2020年10月29日木曜日

【JR武蔵野線撮影記事】さよなら武蔵野線用205系電車


■JR武蔵野線から205系電車が引退
さきごろ、JR武蔵野線から205系電車がすべて退役したという。私は205系電車は好きな電車であっても、武蔵野線を走る姿を真剣に追いかけたことがほとんどない。それでも『むさしの』号で大宮から乗ることは楽しんでいた。1985年に山手線に先行試作車が登場したときにはわざわざ乗りに出かけている。

あのころの雰囲気はいまでは想像しがたいかもしれない。たとえば、比較的最近の例でいえば、E231系電車がつぎつぎと各路線を走り始めたころのようすに近いかも。あれは規模も大きくて誰の目にもわかるようなはっきりとした世代交代だった。103系電車から205系電車に置き換わったのも同様だ。だから、E217系電車やE231系電車、E233系電車がE235系電車に置き換わるよりもずっとインパクトがあったように同時代の子どもの私には思えた。

私の子どものころでいえば、すでに1979年には中央快速線の201系電車の試作車が登場し、1982年には営団地下鉄(当時)千代田線直通用の常磐線203系電車は登場しても、それ以外の路線は103系電車ばかりがあいかわらず走っていた。そのさまは、いまひとつおもしろみを感じられないでいた。103系電車という汎用的な国鉄型通勤車両は、子どものころの私には不変の存在のように思われた。そういうところでステンレス車体の「汎用型国鉄通勤型車両の次世代決定版」として登場した205系電車には、銀色の車体の輝きだけにではなく、存在自体にもなんともいえない「まぶしさ」があった。存在から、時代が動いているさまを感じ取ることができたとでもいおうか。

それなのに、引退間際になっても武蔵野線を走るようすを真剣に追いかけることはなかった。103系電車から205系電車に全面的に置き換わったころはちょうど鉄道への興味をなくしていた時期だった。その後、就職してから、あるいは子どもが幼かったころにも、自分自身の鉄道趣味には向き合う余裕も持てなかった。ひさしぶりに鉄道趣味に向き合っているのはこの10年ほどだろうか。

だから私にはそういう「好きだけどまじめに追いかけたことがない」鉄道車両だらけで、いろいろと通いつめて真剣に追いかけているまじめなガチ勢のみなさんにはあきれられそうだ。それでも「115なんてつまんねーよ」と撮影地で出会い私に言い放ったおっさんにイラっときたことがあるのにね。後から来たてめえが帰れよクソジジイ、と思ったほどさ。私は育ちがいいので(冗談ですからね)ご本人に面と向かってそうは言わなかったけど、初対面の人間に失礼なおっさんだと憤慨はした。おっと、言葉が乱れたぜ。とにかく、ハードディスク内をいろいろ見ていて、真剣さがいかに足りていなかったのかと思い知らされる。

■駅以外で撮りづらいから
武蔵野線をかつて走っていた101系電車や103系電車、そして205系電車はどれも好きな車両ではあった。ただ、武蔵野線というのは私にとっては「移動経路のひとつ」でしかなかった。それなりの親近感は持っていたのはほんとうだ。といっても、利用頻度が高くなったのは埼玉県内に転居してからで、せいぜいここ15年ほどだろうか。東北、上越、北陸新幹線、あるいは宇都宮線か高崎線を利用するためには、私には時間的には都心経由でもそう変わらないことが多いものの、距離的には大宮に出るほうが便利なので、そのさいに川越線か武蔵野線を利用するというのがおもだ。常磐線方面に出かける際に都心を経由したくない場合、あるいはIKEA立川のオープンまえまではIKEA新三郷にでかけていたので、その際に利用していた。

武蔵野線自体を撮影対象にしていなかったのは、掘割や高架線をおもに走るために撮影する場所が駅のプラットホーム端のほかは、比較的限られるからだ。とくにJR東日本が橋梁などに、強風での列車遅延対策として首都圏の外周を走る路線に防風柵の設置を本格化してからなおのこと撮りづらくなった。武蔵野線の荒川と彩湖にかけての北朝霞から西浦和にかけては、あるいは川越線の日進から南古谷にかけての荒川橋梁は好きだったのに、いまでは撮りやすいとはいえない。

そしてなによりも私の腕もいまよりもずっとつたなかったので、車両主体のいつも似たような写真になるところも、積極的に撮影したいと思えなかった理由だ。そして、昨今は駅プラットホームの狭い先端に中高生諸君が集まり警備員が監視しているのを見ると、なおさら駅ではよほどのことがない限り撮影したいと思えなくなっている。老害としては混んでいる場所は若いみなさんにお譲りして、悪知恵を働かせてもっと楽に、ひととはちがう写真を撮りたい。

