2020年9月13日日曜日

【ひたちなか海浜鉄道湊線2005年1月】茨城交通時代末期の湊線キハ112と金上駅前の火の見櫓

磯崎と平磯のあいだ

■ひたちなか海浜鉄道延伸の事業許可申請がなされる
2020年9月10日(木)づけの茨城新聞に「ひたちなか海浜鉄道延伸、国に事業許可申請 来年1月にも判断」と報じられている。(【2021年1月15日追記】国交省より延伸の認可が降りました。)同記事によれば、ひたちなか海浜鉄道が阿字ケ浦から国営ひたちなか海浜公園のすぐそばまで約3.1キロ延伸し、新駅を二つ設置するそうだ。


(以下、引用)
「国土交通省関東運輸局に事業許可の申請書を提出したことを明らかにした。市によると、早ければ2021年1月にも判断が示される見通し。延伸区間は24年度開業を目指していたが、申請が当初予定から約2年遅れたため、開業予定は25年度にずれ込む見込みとなっている」
(引用終わり)

ここ最近報じられていた延伸計画がついに動き出すのかと思うと楽しみでならない。このニュースを見て、2005年年始に訪問したときの写真を思い出した。2008年に第三セクターのひたちなか海浜鉄道に移管される前のころで、いくら正月とはいえ鉄道にもあたりの町にもいまひとつ元気なく感じられてとても残念に思えていた。日本の国全体がそうなのかもしれないけどさ……。今日のエントリーでは、以前のブログでお見せしていた写真とテキストを大幅に書き改めて再度ご覧に入れようと思う。

夕闇迫る磯崎駅


■2005年年始の湊線沿線
15年ほど前の一時期、年始になると湊線沿線に出かけていた。理由はいまとなっては思い出せない。あるとき出かけてみて気に入ったからなのだと思う。太平洋に面して海沿いではあっても寒さをそう強くは感じさせることがなく、むしろいかにも北関東の冬らしい青い空が心地よかった。マフラーを巻いてウールのハーフコートを着ればじゅうぶんだ。

そのころの私はソビエト製のブローニーフィルム一眼レフが好きだった。そこで、Kiev-6SおよびSaliut-Sに標準レンズであるMC ARSAT 80mm F2.8(または光学系の同じMC VOLNA-3 80mm F2.8)やペンタコンシックス用のMC BIOMETAR 80mm F2.8を装着して湊線沿線に何度か出かけた。標準レンズだけならブローニーフィルムを使うカメラでも比較的軽快に持ち歩くことができる。予備として持っていったデジタル一眼レフもAI AF Nikkor 35mm f/2Dを装着したNikon D70だけ。どちらも35mmフルサイズの標準レンズ程度の画角になるレンズだ。

写真趣味は続けていても鉄道趣味からは離れていたから、列車をまじめに撮影することは考えていなかった。だから望遠ズームレンズは家に置いてきた。そして、カメラを持って歩いたのも線路沿いではなく那珂湊や平磯、阿字ケ浦などから海岸に出る道がおもだった。那珂湊の市場や、平磯辺りから海に出て海沿いを歩いて観濤所や酒列磯前神社にも立ち寄ったはずだ。そういうわけで、湊線の列車をほとんど写してはいない。

Saliut-S初期型。レンズはIndustar-29 80mm F2.8。
ファインダーと巻き上げクランクアタッチメントはKIEV-88用

もしかしたら列車を写してはいないのは、旧型気動車は正月には走っていなかったからかもしれない。すでにキハ3710形とキハ37100形がおもに用いられていて、正月に何度か訪問したときに旧型気動車が動くところを見たことがなかった。

