2017年6月5日月曜日

【1980年代西武鉄道】上信電鉄クモハ103-クハ103解体の報を聞き

おそらく1985年(詳細不明)。小手指車両基地にてクモハ472ほか

2014年1月、上信電鉄クモハ103号車
上信電鉄高崎駅構内にながらく留置されていた100形電車(元西武451系電車)クモハ103-クハ103編成の解体が始まった、というしらせをTwitterで聞いた。構内の移動と陸送の準備に数日かけていたようなので、そのようすを見に行くことはできなくもなかったけれど、やめてしまった。

この電車は上信電鉄では1980年から1996年にかけて運用され、その後20年もこの場所にあったのだから、予想以上に長命だったといえなくない。ずっと色あせたままだったのが、2012年にコーラルレッドとパープルの帯に再塗装されたのもなつかしい。
2011年6月
前身である西武451系電車は1959年に製造開始された。第一次オイルショックの頃に生まれた筆者は幼少の頃(昭和50年代、1980年代)に沿線で何度も目にして乗ったものだけど、西武鉄道での廃車が1979年に始まり、1984年に完全に退役しているために西武線内で活躍するその姿を自分でカメラに収めることはできなかった。451系電車と組んでいた旧型国電クハ55にも似たクハ1411についても、その半室運転台や、当時の西武鉄道ではたいへん古めかしく思えるそのスタイル、さらには上毛電気鉄道へ譲渡されるまえに所沢の留置線にクモハ351-クハ1411の編成で留置されていたことも覚えているのだが。そして、上信電鉄で活躍していた1990年代は大学生になっていたのに、鉄道に興味を失っていたためにその姿を見ていない。そして、中学生の頃から興味があった上信電鉄を訪問したのが、鉄道趣味を再開した2010年頃だった。いろいろと遅すぎるけれど、生きていくのに夢中だったのだと思う。

そういうわけで、451系に関しては西武鉄道での廃車時期は筆者は小学生から中学生にかけてで、鉄道本を読み始めた頃であり、じぶんで写真を撮るということを想像さえもしていなかったころに大半は退役していたので、父親の一眼レフを借りて写真を撮り始めた1985年頃に、秩父に出かける途中の列車の車内から小手指車両基地のいちばん奥に留置されている姿を撮ったことがあるだけだ。それでさえもいま思えば、当時中学生でフルマニュアルの機械式一眼レフでよくがんばった、当時の俺! と思う。何度か通過して「小手指の奥には赤い電車がいる」ことを知っていたので、それを撮るためにカメラを屋外の露出に合わせ、用意をして運よく撮ったはずだ。かえってAEがないから露出の失敗をしないで撮ることができたというのは怪我の功名だ。よく見るとクモハ472号車の奥にE61かなにか、電気機関車も見える。「ひらくドアーにごちゅうい」というステッカーも、手前の101系電車もなつかしい。1985年とは、30年以上前なのか(ため息)。

この451系電車は、1970年代から1980年代の少年時代の筆者には、とても地味で古めかしい電車に思えた。その頃の西武の電車は主力は101系電車と701系電車で、新宿線に2000系電車初期車が増え始めた頃だ。101系電車や701系電車のような前面2枚窓を細いセンターピラーで区切った「西武流線型」のデザインではなく、国鉄101系電車をさらに簡素化した切妻型の前面デザイン(あえて「西武切妻型」とここでは呼ぶことにする)で、なによりも非冷房で吊り掛け駆動のモーターと西武鉄道で標準的に使われていたAK-3コンプレッサーの大きな音をたてて走る、古めかしい赤い電車だったからだ。さらにいえば、ガーランド式ベンチレーターと正面窓内に設けられた方向幕も、当時の筆者には「古い電車のあかし」だった。

ところが、のちに西武鉄道に関する書籍をあれこれと読んで知るところによると、あの地味な451系電車は西武鉄道で初めての両扉とアルミサッシを採用し、軽量鋼を用いたという点では、のちの車両デザインや構造に大きな影響を与えた電車だったと知る。両扉3ドアのでドア間に4枚の窓が並ぶ形状は3000系電車にまで引き継がれた(奇しくも3000系電車は2枚の窓を一組にしたデザインがこの451系電車に先祖返りした。4つの窓がひとつずつ独立したのは701系以降、新101系まで)。また、この両扉に採用されたST式戸閉機構(西武所沢工場製)は、国鉄をはじめとする各社の電車にも採用されたという。そう思うと、西武鉄道の通勤電車でもエポックメイキングな電車だったといえる。ただしそれは上まわりに関してだけで、下回りは戦前の旧型国電の機器を流用した純然たる旧性能車だ。

筆者の手元の古いネガには451系電車はほかには残念ながらない。そこで、というのもおかしいな。よく似た形態の571系電車は数年後(1988年)まで残存したためにもう少しカット数が多い。旧ブログの記事を復活させていないこともあり、改めて貼っておく。571系電車は西武湘南型デザインの嚆矢となる551系電車の中間電動車だ。のちに411系電車(401系電車)と同じデザインの切妻型運転室が追加されて先頭車になった。そのため、運転室まわりの形状と運転室後位の窓の大きさ、縦の雨樋があること、運転室扉の形状などがことなる。ほかにも、正面に電動方向幕があること、シールドビーム2灯のヘッドライトのほか、アルミハニカムドア、ドア靴摺り、ベンチレーター、台車がことなるという差異がある。それでもよく似ている。さらに、下回りについても戦前の旧型国電から主電動機や制御装置を流用した451系電車も551系・571系電車も性能は実質的に同じだ。

1986年4月、クモハ571号車、北多磨車両基地(現 白糸台車両基地)

1987年10月、クモハ571号車ほか、二枚橋川橋梁


1987年10月、クモハ571号車ほか、二枚橋川橋梁
上信電鉄クモハ103-クハ103の解体により、吊掛式駆動の西武切妻型電車が姿を消したことになる。解体が残念だというよりも、よくぞここまで残しておいてくれたものだというのが正直な感想だ。戦前の電車とことなり、軽量化されているぶん腐食に弱いはずだから。そして、おなじ西武切妻型電車でもカルダン駆動で冷房化され、ブレーキが改造された401系電車は、上信電鉄、三岐鉄道、近江鉄道でまだ現役なのだから、その姿を記録しに行きたいものだと思う。三岐と近江はずっと未訪問のままだもの(ため息)。

参考文献:西尾惠介、井上和広(1980)『日本の私鉄2 西武』(カラーブックス506)保育社

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