2015年7月16日木曜日

【JR八高線撮影記事】鹿山峠にて、1990年代

東飯能から歩いて聖望学園の前あたりにて
JR八高線は関東平野の端、山地のはじまる境のあたりを走る。そのため、金子前後で加治丘陵(入間市と青梅市、飯能市の境)を越え、さらに東飯能から高麗川にかけては高麗丘陵を越える。そして、そこから先は寄居にかけて毛呂山や比企丘陵のあたりを抜けるために、金子から東飯能、高麗川から寄居にいたるあいだに最大20‰程度の勾配がある。八高線でもっとも標高が高い地点は、入間市の金子付近だ。

私は世代的には現役の蒸気機関車を見ていないが、八高線が無煙化(1970年)されるより前に「東京近郊で最後に蒸気機関車が走っていた」1960年代には、この金子周辺の加治丘陵越えと東飯能〜高麗川の高麗丘陵越えをそれぞれ、「金子坂」「鹿山峠」と当時のファンが呼んでいたようだ。とはいえ、1999年の貨物列車の廃止以降は八高線には定期貨物列車が走ることもなくなって、とくに電化された八王子〜高麗川ではDD51が乗り入れるようなこともなくなり、これらの撮影の名所には通勤電車しか走らないいまとなっては、もはや金子坂とか鹿山峠という名称もいささかノスタルジックなものに思える。ふだんは金子坂や鹿山峠をめざすファンも少なかろう。103系3000番台の撤退時や201系電車の中央線直通列車の廃止などの際には、これらの場所に撮影者が急に増えたのだろうと容易に想像できるが。

それにしても、D51やC58を運転していた当時の乗務員は苦労したことだろう。電化されたいまとなっては、209系電車と205系電車がどちらもかるがると越えていく。かろやかに加速していく電車に揺られて金子や高麗川を通るたびに、そう思う。

越後線電化で八高線にやって来た500番台。前面強化対策が未施工だ
キハ38も混結していたのだった
同じ編成かと思ったらヘッドライトが異なる。これも500番台車
秩父セメントのマークも懐かしい
単機回送に遭遇して流し撮り
1990年代はじめの電化直前の数年間は、キハ30・35とDD51ばかりで、いつ見ても印象が変わらないように思えた八高線でも、いまこうして見てみるとそれなりの車両の入換えがあったようだ。大所帯だったキハ30・35にもステンレス車のキハ35900番台車や越後線用の耐寒耐雪装備対応の500番台車(ベンチレーターが見分けるポイント)や相模線色の車両が加わり、キハ38の新造もあった。キハ20やキハ40が混結されていることもあった。そして、DD51がときには重連で貨物列車を牽引していたことも。

そんな光景をわずかでも見られたことだけでも、ありがたいと思うべきだろう。

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