2020年7月20日月曜日

【秩父鉄道1000系電車撮影記事】秩父鉄道1000系1009編成「国電リバイバルカラーうぐいす色・関西本線タイプ」を思い出しながら

こうやって撮ると旧型国電みたい。大船工場の入換動車にも似てる

■関西本線といえば……秩父にもかつていた
関西本線(大和路線)の201系電車の写真を見て「亀の瀬あたりで201系を撮ってみたい。さらにいえば、数年前まで奈良の103系電車が大阪環状線に乗り入れていたのだから、そのころに見てみたかった」などと考えていて、さらに関西本線を走っていた101系電車はうぐいす色で正面は山吹色の警戒色が入れられていたということまで書いておいて、数日経ってからようやく思い出したことがある。


それは、秩父鉄道1000系電車の「国電リバイバルカラー」のなかに、うぐいす色に山吹色の警戒色の入った「うぐいす色・関西本線タイプ」もきちんと存在したということ。しかも、秩父鉄道1000系電車の各種国電リバイバルカラーのなかでも、私はけっこう好きだったのに。どうして忘れていたのかなあ。とあれこれ考えたのが本日のエントリーだ。

■うぐいす色だったのは2008年4月から2011年2月まで

秩父鉄道は駅舎や設備の雰囲気もいい

後追いでも黄色く色づいた木々の雰囲気が好き

かつて、秩父鉄道1000系電車の記事はNikon D2Xとならんでこのブログのキラーコンテンツだった。いや冗談。いくらなんでも大げさすぎた。ええと、キラーコンテンツだからというわけではなく、私自身が引退間際に秩父鉄道と1000系電車の魅力に開眼してから秩父鉄道沿線に夢中になって通っていたから、このブログで記事にすることも多かった。

ところが、この1009編成はうぐいす色になってから引退までのあいだに写すことができた写真は残念ながら多いとはいえない。1009編成は2008年4月からこの塗装をまとって走り始め、運用離脱は2011年2月。いっぽう、私が鉄道趣味に本格的に出戻りしたのが2009年春からだ。鉄道を撮影する目的ではなく、観光で秩父にでかけて目撃したことはあった。そういうときは写真には撮っていない。そして震災の年の後半までは秩父鉄道沿線に通う時間がそう多くは作れなかったからだ。ただ、めずらしく「さよなら列車」は撮りに行っている。

2011年からもうすぐ10年になる。そして、東日本大震災で私自身はなにか被害を受けたわけではないけれど、あの年から療養を始めたりするなど、いろいろと自分の環境が大きく変わった。そのために「2011年より前か後か」で個人的にはものの見え方がずいぶん自分には変わるようだ……などと考えた。つまり、秩父鉄道1000系電車1009編成うぐいす色は私には「震災前」の存在で、とても大昔のものだと思って「記憶のアーカイブ」の奥の方にある。だから、ふだん思い出さなかったのかもしれないなあ。

■下り方から見るとまるで旧型国電のよう
秩父鉄道1000系電車が1986年から1989年にかけて旧国鉄・JR東日本から導入された当初は、その外観は国鉄・JR在籍時代とは大きくは変わらなかった。目についた変化は黄色に茶色い帯(チョコバナナカラー)の当時の秩父鉄道の新標準塗装にされたこと、無線アンテナが追加されたこと、客用扉の半自動化にともない手掛けが追加されたこと、そしてパンタグラフがPS13に変更された程度だ。列車番号表示窓は移籍当初は使用停止にされていたものの、まもなく再整備されて列車種別表示やワンマン表示に用いられるようになった。性能的には100kwのMT46主電動機の出力を落とす調整などがなされていたそうだが、それは外観からはわからない。

それが、長いあいだ用いられるうちに白地に青と赤帯に変更され、さらにワンマン化対応改造と両先頭車への冷房搭載改造がなされてそれなりに外観が変化していった。もっとも大きな変化は冷房改造だろうか。それとともにパンタグラフが増設されて正面から見る印象がずいぶんといかめしくなった。国鉄時代の新性能車には運転台側にパンタグラフを搭載する電車は単行運転が可能な事業用車くらいしかなかったはずだ。そのためか、パンタグラフ増設後の1000系電車の姿には「国電」として見ると少し違和感があったし、私鉄電車らしく見えるように思えた。

101系電車の正面デザインは72系電車のうち、最終生産形の全金属製車体を持つクハ79920番台車の基本デザインを継承して発展させたものだ。国鉄リバイバルカラーをまとう編成のパンタグラフつき電動車(もとクモハ100形→デハ1000形)を下り列車の正面からねらうと、まるで富山港線や可部線の72系電車といった切妻でパンタグラフが運転台方にある旧型国電を思い出させておもしろかった。私自身は写真でしか72系電車の姿を見たことはないのにね。

いっぽうで、上り方のクハ1200形は冷房装置が屋根上に増えた程度の変化に見えたので、真正面から見ると大きな変化には感じられす、こちら方から見ると国鉄時代のままの姿のよう。撮り方や見方でずいぶん印象がかわるのも愉快だった。もちろん、あくまでもガチヲタにとっては愉快、という意味だからね。デュフフコポォ。

緑のなかを走るとなお似合う

■日常の記録をしておかないと

ちょっと前まで1000系電車同士が上下交換していたのだった

さて、秩父路を走る各種国電リバイバルカラー電車のうち、うぐいす色に山吹色の警戒色を入れた関西本線カラーは、私にはめずらしさも手伝って好ましい存在だった。うぐいす色の姿の101系電車は書籍のなかでしか目にしたことがなかったからだ。

また、103系高運転台車ふうの車体に載せ替えた仙石線用の72系アコモデーション改造車もうぐいす色に山吹色の警戒色を前面に巻いていた。この電車はのちに川越線・八高線の電化時に103系3000番台車として新性能化されたものだ。その姿も彷彿させるかもしれない。もっとも、新性能化されて103系3000番台に編入されたときには、前面の警戒色はなくなったから、我ながら強引なつじつま合わせだなあ。

そして、秩父鉄道沿線も関西本線沿線同様に緑が多い。その連想なのか、そういう故事を知らなくても緑の木々のなかを走る印象があるからか。秩父谷に緑色の電車はよく似合うのではないかと感じていた。このあと秩父鉄道に導入された7000系列電車(7000系、7500系、7800系電車)が緑の帯をしめ、正面には警戒色としての役目もあるのか、緑と黄色のグラデーション帯が巻かれている。その姿にも違和感は感じられない気がするのは、たんに私が緑色が好きだからというだけではないのではないか。うん。秩父に緑の電車は似合う。異論は認める。とはいえあれだ。

この勝負、うちらの勝ちってことで!(『下妻物語』)

さて、この電車が走っているあいだは、自分のためだけに使う時間を作ることができなかっただけではなく、自分の腕前ももっと稚拙だったし、絵作りのバリエーションも自分にはまだまだ少なかった。たくさん撮ればうまい写真も増える。だからこそ、いま好きな路線や車両の日常の姿ももっともっと撮っておきたい。その対象に対しての情熱があるなら、なおさらね。

【撮影データ】
Nikon D2X/AI AF Nikkor 24mm f/2.8D, AI AF Zoom-Nikkor 80-200mm f/2.8D ED<NEW>/RAW/Adobe Photoshop CC 2020