2014年7月28日月曜日

【鉄道史跡散歩】入川森林軌道跡を訪ねて(後編)


■渓谷軌道跡がよく残されているわけ
入川渓谷軌道は戦前に敷かれた、だが、その後昭和58年にわずかなあいだに復活したとのことだ。そのおかげで軌道がよく残されている。

ただそれでも、もう30年も前の話だ。特に、この冬の大雪の雪解けによるものか、川に接した側の線路が斜面に落ちているところも少なくない。線路が残されたようすが見られるのも、実はそう遠い先までではないのかもしれない。





■自分の興味は自然にあるのではないことを味わった
私はナローゲージャーではない。子どものころに創刊したばかりの『レイルマガジン』誌や、『鉄道ファン』誌の過去のナローゲージ鉄道の記事を読んで、子ども心にその非日常性に惹かれた程度でしかない。けれど、残された二条の軌道になんともいえないロマンを感じてしまうのはなぜか。

おそらく、私の興味は自然にあるのではなく、人の手によって作り上げられたものにこそあるからなのだろう。戦前、この軌道を敷設した作業はおそらく相当過酷だったにちがいない。

この演習林もよく手入れがされており、土砂崩れのあった斜面の部分はその都度整備されている。そういう、人の手が加わった自然ばかり写真に撮っていたことに帰宅してから気づいた。廃墟趣味にも少し似ているのかもしれない。

■鉄道史跡に縁があった
さて、この日は「鉄道史跡」にどうやらとても縁がある一日だったようだ。路線バス車内から三峰口の秩父鉄道保存車をちらっと写しただけではない。

西武鉄道横瀬車両基地の大雪で傷んだ検修庫の解体補修工事が始まり、保存されていた車両たちが外に出ているのを目にすることができた。まるで、プラレールかNゲージで子どもが組成するような楽しい編成だ。



E31の片方のパンタグラフが損傷しているほか、スム201にはカバーがかけられている。そして、3000系のクハもあのなかにいたとは知らなかったが……運転室ドアがなく、無線アンテナとベンチレーターが変な向きを向いている……!