2020年5月6日水曜日

【西武池袋線2010年】「3ドア10両編成」が走っていたころ

2010年12月の年末。平日ダイヤ最終日の朝

■2010年秋から冬の西武池袋線のこと
いま書き出すまえに文章の構成を考えていておどろいて声をあげた。今回は西武池袋線と新宿線を「ほんの少しまえ」まで「3ドア10両編成」の新101系・301系電車が走っていたこと、そのうち通勤のついでにおもに西武池袋線でそれらを撮っていたことを思い出して書こうとしていた。

そうして写真を編集してみたら……EXIFデータによれば撮影したのが2010年だった。「ほんの少しまえ」ではなくもう10年もまえのことだったから。


■「先発・後発」スジを知って
私が高校生のころにいちど捨てた「鉄道趣味」をもう一度始めて、あらたにできた仲間に「出戻り」などとあたたかくからかってもらえるようになったのが2009年ごろのようだ。

だから、私には1990年代はじめからの約20年間の西武鉄道に関する「鉄道趣味人」としての知識が大きく欠けていた。

沿線に住んでいて日々通勤で使っていたので701系列電車が姿を消し、待望の地下鉄との乗り入れが始まり、グループ会社の伊豆箱根鉄道の電車の塗装のような青い帯のステンレス車体やアルミ車体の電車が増え、いっぽうで黄色い101系列の塗装が簡略化され、101系電車でも低運転台車が本線系統から姿を消し……という大きな変化は目にして気づいていた。

ところが鉄道趣味人というか……ヲタ視点でものをみていなかった。だから、いつまでどの形式の電車の何番編成が走っていたとかそういうことを記録も記憶もしていなかったし、どの運用で特定の形式がやってくるかに気づいていなかった。

それでも「むかしとった杵柄」というやつで、鉄道趣味をやめていても思春期の記憶力のよいころに覚えた平成までの鉄道の知識は多少はある。そうしたなか毎日の通勤で3ドア10両編成の新101系・301系電車に同じ時刻に遭遇することに気づいた。そして、このころは10両編成を組成するのに8両固定編成の301系電車の下り方に2両編成の新101系電車を連結するようになっていたことも。

さらに少し観察して運用パターンもわかってきた。おまけに家族が撮った写真を見ると、どうやら池袋線ではこの3ドア10両編成が2本続けてやってくるらしいということにも。

そこで、この3ドア10両編成の新101系・301系電車を撮るにあたってあれこれを検索をかけてみると、池袋線では西武鉄道ファンには「先発・後発」などとよばれ、2010年ごろには平日朝のラッシュアワーに飯能発通勤準急と小手指発通勤急行として2本の3ドア10両編成が走り始め、一日じゅうそうやって運用に入ってるらしいということがわかった。

中高生や大学生諸君のブログ、いつも同じ駅で同じ時間に見かけて会釈をするようになった方のブログなどにある運用情報にはずいぶんたすけてもらった。

これは2012年夏の池袋での表示

ああそうか。「先発・後発」というのは、私自身が野球にまったく興味がないから気づかなかったけれど、西武鉄道→西武ライオンズの連想での野球にひっかけた言い回しだったのか。などと、2020年春のいまになって気づいた。

■「通勤ついで鉄」にはげむ
この運用のことを知ってからは「通勤ついで鉄」にはげむことにした。さいわい、カメラ雑誌編集部という職場にいたので毎日カメラをおおっぴらに提げて出勤してもあやしまれずにすむ……いや、「今日はなにかあるの」としばしばたずねられていたから、やはりあやしまれていたか。

もっとも、なんといわれようとデジタル一眼レフを使った撮影術の訓練でもあったし、そうしてカメラや写真への知識を得ることで仕事にも役立つという思いはあった。

2010年12月、冒頭の写真の場所から振り返って撮った

2010年12月、池袋から戻ってくるのを待った

「通勤ついで鉄」をしていたのは、自分ひとりだけの時間が作りにくい時期だったからだ。そしてこの3ドア10両編成は土休日には基本的には走らない。土休日には8両編成の301系電車だけで走り、2両編成の新101系電車は車両基地にで基本的にはお休みだ。そこで、通勤時には少し早めに家や会社を出たり残業のついでに撮るというようなことをしていた。

