2018年3月15日木曜日

【チラシの裏】なにげないフィルムの値段がF2アニキを傷つけた


■F2アニキ覚醒
 急ぎの原稿書きと編集作業に追われていて、自分のための撮影とか趣味の撮影もしないでいたせいか、少し気分転換をしたくなった。急を要する仕事をおおかた済ませたある日、棚にあったニコンF2アイレベルを外に持ち出した。
 ただし、持ち出しただけ。35mm版のフィルムの買い置きはここ10年ほどしていないから、まずフィルムを買う必要があった。以前は、モノクロネガフィルムとカラーポジフィルム、カラーネガフィルムのストックが冷凍庫にあった。とはいえ、さすがにその補充をしなくなっているので、自宅にはもはやそんなものはない。

■目的はカメラに触れること
 フィルムの入っていないカメラを持ち出すくらいなので、なにかをバッチリ撮ろうという明確な目的がない。むしろ、カメラの感触を楽しみたい、カメラに触れたい、操作を味わいたい、そんなところが目的だ。それにこういうときは、カメラに触れることや歩くことにたいていは夢中になっているので、たいしたものは撮れない。そこで、ほんとうに写したくなると、いっしょに持ってきたLUMIX GX7 Mark IIで撮った。


 自宅周辺でフィルムを手に入れるには、国道ぞいにあるロードサイドのカメラチェーン店に行く必要がある。市内で入手できるだけまだ恵まれているか。ただし、ロードサイド店は公共交通では行きづらく、入手後の行動のしやすさを考えて、地元駅まではF2の空シャッターを楽しみながら歩いた。もう、このあたりで尋常ではないね。そうして地元駅からは電車に乗って繁華街でもあり、観光地でもある「時の鐘と蔵の街」にフィルムを買いに行くことに決めた。そうさぼくはぶらぶらと歩きながらいくつかあるカメラ店に向かうのさ仔猫ちゃん(なぜか小沢健二ふう)。


■惚れてまうやろ、ジョイ!
 移動中の車内では手持ちぶさただ。スマホを見るのも飽きる。そこで、最近になってようやく観た『ブレードランナー2049』に出てくる、主人公Kのパートナーであるホログラムのジョイ(を演じるアナ・デ・アルマス)にあれこれと思いを馳せた。作品本編とまったく関係がない感想……でもないな、『ブレードランナー』はそもそも「人間とはなにか/人間らしさとはなにか/自我とはなにか/自由意志とはなにか」を問う物語なのだから。ジョイは健気で従順で見た目がよくて孤独をわかちあってくれる存在というのは、いかにも萌えキャラだ。惚れてまうやろ! もっとも、AIなのだから従順なのはあたりまえか。それに、人間に反抗しないようにプログラムされているレプリカントである主人公もふくめて、みないい子すぎて、ほんとうはどういう性格なのかはわからないね。それもふくめて、『ブレードランナー』はミソジニーにじつに満ちているところもアレなのだけど……なんでも、ディストピアを描くために強調されているのだとか。

■なにげないフィルムの値段がF2アニキを傷つけた
 さて、電車を降りて蔵造りの街やその裏道を歩き、カメラ店に着いた。最終戦争後のディストピアを思い出しながら、江戸時代から続く蔵造りの街を歩くこのパラドックスはちょっとおもしろい。ともかく、そのショーウインドーに並ぶフィルムカメラの名機種を目にしながら、並んでいるわずかなフィルムの値段を見て、私は飛び上がった。心のなかでは「なんじゃこりゃああああ」とは思った。ヨドバシ価格を見て知っていたつもりなのに。ILFORD XP2 SUPERが1,150円、KODAK EKTAR 100が1,600円だったかな。ここ15年で2倍の値段になったといっていい。私はいまどきの若いひとたちのように期限切れカラーネガフィルムや、特殊な画像効果のあるようなフィルムで色被りさせた絵を撮りたいわけではなくて、ちょっといいフィルムできちんと撮ってみたかったのだ。すると、こういうお値段がする。


 なにやら、中学生のころにフィルム一本一本を惜しみながら撮っていたころを思い出す。中二病時代ではなくてリアル中二のころな。秩父鉄道に撮影に行くのに、一日でもリバーサルフィルムを最大2本までと決めて撮っていたのだ。朝から晩まで最大で72カットですよ。どうしたんだろう……おかしいね……涙が止まりませんよ……。いまなら、朝から晩まで夢中で撮っていたら、RAW+JPEGで数千カットは撮る。私は比較的「撮りすぎ」るひとではある。けれどその理由は単純だ。撮ればよかったという後悔は好きではないし、腕を上げるにはたくさん撮るしかない。より正確には、たくさん撮ってたくさん発表してたくさん批評されることだ。先日、取材で会ったカメラマン氏も言っていた。写真がうまくなるなんて簡単さ。寝ないでひとよりもたくさん仕事をするんだ。たくさん撮ればいいんだよ、と。

■感触を楽しむためにどうすればいいのか
 フィルムカメラはこう思うと、いまや写真の腕をあげるための道具ではない。大切な被写体をじっくり撮るときに使う特別な道具になってしまったということを再認識する。それでも、F2の感触と大きさでそのままレンズが使えるデジタルカメラがあればいいのに……ここ15年願い続けていることをあらためて思い出す。フィルムカメラ的な感触には必ずしも完全に一致しなくても、まあまあ道具として許容できて、その感触を追体験できるデジタルカメラを自分なりに見つけ出して、そいつでたくさん撮りながら、ときどきなにかフィルムでも撮ってみる、ということができれば理想なのかも。ふだん仕事で使っている道具にはこのフィルムカメラのような感触はないから。写りは好きなんだよ。

 フィルムカメラのような感触のあるカメラ……ひとによってはそれが、富士Xシリーズであったり、ペンタックスK-1やKPであり、OM-D E-M1 Mark IIであり、とくにマニュアルフォーカスレンズをそのまま使いたいなら、メニューがアレだしデザインもナンでバッテリー食いだけど、ボディサイズが大げさになりすぎない35mmフルサイズだと思えばソニーα7シリーズということになるわけか。そりゃあなるよなあ。1,300円くらいの高画質のフィルムを100本買って得られるのは3,600カット。3,600カットというのはデジタルカメラで考えたらそう多くはない(フィルム100本と思うといっけん多く見える)。でも、そのフィルムの購入代金だけで35mmフルサイズのα7IIボディが買える、とか考えてしまうもの。こういう考え方は趣味人としてはすごくつまらないけどね……。

■えいえい! おこった?
 さて、文中でとつぜん『ブレードランナー2049』の話をはさんだのは、きちんと理由がある。登場人物の性格はともかくとして、「ほんとうに使いたいカメラはAだけど、じっさいにはBのカメラで撮る」という自分の思い至った結論のあたりに、この映画でジョイがほかのレプリカントのからだを使って主人公と(以下略)というシーンを思い出させるから。うん、すごい論理の飛躍だと我ながら思う。

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