停車中の勝田行き列車から撮影


■かつての旧茨城交通湊線は国鉄型気動車の楽園だった
鉄道趣味から離れていたとはいえ、思春期に身につけた鉄道知識はあり、鉄道を利用することは好きだった。1980年代に読んでいた書籍によれば、当時の茨城交通湊線はDMH17系列エンジンを搭載した中古気動車を日本全国から買い集めて使用している鉄道とあり、北海道の炭鉱鉄道の自社発注車と国鉄キハ11形気動車、さらには国鉄キハ20形気動車が編成を組んで走っている鉄道として記憶していた。夏になると上野から海水浴客を乗せた直通列車が走っていた。自社発注で日本初のセミステンレス車体の気動車のケハ601号、正面二枚窓で腰部に「へそライト」なとどよばれる前照灯のある湘南形の気動車もいたはずだ。

金上で下車したら火の見櫓に気づいた

そうした鉄道知識を15年ほどアップデートしないで訪問してみると、さすがにへそライトの気動車は姿を消していた。知らないあいだに鹿島臨海鉄道の水戸延伸開業時に導入された国鉄キハ20形の改造車キハ200形の譲渡を受け、軽快気動車のキハ3710形とキハ37100形が主力となっていた。アイボリーにブルーの帯の塗装から茨城交通色になっていった。

ところが、驚かされたのは姿を消していると思っていたキハ11形のうちキハ112号車がまだ残されていて、那珂湊にいかにも「写してくださいね」という姿で留置されていたこと。それも、茨城交通色ではなく国鉄気動車標準色に塗られていた。事前の知識がなかったからうれしくて思わず飛び上がった。少年のころは、実車を見たことがない車幅の細いキハ10系列気動車が好きだったからだ。しかも貫通幌がきちんとついているのもヲタ的には「よくわかってらっしゃる!」と拍手喝采したくなる。2005年1月というのは、いま考えるとキハ112号が鉄道博物館に譲渡される直前だった。このキハ112号はいまはキハ11-25として鉄道博物館の屋外に展示されていて、高崎線や川越線の車内からも見ることができる。

どこかのお宅でイヌと目があった

■金上駅前には古風な火の見櫓があった
那珂湊も平磯も、あるいは阿字ケ浦もとてものんびりした雰囲気の町に見えた。その後も何度かべつの季節に訪問してもそう思えた。ただし、日本全国どこでも同じように、商業の中心はすでに国道沿いにあるようで、むかしからの鉄道沿いの町の個人商店は営業をやめてしまった店も多いようで、人出はそう多くはなかった。そのせいか、古い建物がところどころに残されて時間が止まったような雰囲気があり、そうした街並みをときどき立ち止まっては写して歩いた。旧型気動車が走っていなくても湊線自体からもそう感じられた。

翌朝にあらためて火の見櫓を観察した

金上駅前には古風な倉庫と火の見櫓があった。いまでは交換設備が設けられている金上は、当時は1面1線でプラットホームがあるだけの棒線駅だった。日の沈むころに列車から降りてみると、薄暮の空に火の見櫓のシルエットがほのかに見えた。そのようすが印象的だったので、翌朝もういちど撮影している。湊線を訪れていちばん気に入ったのがこの火の見櫓だった。

幌枠が阿字ヶ浦側にある。
撮ってくださいといわんばかりの光線状態


その後の湊線は体質改善がずいぶん進み、列車も増発されている。JR東海のキハ11形(軽快気動車)の導入によりすべてが冷房車になった。以前も何度か書いているように、朝のラッシュアワーの混雑ぶりは、キハ11形とキハ20系列気動車で4両編成を組んでいたころほどではないにせよ、なかなかのものだ。旧型気動車のうちキハ205号車は昨年検査を受けていまでも保存用に残されている。残念ながら金上の火の見櫓はもうない。

この趣味を続けていると古いものばかりを追いかけがちではある。それはいいけれど、仕方なく手を入れることができずに古いままでいる元気のないようすよりも、訪問先の鉄道や町がわずかにでも元気で現状に合わせていろいろと変わっていくようすを見せてくれるほうが私には楽しい。

【撮影データ】
Saliut-S/MC ARSAT 80mm F2.8/Kodak Ektachrome E100G
Nikon D70/AI AF Nikkor 35mm f/2D/RAW/Adobe Photoshop CC 2020
(2005年1月撮影)