2023年2月5日日曜日

【東武越生線撮影記事】東武8000系電車と三分割構図の話

ずいぶん長いことツートンカラーのまま走っていてありがたい81107編成

■東武8000系のことを思い出した
「私鉄の103系」などとかつては自分も呼んでいて、むかしはありがたみをそう感じずにいた東武8000系電車にたいして、私はそれでも自分なりの親しみを感じている。好きかといわれたら好きなのだ。2023年(令和5年)にもまだわずかに走っていることも、いまとなってはありがたいもの。

秩父鉄道沿線を寄居経由で訪問するときに乗っては、そのどっしりとした走りを堪能している。大宮で野田線の8000系電車を見かけるたびにも、いいなあと思う。

それなのに、8000系電車の撮影を主目的に出かけたことは数えるほどしかない。ごめんね……とさえ思う。

数日前に地図を見ていて、突然のように東武越生線を走る8000系のことをひさしぶりに思い出した。そうだ……越生線に行ってみよう、と。

■坂戸駅コンコースを流れる『新時代』
坂戸は自宅からそう遠いわけではないのに、公共交通機関では短距離で複数の乗り換えを要するためか、所要時間がかかる。川越市から坂戸は数駅なのだが。

あるいは、都内在住だった子どものころの感覚でいまだにいるのか。

ひさしぶりに坂戸で降りた。川越市からはあっというまだ。そうして、坂戸で越生線に乗り換えようと跨線橋を登ったら、改札口の外、自由通路のコンコースから聞き覚えのあるメロディがピアノの音で聞こえた気がした。

マルグリット・デュラス『愛人』ならば、ショパンのソナタが聴こえるシーンだ。だがここは21世紀の日本だ。スーパーマーケットからは、インストゥルメンタルでPerfume『レーザービーム』が流れてくるような国だ。

ストレートドキドキする
視線はまるでレーザービーム……
(歌:Perfume、作詞:中田ヤスタカ、作曲:中田ヤスタカ)

いやちがう。このメロディは……しんじだいはこのみらいだ……。

新時代はこの未来だ
世界中全部変えてしまえば
変えてしまえば
(歌:Ado、作詞:中田ヤスタカ、作曲:中田ヤスタカ)

Ado先生の歌っている『新時代(ウタ from ONE PIECE RED FILM)』のメロディだ。きゃりーぱみゅぱみゅ先生の曲も好きな曲が多いから、中田ヤスタカ先生のメロディが好きなんだろうね、私。


それにしても、ついにAdo先生の曲のメロディがピアノで幻聴になって聞こえるとは、私の正気はもはやこれまでか。正気を失わないうちに、ONE PIECEも読んで映画も観ておけばよかった。いよいよ最期。さようならみなさんさようなら……。短え春だったなあ……。

だがちょっと待ってほしい。まだ冬だ。そして、東京に襲来したゴジラの中継も私はしていない。アナウンサーでも、トルメキア軍の参謀でさえない。あなたが思うより健康です(なつかしい)。

念のためググってみたら、坂戸駅コンコースにストリートピアノがあるらしい。坂戸で下車して改札の外に出たことは、ニコンのカメラを探してセキ写真にうかがった……2014年1月以来なかったから、知らなかった。

そのピアノをたまたま誰かが弾いていたみたいね。幻聴ではなくてよかった。俺氏はまだ正気だ。

■ひさしぶりの東武越生線訪問

宇都宮の富士重工製だったのね(昨年1月撮影)

東武越生線沿線は高校と大学が多くあるため、平日は通勤客と学生の利用者数が多い。昼間でも4両編成の座席がほぼ埋まる。早めの夕方だと双方向に学生が乗っている。

沿線は宅地化されてもいるので、開けた場所は多くはない。正確にいうとないわけではないけれど……ちょっとごちゃごちゃしている。都市近郊農業という感じで。だから、開けた場所や緑のある風景を望むならば、東上線小川町以遠に行くほうがいい。

だが、ありふれてあまり目立たないような郊外の支線だからこそ、ちょっといい写真にしてやろうじゃないか。そう思えば腕のふるいがいがあるというもの。腕が鳴るぜ!

