているように思える。当時、これらカラーネガを使う写真はたしか80年代のアメリカの写真家の「ニューカラー」というムーブメントの影響だと言われていたように思う。ここでは、いささか乱暴であることは承知のうえで、これらを「明瞭な絵柄」と「不明瞭な絵柄」という二分をしてみたい。

その後2000年ごろに流行ったトイカメラブームでも、どちらかというと若い人たちに「よく写らない絵柄」つまり「不明瞭な絵」が好まれたはずだ。HOLGAやダイアナカメラ、あるいはLOMO LC-Aを用いたこれらはおそらく、日進月歩で絵作りも改良されていったスマートフォンのカメラやデジタルカメラがどんどん「明瞭な絵柄」を吐き出す道具になっていったことのアンチテーゼなのだろう。

映像機器ができるだけ手軽に「明瞭な絵柄」を生み出せるようになるのは道具の進歩としてはもちろん正しい進化なのだ。けれど、よく写りすぎることがあると思わせるのは私でも理解できる。

2013年12月8日日曜日

【江ノ電関連記事】昔のプリントに300形を発見

304編成に乗ったらしい(運転台に「354」とある)
江ノ電記事を書いたときに、そういえば昔撮った写真があるはずと思っていた。本棚を見たら、アルバムにしたものがあった。ネガももちろんあるはずだが、先日とうとうフィルムスキャナが不調になってしまった(虎の子のLS-4000EDなのに)。そこで、プリントからスキャンしたものをお見せする。ゴミ取りができていないことはご容赦願いたい。

2021年6月27日日曜日

【八高線1990年代】日中閑散時間帯のキハ2連とコダクロームへの愛憎


■梅雨で自転車に乗れない
梅雨入りしてから自転車の乗ることもしづらい日々が続いている。雨が降ることがあきらかにわかるなら、どうしても自転車に乗るのは避けてしまう。そこで、家の片づけをしていたところ、どこに収納したかを忘れていたリバーサルフィルムを見つけた。先日も1990年代の写真をお見せしたのはそういうわけだ。今回は1992(平成4)年9月の入間川橋梁の写真が出てきたので、お目にかけたい。

この日は大学の夏休みの終わりごろのはずで、友人と連れ立って午後遅くに西武池袋線元加治駅を降りて八高線の入間川橋梁まで歩いた。そのさいに、八高線に転属してきた相模線色のキハ3026にたまたま遭遇して写した。そのときの写真はすでに2015年7月15日づけのブログ記事でお目にかけた。ところがその前後の写真のことは撮影した本人がすっかり忘れていた。それをひさしぶりに見ておどろいたのは、日中閑散時間帯に2両編成が走っていたということ。そこで、再掲載のカットを含めてあらためてスキャンした。

2024年8月21日水曜日

【撮影術】デジタルカメラで「コダクローム64」の雰囲気を再現するためにあれこれ考える日々

Silkypix(写真はLUMIX用の同SE 8)にある「フィルム調K」

■「コダクローム64」を見ながら考えた
昭和から平成初期にかけて、中高生から大学生のころにコダクローム64(およびコダクローム64プロフェッショナル)を使って撮った列車の写真をこのところ見ていた。乳剤が非常に濃くて、いまのフィルムスキャナーのドライバーソフトではうまくポジ原板を肉眼で見る雰囲気にしづらい。そこで、ニコン「スライドコピーアダプターES-1」で複写していた。

2015年11月23日月曜日

【秩父鉄道2014年春】ポジフィルムで振り返る2014年3月21日「さよなら1003F貸切り&撮影会ツアー」


■前年の「さよなら1003F貸切り&撮影会ツアー」はポジでも撮っていた
秩父路より1000系電車(元国鉄→JR東日本101系電車)が姿を消して、はや1年半を過ぎた。最後に残った1003編成「オレンジバーミリオンII」がさよなら運転を行ったのは2014年3月末のこと。よく晴れた3連休の日だった。

