2021年12月15日水曜日

【八高線撮影記事】209系3100番代「ハエ72編成」が走った最後の秋の日々 その2 四半世紀ぶりの下加治踏切訪問

飯能の町から高麗丘陵に向けて勾配を登るハエ72編成
(下加治踏切の次の松岡踏切にて)

■飯能は扇状地の扇の端にある
飯能市から入間市、狭山市にいたる入間川沿いの一帯は加治丘陵と高麗丘陵に挟まれた、川沿いにできた扇状の台地(扇状地)なのだということを、金子〜東飯能〜高麗川のあいだを八高線の列車に乗るたびに思い至る。飯能市Webサイトにもそうあった。飯能市はその扇の要の部分から広がるあたりになる。このことは、南北の移動を行うとわかる。

出典:国土地理院

海抜80メートルの高さにある高麗川から八王子をめざす八高線の上り列車は、日高市と飯能市の境あたりにある高麗丘陵を20パーミルの勾配で登って木々のあいだを抜ける。この勾配の頂点近くにある宮沢踏切付近が、マピオンの地図によると海抜128メートルだそうだ。

そこからは東飯能に向けて下り勾配を下りていき、聖望学園のあたりで曲線を通過して東飯能に着く。東飯能は海抜105メートルで、いわばふたつの丘陵の谷にあたる。

その後、東飯能を出ると入間川橋梁に向けて勾配を上り、そのまま加治丘陵を越えて長い上り坂を駆け上がって、金子に至る。金子は八高線の駅でもっとも標高が高い海抜152メートルのところにあり、その箱根ケ崎よりには海抜158メートルの八高線最高地点がある。

列車に乗ってこの一連のアップダウンを通過するたびに、どうにかそれをうまく絵にできないものかとは考えていた。いつも撮っている入間川橋梁の写真もそのうちのひとつではある。

上記の場所で振り返ると下加治踏切と下加治高架橋が見える
(列車通過後に踏切遮断機が上がってから撮影)

空が青い

■「鹿山峠」に30年ぶりに行った
「八高線は関東平野の端、山地のはじまりとの境界部分を走る」とはなんども書いている。そのために、あちこちで丘陵を越える区間があるのが八高線の特徴だ。蒸気機関車牽引の貨物列車が走っていた1960年代には、これらの丘陵の勾配区間、すなわち煙を吐く可能性がある区間が、八高線の列車撮影の有名撮影地として好まれていたようだ。

このうち、金子〜東飯能の加治丘陵越えを当時は「金子坂」、東飯能〜高麗川の高麗丘陵越えを「鹿山(かやま)峠」と、当時の鉄道ファンは呼んだらしい。西武池袋線を使えば都心からもアクセスしやすいところが、なおよかったのだろう。ただし、この用語はいわば当時の鉄道ファンだけのいわば「符牒」だから、地元の住民の方に使っても通じないだろうとは思う。

私は生まれていなかったので、蒸気機関車が八高線を走っていたその時代を体験していたわけではもちろんない。だが、1980年代末から90年代初頭にかけて、非電化でディーゼルカーと貨物列車が走っていたころに、中高生だった私は八高線のこれらの丘陵のことを知って訪ねていた。

いまとなっては、何か特別な列車が走るのでもない限り、貨物列車の定期運行もないふだんはそれぞれの区間で撮影しているのはわりと限られた「八高線ファン」だろうか。

私自身はこのうち、入間川橋梁付近の加治丘陵のほうには、ここ5年ほど思い出しては通っていた。だが、高麗丘陵のほうは列車で通過することはあっても、列車を撮影するために足を運ぶことをしていなかった。

だが209系電車3100番代ハエ72編成が動いていたよく晴れた11月下旬のある日に、ふと思いついて高麗丘陵を訪ねてみることにした。入間川橋梁には何度も足を運んでいるので、ほかの場所でもハエ72編成を撮ってみたくなったからだ。じつに四半世紀ぶりというか……30年ぶりかも。うわあ、年齢の話はやめようぜ。

下加治高架橋下の下加治踏切から東飯能方面を見る

望遠圧縮効果を使うと、高低差が強調される。
画面奥に中山陸橋も見える
(列車の通過後に踏切遮断機が上がってから撮影)

■30年も経って「アァアアア年号がァ!! 年号が変わっている!!」
この高麗川から東飯能にかけての丘陵の区間が、1996年に電化されてからずいぶんようすが変わっていることは、2005年に近隣に転居してひさしぶりに列車に乗って通過してから気づいていた。電化にともない架線柱やトロリー線、通信ケーブル、障害検知装置や各種信号機器などが設けられ、さらに近年になって切通しも大きく削られて、法面にコンクリートの補強がなされた区間も。

沿線に住宅が増え、いままで少なかった高層の建物もできた。さらには1996年に高麗丘陵の端と住宅地の境にある下加治踏切の上に、県道30号飯能寄居線(下加治バイパス)の下加治高架橋ができた。電化に合わせて橋ができたのかも。さらに2006年には聖望学園そばに国道299号線飯能狭山バイパスの中山陸橋ができた。ふたつのオーバーパスができてずいぶん景観が変わった。

そりゃあ30年も経てば町は変わるよ。一世代交代したようなものだもの。なにしろ平成から令和に御代が変わったのだ。「アァアアア年号がァ!! 年号が変わっている!!」というのは『鬼滅の刃』のワンシーンから引用した冗談だけど、そんな思いもある。