いや、やはりそれはいいわけだな。ネット上でみなさんが撮った写真を拝見していると、ときには列車主体ではなくうまく撮影されている方がいて感心させられるから。いっぽう、私自身は感傷的で思い入れたっぷりな文も武蔵野線用205系電車について書けないもの。だから私が撮らなかったのは、そのほかの撮影方法を積極的に考えるほどの情熱がなかっただけだ。

そして、これは武蔵野線だけではないのだけれど、私はむかしからいろいろな知識を広めて深めていきたいという思いはあるものの、趣味に関しては守備範囲を比較的狭く持つことにしているからだ。知識のアップデートする範囲も従ってそう広くは持っていないのだ。守備範囲を広げることができないといおうか。



■京葉線内を走る姿が好き
とはいえ、武蔵野線用205系電車が京葉線内を走る姿は記録していた。葛西臨海公園駅手前の大きなカーブは逆光になる。けれど、レールがきらめくさまと背景にビル群がゆらめくようす、そこを車体をくねらせるように走ってくる列車の姿はとてもダイナミックに思えて好きだったからだ。都心に勤め先があったころには、仕事の休み時間にもねらったことがある。ステンレス車体の車両には私は情緒というよりも機能性や先進性を感じるので、無機的な都市の鉄道風景が似合うように思われたからだ。また、葛西臨海公園の観覧車や東京湾を車窓から見るのも好きだった。たしか、鉄道趣味をやめているあいだにもそんな写真をモノクロームで撮っていたはずだ。

ただし、メルヘン顔とファンが呼んでいた先頭車両がある京葉線と武蔵野線用に新造された車両の写真がどうも記念写真程度のものしか見当たらない。数が少ないからまじめに撮らないと遭遇機会が少なかったからか。あまり好きではなかったから、につきるか。

それにしても京葉線というのは武蔵野線よりも緑の木々が少なくて埋立地の高架線を走るような、悪くいうと殺風景な路線なのに、それでもこの景色がどこか好きだったのは、思春期のころに新規開業をしてそのころの真新しい姿に関心があったことと、おそらく押井守のアニメが好きだからにちがいない。空を飛ぶ鳥なども写してしまうからね。





■奈良線用205系電車を撮りたい
205系電車はそれでも812両とかなりの数がジャカルタで走っているのだそうで、そうなることは国鉄分割民営化のころにはまったく想像できなかったおもしろさがある。

もっとも、彼の地での205系電車の活躍がいつまで続くのか、あるいは今後もさらに海外で日本製鉄道車両が走るかどうかは、上記リンク先の著者が関連記事でも書かれているように、JR東日本をはじめとする日本の鉄道会社や製造メーカーなどが、車両自体の輸出で終わるのではなく、メンテナンスやアフターケアを請け負って稼いでいくというビジネスモデルを、海外でも今後うまく、そして本気で継続的に運営できるかどうかにかかっているだろう。国産航空機が海外販売に失敗したのも継続的なサポートができなかったからだ。少なくとも、家電製品などの民生用の耐久消費財ではそういうことは日本企業ももう少しうまくできていると思っていたのだが。このあたりは素人が外からぼんやりと見て得た雑感に過ぎないので、もしかしたら私は誤解しているかもしれない。

さて、205系電車は国内では宇都宮線、日光線、鶴見線、仙石線、そして奈良線と富士急行ではまだその姿を見ることができる。いけない、相模線と南武支線を忘れていた。私がもっぱら気に入っているのは、前の章で「京葉線の無機質な沿線風景がいい」などと書いたにもかかわらず、奈良線を走る姿だ。鶴見線もいいけれど奈良線のほうが沿線を歩いていて気分がいい。スピード感を楽しむならば日光線や宇都宮線かもしれない。私自身は一昨年夏に奈良線を走る姿を見て、沿線風景とともに気に入った。もっとも年始に見て以来あれの影響もあって関西も行くことを控えている。近いうちに時間を作ってでかけて奈良線を走る205系電車の姿もまたカメラに収めたい。

【撮影データ】
NikonD2X,NikonD7000/AI AF Zoom-Nikkor 80-200mm f/2.8D ED <NEW>,AI AF Nikkor 35mm f/2D/RAW/Adobe Photoshop CC 2021