2015年7月20日月曜日

【写真生活チラシの裏記事】例のバイブルを手にして


■子どものころに買えなかった本をゲットした
先日のエントリーでも言及した本が、思わぬかたちでたいへん安価に手に入った。『ぼくのローカル線』(写真集)写真:広田尚敬、文:嵐山光三郎、山と溪谷社 (1988年)だ。これはとてもうれしい。なにしろ1988年に出た本で、おまけにインプレスグループになる前の山と渓谷社の本だ。そして、おそらく当時でも部数がそう多く出たとはとうてい思えない。自分が出版業界で働いた経験から思うと、1988年で1,800円という価格がついているところをみると部数の少なさは想像がつく。この本は当時、中学生の自分には手を出しにくい価格だった。

2022年6月25日土曜日

【西武国分寺線撮影記事】たそがれどきの駅前通り(その2「駅前通りの情景」編)


■西武国分寺線のとある駅前通りを主題にしたバージョン
西武国分寺線にある、駅前通りが素敵な駅周辺をスナップショット的に撮った写真をまとめる話の続きだ。前回のエントリーでは「2000系初期車が走るようす」を主題にして、駅前通りはその雰囲気を描くための、いわば「添えもの」として考える組み合わせをお目にかけた。

2018年1月14日日曜日

【写真術の話】プラグインソフトなしでAdobe Photoshopだけで「フィルム写真らしく」する【実践編】

緑かぶりを与えてみたよ。彩度も落としてやや明るくねむく

■気が利かなくごめんなさい!
先日書いた「プラグインソフトなしでAdobe Photoshopだけで『フィルム写真らしく』する」というエントリーを、たいへんよく読んでいただいていることに筆者はたいへんおどろいた。とてもありがたい。

でももしかして、読んでいただいた方はプラグインソフトを使わないで露出とプリントに失敗したネガフィルムのような「不明瞭な絵柄」にレタッチをする具体的な方法を知りたかったのではないか、ということにおそまきながら気づいた。そう考えていたら思わず変な声が出た。遅いよ俺氏。気が利かなくてごめんなさい。

そこで今回は、私がふだん使う「不明瞭な絵柄」すなわち「ネガフィルムで撮った褪色しかけた写真ふうに仕上げる方法」について、フィルム仕上げふうにするプラグインソフトを使わず、Adobe Photoshop(以下、Photoshop)で仕上げる処理方法を説明したい。

筆者はLightroomではなくPhotoshop使いなので、ようは調整レイヤーとレイヤーマスクで仕上げて行くということだ。Photoshop Elementsでも同様の作業はできるはず。Photoshopを使うのは筆者が慣れているから。嫌になったら調整レイヤーを破棄すればいい。つまり、元画像に手をなるべく加えないということ。Lightroomもカタログファイルにパラメーターを書き込む形式なので、オリジナル画像に手を加えないでは済むが。

なお「調整レイヤー」と「レイヤーマスク」というものがわからないかたは、そこまでのくわしい説明は本記事内ではしないので、AdobeのヘルプページやPhotoshop本、いろいろなWebサイトで調べてほしい。自分で調べるほうが身につきますよ。

2014年1月21日火曜日

【ニコンカメラチラ裏記事】ニコンFEを手にして(秩父鉄道1000系関連情報もあり)

久しぶりに手にしたFE+Ai50ミリF1.8S

■クロームのニコンFEを手に
いま、手元にニコンFEがある。私の所有物ではない。入院して身動きがとれない友人に頼まれて探したものだ。色はクロームで、レンズはAi50ミリF1.8Sの「国内バージョン」などともいまは呼ばれているものをつけてある。国内用は最短撮影距離45センチメートル。輸出用は60センチメートルだった。とはいえ、それほど珍しいレンズでもない。

