2024年2月3日土曜日

【上信電鉄2024年1月】冬枯れのなかを走る「桃源堂」ラッピング701編成


■西部劇のような下仁田駅前
下仁田駅すぐ近くには、いまはもうおそらくは使われていないであろう倉庫群がある。かつての貨物輸送に用いられていたものだろう。下仁田はかつては宿場町として栄えた町だ。いまではこんにゃくとネギが名産として知られているが、鉄鉱石や石灰岩を産出する鉱山もあり、上信電鉄はその貨物輸送も行っていた。下仁田駅前にいまでも飲食店がそれなりにあるのは、そのころの名残なのではないかというポストをXでも見たが、それはうなづける。

富岡製糸場をフランス人の技術者が設計し指導をしたように、下仁田にあった中小坂鉄山は明治期にイギリス人やスウェーデン人の技術者によって近代化された。上信電気鉄道(当時)の電化時の資材(電気機関車や変電所機材など)はイギリスやアメリカではなく、第一次世界大戦の賠償の意味もあってドイツから導入されたことはよく知られている。ドイツの敗戦による円高マルク安だったろうから、最新鋭のドイツ製機材を比較的安価に導入できたのではないかと思う。上信電鉄沿線はそうして欧米の技術の導入による近代化が明治年間から進められたのだろうと想像する。


下仁田駅周辺の当時の賑わいはいまは想像するほかないが、鉱山からの出荷と鉱山への資材輸送もあったはずで、鉱山に勤務するひとたち、物資を輸送するひとたちなどの周辺業務に携わるひとたちも数多くいただろうから、おそらくは西部劇にあるようなゴールドラッシュで賑わう町のように、猥雑で同時に活気にあふれていたのではないか。


 ■畑の中の道に出ると
そんな想像をしながら数駅先まで上り方向に戻り、畑の中を歩き始めた。コカコーラの缶でかかしが作ってあるのを見ながら畑の中の第4種踏切にたどりついた。ここは直線で気持ちがいい。そしてあたりに高い建物がないから、空が広く見渡せるところも。

そこへ、桃源堂の広告ラッピングを施された701編成が警笛を鳴らして駆けていった。畑の中の架線柱に止まっていたカラスがわざとらしく飛び立っていく。


■空が青い
遠くに雪をいただいて見えるのは浅間山だろうか。この場所に来るのはいつも冬のことが多く、そしてたいていはからっ風も感じさせず穏やかに晴れた日が多い。この日も早足で歩くと汗ばむくらい暖かかった。空を見るとムクドリの群れも見えた。


■重厚な音を立てて列車は走る
数本撮ってから上り方向へ移動した。254号沿いを歩くと交通量が多く、排気ガスを浴びるのはいつも楽しくない。営業していないようなドライブイン、コンビニエンスストアだった店舗跡を過ぎて、宇芸神社の鳥居のところに来た。

この鳥居を私は全体像を入れないで撮ってばかりいる。それは、鳥居は私の写真にとってあくまでも脇役だから。鳥居全体を画面に入れると踏切警報機と遮断器、道路脇や線路脇のごちゃごちゃしたものが画面に入ってしまう。それを画面内に入れる意味がはたしてあるのだろうか。


そう思っているとさきほど遭遇した701編成が下仁田から戻ってきた。165系由来のMT54主電動機と強制通風式抵抗器による、「かつての国鉄型急行電車の走行音」を立てながら走っていく。車体色は軽快なのに、走行音が重厚なところのミスマッチはいつまでも107系電車(上信電鉄700形電車)から感じさせて、そこがいつもおもしろいと思う。

【撮影データ】
Panasonic LUMIX DMC-GX7 Mark II/LEICA DG SUMMILUX 15mm F1.7 ASPH., LUMIX G VARIO 45-150mm F4.0-5.6 ASPH. MEGA O.I.S/RAW/Adobe Photoshop CC 2024