2015年6月16日火曜日

【チラシの裏】路面電車の行き交う町にて



曲がり角に連柱のある古いビルが建っている。その曲がり角をときどき、中央駅行きの路面電車がやってくる。信号待ちで一時停止したあと、ゆっくり起動する際にパンタグラフからばちばちとアークが飛び、大きな音があたりに響く。そのようすをしばらく見ていた。くだんのビルの二階は喫茶店になっており、持ち込んだパソコンで作業をしていても、路面電車が来るたびに手が止まってしまうのだ。



日没が近づき、太陽が向かいのビルの向こうに隠れた。ビルの前の路面電車の軌道敷は昼間でもあまり日が当たらないが、薄暗くなるとやはり人恋しい。

喫茶店を出て軌道敷沿いに歩きかけてふと路地を見ると、奥に空き地がある。空き地にはまだ残照が見える。なんとなく明るい空き地に惹かれてそちらに歩き出す。野良猫が見知らぬ人間の闖入に驚いて、逃げていく。雑草が生い茂る空き地はフェンスで囲われているようだが、長年放置されてあきらかに近隣住民の通り道や子どもたちの遊び場になっているとおぼしき道ができている。私もそこを歩いていく。


空き地に足を踏み入れて驚いた。そこはかつての交換設備と留置線のある駅の跡だった。といっても、新鶴見操車場などのような広大な広さではなく、せいぜい2から3番線程度のもの。有効長も短く、おそらく例の路面電車の旧線かなにかだろうか。

草むらのなかに錆びた線路と転轍器が見え、抜かれた犬釘が転がっている。つわものどもが夢のあと、とでもいいたくなるような光景だ。表通りから少し入っただけで見知らぬ場所があるのだと知り、どう絵にするか考え込む。

するとまた、中央駅行きの路面電車が軌道敷の敷石を鳴らして走る音が聞こえて、はっとした。



……そこで目が覚めてしまい、私はとてもがっかりした。

なんだよう! どこだかわからないけれど、いま知っていたら飛んでいきたくなるような場所ではないか。ちなみに、設定では場所は日本国内だ。というのは、路面電車の方向幕には日本語で「中央駅前」と書いてあったから。最近行く前橋みたい。繁体字でもロシア語のアルファベットでもなかった。そして、野良猫も日本の短尾系キジトラだ。ただし、連柱のあるビルの前を走る路面電車のようすはあきらかにプラハだ。ビルの二階の喫茶店から曲がり角を曲がってプラハ本駅(フラーブニー・ナードラジー)行きの路面電車を眺めたのは、2001年冬のプラハだ。けれど、電車はタトラSUとチェコ国内仕様ではなくソビエト輸出バージョン。塗装もモスクワ市電のように、ベージュと黄色のツートーン。そして、路面電車が交差点で走り始めるシーンは都電荒川線の飛鳥山公園あたりで見たものだし、草むした線路は子どもの頃によく遊び場にしていた北王子線から分岐していた須賀線跡*と西武安比奈線か。いろいろといいとこ取りというわけだ。

ソビエト映画の創成期にモンタージュ理論というものがやりとりされた。いまとなってはあたりまえであろう映画の編集理論だ。さまざまなシーンを編集すれば観客に別の印象を与えることができる、というもの。夢とは思えば、実に都合のいいモンタージュなのだ。

【写真はすべて再掲載。路面電車は1994年から1995年にかけてのモスクワ・オクチャーブリスカヤ広場とオスタンキノ。旧ロシアホテル前の写真は2001年2月のモスクワにて。猫は2001年ごろ撮影】

*北王子貨物線から分岐していた須賀線跡:最近まで日本製紙の倉庫まで貨物列車が走っていた北王子線(田端信号所~北王子)から分岐して、というよりも、そもそもが王子~須賀(現在の豊島五丁目団地付近)にあった大日本人造肥料(現在の、日産化学工業)の工場への専用線として作られた路線が分岐して北王子線になったのだそうだ。その須賀線は王子消防署に面した北本通りの王子四丁目交差点で、当時の王子軌道(のちの都電27系統)と平面交差していたという。私は昭和50年代初頭にその王子消防署付近に住んでいたので、須賀線跡のうち北王子線との分岐から王子四丁目交差点にいたる部分は線路が残っていたことを覚えている。由来を知らず須賀線跡を学校の帰り道に寄り道して歩いたり、遊び場にしていたというわけだ。
 そして、須賀線で逐電池式機関車が走る由来となった旧陸軍火薬工場は、自分の住んでいた家の道の向かいの一帯がそうだったのだと知ってなるほどと思った(その一帯は、都営住宅と公務員宿舎、公園、学校などの公的な施設に用いられているからだ)。思えば、「陸軍……」と書いてあるコンクリートの古い標識が道路の端に埋もれていたのも、登下校の最中に見た記憶がある。

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