2014年1月27日月曜日

【JR鶴見線1990年代】101系冷改車と103系更新車の競演

中央快速線→南武線からやってきた101系冷房改造車

■101系と103系は「ありふれた電車」だった
以前も書いたことがあるが、私の年齢だと国鉄101系や103系というのは生まれたときからたくさん走っていた通勤型電車だ。103系はとくに国電区間(当時)のどこででも見られたような電車だから、日常的すぎてめずらしくもなんともない電車だった。

2014年3月23日日曜日

【秩父鉄道1000系撮影記事】全12編成を振り返ってみると

秩父1000系1001F国電リバイバルカラー(スカイブルー)
1001編成(2009年11月撮影)

■秩父鉄道1000系電車の全編成を振り返る
意図されてではなく、おそらくはさまざまな理由がたまたま重なったことによる。1957年から1966年にかけて製造され、1986年から1989年にかけて秩父にやって来た1000系電車(国鉄101系電車)は、秩父鉄道の主力として国鉄に在籍していたのと同じくらい、あるいはそれよりも長い期間、秩父の地を走り続けた。

私が鉄道を改めて本格的に撮り始めた(鉄道写真に出戻りした)のが、1000系1004編成と1006編成が運用離脱した2008年春からなので、この2編成の写真だけは譲渡直後のポジフィルムでしか写真がない。冷房化後の近年の姿は記録できていないということだ。

それでも、秩父鉄道公式Webサイト内の特設サイト真似をして、私が収めることのできた1000系電車12編成の写真を貼ってみようと思う。写真キャプションのカッコ内は撮影年と月をしめす。

2018年3月15日木曜日

【チラシの裏】なにげないフィルムの値段がF2アニキを傷つけた


■F2アニキ覚醒
 急ぎの原稿書きと編集作業に追われていて、自分のための撮影とか趣味の撮影もしないでいたせいか、少し気分転換をしたくなった。急を要する仕事をおおかた済ませたある日、棚にあったニコンF2アイレベルを外に持ち出した。

2024年3月10日日曜日

【秩父鉄道1980年代】SLパレオエクスプレス運転開始のころ


■1988年(昭和63年)4月1日の秩父路
もうすぐ2024年の秩父鉄道SLパレオエクスプレスの運行が始まる。3月8日付け発表の報道資料によると今年は4月13日(土)、14日(日)、20日(土)、21日(日)の4日間はJR東日本ぐんま車両センター所属の旧型客車4両を借用して運行されるそうだ。同リリースにもあるように、SLパレオエクスプレスの運行開始時から1999年までは、旧型客車で運行していた。今回運用する旧型客車のうちの1両スハフ32-2357はそのときにも用いられていた。

私はこのSLパレオエクスプレスの運転開始された1988年春までは、秩父鉄道に夢中で通っていた中学生だった。春の運行開始直後にも数枚だけ旧型客車を牽引するC58363の姿を撮影している。

2013年12月6日金曜日

【1980年代末の秩父鉄道】秩父100形電車のこと その2

クハニ29を正面から(1987年8月)

■リバーサルフィルムのなかでいまも秩鉄100形電車は走り続ける
父鉄道100形電車や急行形の300系電車が気になり始めたころは、私にとってはちょうど一眼レフに交換レンズとリバーサルフィルムを用いて本格的に写真を撮り始めた時期でもある。思えば運がよかったのは、コダクローム64(当時あったフィルムの略号でいうと「KR」)で100形電車を少しだけでも写真に残すことができたこと。

そのおかげで、25年ほどたってもコダクロームのなかで、100形電車は色褪せることなく走り続けているかのようだ。

2015年7月15日水曜日

【JR八高線撮影記事】入間川橋梁、1990年代

相模線電化後に八高線にやって来た相模線色のキハ30

■入間川橋梁に行くと思い出す
前日の記事に書いた約25年前に撮った写真をお目にかけたい。旧ブログでもアップしたことがあるので、いずれも再掲載だ。その記事を加筆して再掲載しようかと思ったものの、新たに書くことにする。

