2014年5月21日水曜日

【秩父鉄道C58363撮影記事、でもデジカメチラ裏記事】桜堤にて、一日の終わりにあれこれ考える


土曜日の秩父鉄道「2014わくわく鉄道フェスタ」にラストまで(それどころか、そのあとまで)いたくせに、日曜日の夕方もまた桜堤に私はいた。というのも、とある撮影をするために被写体にパレオを選んだから。どうせなら好きな被写体を選ばせていただこう、ということ。もちろん、自前のカメラも趣味用に持っていった。






持っていった必要なカメラが、テスト撮影を重ねているうちにあっけなく電池切れになったのは困った。どうもいろいろな仕様が私と合わないようで、使っているうちにたいへんストレスがたまる。しばしばあれこれ書いている自前の(古い)D7000のほうが、ずっと快適だ。

試用しているカメラにストレスを感じる理由を考えてみると、私はカメラには自分の意図に常に従ってくれることしか求めていないから、ということにつきる。それなのに、私の希望しない大きなお世話をたくさん焼いてくれるために仕上がりの予測ができず、おまけに撮影可能枚数が少ないから。

撮影を「アシスト」してくれるのならまだ理解できる。メーカーはそのつもりだろう。だが、私の意図とは違う「気の利かせ方」が「偶然私の好みに合う」ことなど、個人的には私はカメラにまったく望まない。

もし人間相手にそんなことを言うのなら、それはたいへんな乱暴だと思う。私だってそんな人と一緒にはいたくない。でも相手はカメラ。人間ではなくて道具だもの。業務で使う道具であれば使い手の意図通りに忠実に動いてほしい。偶然は仕事にならない。なぜなら再現性がないから。

私が慣れればいいのだろうけど……。いくら業務用のカメラではないとはいえ、ストレスがたまる。私が融通が利かないからなのだろうけどさ。

そう思うと、使い手にとって有益である技術の進歩とはどうあるべきなのか。秩父鉄道が苦労しながら維持している70年前に作られたC58363を見ながら考えた。もちろん、C58はいまとなっては使いやすいわけではない。それにしても、いまのデジタルカメラは70年も持つことなどありえないし、70年後に苦労しながら維持する価値があるとも思えないな。

【追記】D7000に使っていたパナソニックの拡大アイピースは結局外してしまった。画面全体を見渡しにくくなってしまうので、画面四隅に気を配りにくくなるために、ピントは合っていても傾いていることや余計な被写体が写り込んでいることが多発したから。D70やD2Xを使用していた時も結局は拡大アイピースは使いにくくて外したものだけど。残念ながら「見やすくないファインダーは拡大しても見やすくはならない」ということにつきる。

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