1987年10月に撮ったキハ38-1ほか。
画面中央の踏切が下加治踏切。
ふたつのオーバーパスがまだ存在しない。
どうやら切通しの上から撮ったようだが
いまはこの場所は民家が建っていて同じアングルでは撮れない

長福寺踏切から下加治高架橋とその下の下加治踏切を見た
2021年12月現在のようす。左奥の建物が飯能靖和病院。
上記の写真は画面左上から撮ったようだ

東飯能方を向いて左側奥にある飯能靖和病院は1980年に開院していたそうなので、非電化時代にもあったような気がする。下加治高架橋と中山陸橋がないと、画面奥の聖望学園正門のところにある文字が見える。

■思っていたよりも「絵にできる」ことがわかった
この区間の撮影に30年も足を運ばなかったのは、まず鉄道趣味をやめている期間があったから。そして鉄道趣味の再開後も子どもが小さいうちは、自分の趣味だけの時間をそう多くは設けられなかったから。

この区間を列車で通過するたびに、この区間を眺めるのをいつも楽しみにしていたのに、なかなか降りて訪ねる気になれなかった。それは、建物がずいぶん増えて、線路を越えるオーバーパスがふたつもでき、いろいろと非電化のころより撮影しづらそうに思えた。そして、撮りづらいかもしれないと思いながら飯能や東飯能から歩くことにたいして、気乗りしなかった。不確実な要素が多いと行動をしなくなるというのは、加齢により臆病で怠惰になったということだ。

だが調べてみると、メッツァ(メッツァビレッジとメッツァムーミンバレーパーク、つまり宮沢湖)まで飯能駅北口から路線バスを利用すればいいということに思い至った。そこまで頭が働かなかったということは、いままではそう本気で撮りたいと思えなかったのかもしれない。中高生の当時だって宮沢湖行きのバスはあったはずなのに失念していたとは、いろいろと私はうかつだ。

2021年12月現在、メッツァまでは西武バスと国際興業バス、イーグルバスの直通バスがあり、さらにイーグルバスの武蔵高萩駅行きの路線バスがある。とくに後者の飯能駅北口と武蔵高萩駅を結ぶイーグルバスの路線バスは、メッツァ付近では上記の飯能寄居線を経由する。これを利用すれば公共交通機関を利用しながらの撮影でも横着もできる。ただし、どちらも東飯能駅は通らないので要注意だ。東飯能駅とメッツァを結ぶバスは残念ながら「当面のあいだ」運休中だ(このまま廃止になるのではないかと思う)。また、高麗川駅にも入らない。高麗川駅には上記のイーグルバス小畦橋バス停で下車する。小畦橋バス停と高麗川駅は徒歩10分程度の距離だ。

長福寺踏切に向けて。
手前のケーブルの処理に悩んだので360mm相当で

高架橋の歩道から必殺技「息を止めて背伸び」で撮影

そうして飯能駅北口からメッツァ行き直通バスに乗り、メッツァから歩いて高麗丘陵と飯能の町の境にある下加治高架橋にまずはたどり着いて、なるほど……とうなった。画像検索やgoogleストリートビュー、ほかの方の写真で知っていたけれど、むかしとはずいぶんようすがことなる。けれど、いまならば焦点距離の長いレンズも持っているし、多少は経験も積んだ。なお、直通バスではなく路線バスならば、下加治高架橋には飯能靖和病院バス停が至近だ。

そういう視点であちこち歩いてみると、以前と同じ構図にはできなくても、下加治高架橋からも「かなり工夫をすれば」むしろ以前は撮れなかった角度からの撮影ができることがわかった。「かなり工夫をすれば」と括弧書きをしたのは、高架橋からの見晴らしはいいものの、高さ2メートルくらいの防音壁があり、隙間はほとんどないからだ。レンズ口径の小さいコンパクトカメラやスマートフォンでもないと、隙間からは撮れそうにない。

だが、私は公共交通機関を利用していることと、徒歩で撮影地を探すために脚立や背の高い三脚を持ち歩かない。だから、ケーブルや高架橋の防風壁を避けるために、ふつうのアマチュアユーザーでは扱うことのできない業務用の高い一脚などを用いるのではなく、防音壁に背中をつけて、縁石にかかとだけ載せて必殺技「息を止めて背伸び」をして「DXフォーマットボディで×2クロップ」でなんとか撮影した。撮影現場にあるもので工夫しないとね。

念のために書き添えておくと、高架橋に歩道はあるが、私にはここで脚立は使いづらい。

そうやって工夫すると、撮ろうと思えばいろいろ絵にできると思い、このあとも12月上旬のハエ72編成が運用入りしていたころに、数回通って撮った。この場所は予想していたよりはずっとよかったからだ。そして、高麗丘陵のこの先の区間である「鹿山峠」にも行ってみた。その話は次回以降に続く。

【2022年1月3日追記】:飯能駅北口と武蔵高萩駅を結ぶイーグルバスは高麗川駅には入りません。筆者の確認不足でしたので、その部分の記述を加筆訂正しました。訂正し、お詫び申し上げます。

【撮影データ】
NikonDf, NikonD7200, iPhone 7Plus/AI AF Nikkor 180mm f/2.8D IF-ED,  AI AF Nikkor ED 300mm F4S (IF)/RAW/Adobe Photoshop CC