撮影はいずれも1992(平成4)年9月のはずだ。フィルムはPKR(コダクローム64プロ)。大学生になったばかりの夏休みなのにアルバイトもせず、したがって遠出する余裕もなくて、高校生のころの同級生と近場をうろついていた記憶がある。中学生から大学生にかけてまだ非電化だった八高線は私には、そう遠くないのに遠出した気持ちになることができる路線だったからだ。なにしろ、八高線は当時首都圏で最後の非電化路線だった。

2022年2月1日火曜日

【写真術のお話】撮影後にレタッチするならばRAW+JPEGで撮っておくことを卿(けい)らに勧める理由

たいしてレタッチしていない感じの写真だけど、
RAW現像時にはそれなりにいろいろとしているよ

■レタッチなんて好きじゃない
いまごろになってアニメ『銀河英雄伝説』に夢中になっている。最近作られたノイエ版ではなく、むかしのOVA版のほうだ。銀河の統一を意図する帝国とそれに対抗する共和国、そのあいだで暗躍する中立的な帝国自治領と、裏からすべてを操ろうとする宗教団体のそれぞれのキャラクターが魅力的だ。

2018年2月12日月曜日

【カメラ趣味にまつわるチラシの裏】「エピソードを買う」つもりで


 このところ、細かいいろいろな用事が積み重なってしまい、すっかりブログ更新が遅れてしまった。たまにお越しくださるみなさん、お待たせしてごめんなさい。

■困るのは「半端に古い」もの
 さて、今日はひさしぶりに写真趣味ではなくて「カメラ趣味」のことを書こうと思う。筆者は以前はたくさんのカメラを所有して「でへへ」と照れ笑いを浮かべる趣味があった。いや、でへへと照れ笑いをすることは趣味ではないけれど。とにかく、写真を撮ることが趣味でもあると自認していても、写真撮影には道具が必要なので、その道具への興味からどうしても(といういいわけ)。とはいえ、そう高価な品物を持ってはいないので、あらたにカメラを入手しても下取りをせずにいて、その結果としてどうしても自宅にはいろいろなカメラとレンズが増えていく。もっとも、ここ10年ほどは暮らしが変わったこともあって、必要以上にカメラを増やすことをしなくなった。赤さんもいたからね。自分の楽しみだけへの消費はあまりしたくなかった。

2014年1月12日日曜日

【撮影術】秩父鉄道でミシシッピー・ワン


■サラ・ムーンみたいに撮りたいことがある
「秩父鉄道でミシシッピー・ワン*」などと書いても、秩父鉄道好きのお仲間にはさっぱり意味がわからないだろう。数人の写真仲間のかたには、あああれね、とご理解いただけるかもしれない。半分冗談だけど、半分本気だ。

2012年1月18日水曜日

【KIEV-6S関連記事&秩父鉄道リハビリ鉄記事】オレンジバーミリオンIIに感激していたら

KIEV-6SとMC ARSAT (VOLNA-3) 2.8/80の基本セット

■秩鉄沿線をKIEV-6Sで撮る
秩父鉄道を訪れたときの話をしよう。あれは、7500系電車7505編成の試運転中のことだった。高崎線沿線にある「ダーチャ」(ロシア語「別荘」。ここでは「バリニッツァ」「ゴシピタリ」「ポリクリニカ」の比喩)の帰りに熊谷まで出てから秩父鉄道に乗り換えて、KIEV-6Sを持って荒川桜堤の駅に降り立った。

KIEV-6Sはブローニーフィルム(120サイズ)のフィルムを使う、6×6フォーマットのペンタコンシックスマウントを持つ一眼レフだ。見かけはもちろん大柄だ。けれど、ペンタックス67やマミヤRZおよびRB67などに比べたら、標準レンズであるMC ARSAT 80mm F2.8やVEGA-12 90mm F2.8だけをつけて持ち歩くには、私にはそう重い感じはしない。けっして軽くはないけれど、中判一眼レフカメラとしてはそう重いわけではない。