ふつうのサラリーマンは有給休暇をとるか、なにか用事のついででもない限り、平日の昼間の写真は撮れないよね。だから、昼間の写真はほとんどなくてもっぱら夜の写真ばかりだ。

■乗ると撮るの両方を短時間で楽しむ
3ドア10両編成が2本間隔をあけずにやってくるというわけで、まず朝はできるだけ時間を合わせて上り3ドア10両編成に乗る。そして帰りは「先発」のほうに乗って途中駅、とくに所沢で待ち構えて、「後発」を撮るということをしばしば行っていた。乗ると撮るの両方を味わおうという魂胆だ。

そして、池袋線の下り列車をとくに集中して撮っていた。それは先頭にパンタグラフのあるクモハ101形奇数電動車がかならず先頭に立つのが池袋線だったからだ。新宿線でも3ドア10両編成は走っていたけれど、基本的には2両編成は本川越方に連結されていた。イエローとベージュのツートンカラーを復刻させた池袋線所属の271編成がとくに好きだった。

これだけは2009年6月撮影。某投稿サイトで採用されたもの

所沢駅はこのころ改良工事が始まっていて橋上駅舎化されていまでは入口の位置も変わっている。そのようすそのものをとらえてはいないけれど、写真を見るとその進捗がわかるものもあった。

2010年10月

2010年10月

いいわけや強がりではけっしてないつもりだけれど、夜の写真が私は好きなのだ。昼間よりもドラマチックに写せるから。だからいま考えると、これはこれで貴重な記録になったのではないか。

なんにせよ写真趣味は撮らないことにははじまらない。少しでも可能な状況にあれば、どんな状況でもなにかしら撮るものを見つけるのはかなりたいせつなことだと思う。ちょっとの工夫で写真生活も楽しむことができるはず。もちろん無理しない範囲で。

2010年11月




■2012年秋まで走り続けた
3ドアの101系電車や3000系電車は登場したころは通勤通学輸送と土休日の行楽輸送の両方に対応できるようにという判断で3ドアで作られた。

昭和44年(1969年)の西武秩父線開業に合わせて走り始めた101系電車は「ASカー(All round Service Car)」と登場当初はよばれていたと、西尾恵介・井上広和 共著『西武』(カラーブックス506, 日本の私鉄 2, 保育社, 1980、p26)にある。

それが通勤通学輸送時にドア数が多いほうが乗降時間を短縮できるとされたようで、2010年ごろになると本線系統では3ドア車は23区内の駅を通過する優等列車に用いられるようになっていた。ヲタ的には、郊外に転居しておもわぬ恩恵を享受することができたともいえる。

これら本線系統での3ドア10両編成は2012年秋まで走り続けた。もっとも西武鉄道から新101系電車は完全に姿を消したわけではなく、多摩湖線や多摩川線に行けば4両編成のワンマン対応車が走っているし、流鉄、上信電鉄、伊豆箱根鉄道、三岐鉄道、近江鉄道に譲渡されて走っている。そして、101系電車と足回りが同じ4000系電車や10000系電車が西武鉄道にはいるから、同じ音も身近に聞くことができる。

そのせいか、それともこの10年はいろいろな大きなできごとがあったせいか。3ドア10両編成の通勤電車が西武池袋線や新宿線を走っていたことはなかば忘れていた。だから思い出して数えてみたら、撮影してから10年もたっていると知って飛び上がった。

【撮影データ】
Nikon D2X/AI Mikkor 50mm F1.8, AIAF Nikkor 50mm f/1.4D, AI AF Zoom-Nikkor 80-200mm f/2.8D ED <NEW>/RAW