2013年10月14日月曜日

【秩父鉄道1000系撮影記事】さよなら国電リバイバルカラースカイブルー1001編成!

手元にある一番古い1001編成の写真。1987年7月、武州日野
さて、秩父鉄道1000系国電リバイバルカラー1001編成スカイブルーは、運用離脱最終日に1010編成秩鉄オリジナルカラーと6連を組んで走り、引退した。そもそも、1986年に秩父鉄道にやって来たのだそうだから、27年も秩父の地で活躍してくれたことになる。

私が秩父鉄道に通っていたのは1985年頃から。手元にある古い写真をいろいろ探してみて、1001編成であると確認できたのは以前にもアップした2枚のポジだけのようだ。古いものは1987年7月、もうひとつは1988年4月とある。コダクローム64をなけなしの小遣いで、爪に灯をともすようにちょっとずつ使っていた中学生から高校生の頃の写真だ。

残念ながら、黄色に茶帯の(いわゆる)チョコバナナ塗装から白地に青、水色、赤帯の秩鉄標準色(オリジナルカラー)に変わった頃や、同塗装で冷房改造前の写真などは、鉄道趣味からはなれてしまっていたので自分の手元にはない。私が1001編成に再会した頃には、すでに国電リバイバルカラー・スカイブルーをまとっていた頃だ。そもそも、各種リバイバルカラーになったことを知り秩父鉄道に再び通い始めて鉄への「出戻り」をしたのだから。
パレオの走り始めた1988年4月。検査上がりなのかピカピカだ
古い写真もよく見るといまと異なる点が見つかっておもしろい。もちろん塗装が異なるし、それ以外にもたとえば、前照灯向かって左側の(国鉄・JR時代の)運行番号表示窓が、JR東日本から秩父鉄道へ売却された当初は黄色く塗りつぶされていたのに、88年の写真では改めて列車種別表示窓として復活しているのだ。この後、秩父鉄道線内のATS設置にともないATS車上子が設けられているし、ワンマン運転開始にともなって、くだんの列車種別表示窓がワンマン表示を行う窓になっている。

そんな古いポジを眺めていて、行ってみたいと思ったのは中高生の頃に何度か通った場所だった。

四半世紀も経つと、列車だけではなく撮影地も変わる。5年ほど前に鉄に出戻って秩父に通い始めて、観光客としてではなく、写真を撮ろうと思って沿線を眺めてまず最初に思ったことは、沿線の宅地化と農地の減少だ。特に、かつてはあちこちにあった桑畑がほとんど見当たらなくなった。家屋や工場が建ったり、木の枝が伸びて撮影しにくくなった場所はいくつかある。そんななか、自動車でもアプローチしやすく工夫次第でいろいろと撮ることができる場所をあちこち紹介されたTakaさんのご尽力には、頭が下がる思いだ。
25年後に同じ区間で反対側を向いて撮影
下り列車を撮った場所は、6両編成を撮るにはあまりふさわしい場所ではない。以前は秩父鉄道に関する雑誌の記事でもよくここで撮影された写真を見かけたものだ。ここをあえて選んだのはこれはもう、自分のノスタルジーのためといっていい。家が増え雑木林が小さくなり以前より雑然としているけれど、ちょっぴり懐かしい写真になったので私としては満足だ。

そのかわり、上りは6両編成全体は撮れなくてもエッセンスは伝えようと思い、久しぶりに荒川橋梁へ行ってみた。荒川橋梁のように開けていて、情報量の多い場所で撮るのは私にはどうもに苦手だ。秩父鉄道に初めて行った頃はよく行っていたけれど、狙いが絞れずいい写真が少ない。だから、実はここで撮ることをずっと避けていた。今回はなるべく情報量を減らすことを肝に銘じて、川面は写さず編成の部分だけを切り取ることにした。好天に恵まれたので、列車を青空を抜いてみても十分に絵になったのではないか。
スカイブルーもオリジナルカラーも青空によく映える
そんなわけで、上下ともに思えば私にとっての「懐かしの撮影地」での撮影だ。それにしても、靴を脱いで川に足だけ水につかっての撮影というのも楽しかった。いや、ほんとうのことを言えば暑いから川に行ったのです。

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