宅地のなかを走る8000系電車はその用途にとても適した存在なのだろう。駅間距離はそう長くはないが、いまや貴重な直流モーターの駆動音を聴きながらそんなことを考えた。

■いつもの高麗川橋梁に来てみたら

奥の大学の校舎の電光ロゴはこうするとわからない

いつものように高麗川橋梁にやってきた。ブログ記事を参照すると、6年ぶりの訪問らしい

ただ、いままでとはことなるのは水量がずっと少ないこと。渇水期ではあってもこれほど少なかっただろうか。以前は真冬でも左岸ぎりぎりまで水があった記憶があるが、今年は左岸から河原に降りることができた。

キヤノンゼラチンフィルターホルダー

コンタックスゼラチンフィルターホルダー

逆光で撮ることを意図して来たとはいえ、橋梁奥にある複数の大学の校舎の扱いには毎度悩まされる。城西大学と日本医療科学大学かな。ロゴが二つも見えるのだ。右岸に行くと明海大学のロゴも見える。もうしわけないが、私は大学案内の写真を撮りたいわけではない。だから、それらをなんとか隠したい。

だが、隠した構図は水量の少なさからバランスがいまひとつよくない。仕方がなくレタッチで目立たせなくすることにした。できる限り写さないですませたいのだが。

そう思いながらカメラを構えて、列車を待った。すでにあたりは暗い。ときどき鳥が舞う。画面の隅から隅までよく見渡して構図を決めた……そこへ列車がやってきた。

81107編成なのに……100点満点で60点というところ

■ 何度撮ってもいまひとつキマらない
画面の隅から隅までよく見た。そのつもりだった。ところが、帰宅してパソコンのモニターで見ると、意図していなかった電線などが入っていることに気づいて落胆した。

OMDSのスマホアプリOI.Shareでの三分割表示

さらに構図が気に入らない。橋梁を画面中央に配置して上下ニ等分にするようなことはさすがにしていないが、水面の配置が上下二等分に見えるのはいやだ。

私は三分割構図を使うことが多い。画面長辺と短辺を三分割し、それぞれの交点に主要被写体を配置するという方法論だ。「厳密に三分割」とは限らず、「四分割」のこともある。いずれにせよ、わかりやすくシンプルに仕上るからだ。

それにくらべて、画面中央に水平線や地平線を配置して上下二等分にすること、あるいは左右二等分にするのは、私にいわせれば上下左右のどちらを重視するべきか決めないで「無難な感じ」に撮ったつまらない写真だ。撮影者がそうやって視点を定められない写真は、見る側にとっておもしろくないと私は思う。そういうものを作るのは私には屈辱的でさえある。

上下左右を等分に作画するのは、画面内の何を主役にするか決められないからなのではないか、と思う。きちんと考えたうえでなにかしらの意図があってそうしているならばいいのだが、そうではないならばとてもおしい。たとえばニコンの一眼レフカメラのファインダー内の格子線表示は四分割だから、もしかしたらそれに引っ張られているのかな……ライブビューだと三分割も選べるから、そうともいえないか。

立派な理屈をこねていてもうまく自分が撮れなかったのは、いままで8000系や越生線を忘れていたむくいだな。大きな画面の外部サブモニターを導入すべきかもしれない。悔しいぜ。

私は汚い言葉をできるだけ使わないように心がけている。「文化的雪かき」(村上春樹)のような仕事でも汚い言葉を出してしまいたくはない。言葉遣いが美しくないのは、お嬢さま言葉ふうにいえば「なにかとよろしくなくてよ」。

それなのに、自宅でコウメ太夫の真似をしてしまった。チクショー!

■やられたらやりかえす……しかし猪突猛進はだめだ
だから、翌日もまた同じ場所に来た。前日の反省を思い出しながら構図を変えた。するとこんどは……リバイバルカラーの81107編成も81111編成もやってこない。運用ばかりは自分ではなんともできない。シルエットだからわからないけど……。

橋梁の位置をもう少し上げたい。水面が上下で二等分されて見えるから

やはり気に入らない。うーん、画面がよく見えていないんだよな。だから、画面内の橋梁の配置と水面の分量に満足ができない。

なにかを作っていて、つまらないことにつまづいて作業が停滞しまうことがときどきある。一昨年暮れに八高線に通っていたときにも、そうだったな。今回ももしかしたら、そのパターンなのだろうか。つまり「泥沼にはまった」ということ。

ほかのひとには気にならないようなささいな点かもしれない。だが、それがクリアできないと、作者本人が気に入らないのだから、こればかりは仕方がないな。

そう思って検索をふとかけてみたら、ものすごくヒントになる撮り方をしている方を見つけてしまった。意図的に他人の写真を見ないようにしたのに。すまん、油断していた。傲慢だった!
 
頭をガツンと殴られたかのような気持ちになった。天候の回復を待ってあらたに出撃するつもりだ。

【撮影データ】
Nikon Df/AI AF Nikkor 35mm f/2D/RAW/Adobe Photoshop CC