筆者はかの北欧系家具販売大型店が好きで、しばしば出かける。固有名詞をいま出さないようにあえて書いてみた。10年ほど前にテレビコマーシャルで「♪せいゆうにとりあえずーいけあー」とも歌われた……って固有名詞を出してるな……ええ、まあそのIKEAのことだ。
2019年8月17日土曜日
【関西リハビリ鉄2019夏】こちらももと「角ズーム」2連! 南海汐見橋線撮影記 その1
筆者はかの北欧系家具販売大型店が好きで、しばしば出かける。固有名詞をいま出さないようにあえて書いてみた。10年ほど前にテレビコマーシャルで「♪せいゆうにとりあえずーいけあー」とも歌われた……って固有名詞を出してるな……ええ、まあそのIKEAのことだ。
2019年8月16日金曜日
【関西リハビリ鉄2019夏】もと「角ズーム」2連が走る。南海高師浜線PETIT撮影記
■もと「角ズーム」2200系電車がトコトコと走る
2両編成の電車ラブ! とは常日頃、筆者は口を酸っぱくしてこの草の根ブログにて主張していることのひとつだ。「口を酸っぱくして」しているくせに「草の根」というところが、じつに皮肉なとりあわせでいいでしょ。単行運転(1両編成)もいいのだけど、少々さみしすぎる。2両編成くらいの都市郊外ぐらいのところが好きだから、というじつに説明しづらいことが理由なのだけど。いいのっ。「好きなことは説明できない(たで食う虫も好き好き)」(There is no accounting for tastes. )と、おおむかしのひとも言っているでしょ。
前回は2両編成で走る近鉄南大阪線・吉野線の「吉野くん」、ではなくて16000系電車16007編成(Y07)を取り上げた。今回の南海高師浜線の2200系電車はいわば、2両編成つながりというわけ。「編成」と「つながり」もちょっとくどい感じがするね。
2019年8月14日水曜日
【関西リハビリ鉄2019夏】近鉄特急を追え! オレンジとネイビーの近鉄南大阪線16000系(Y07)に会った日 その1
■土師ノ里とはこんなところ
近鉄南大阪線は藤井寺から古市(ふるいち)にいたるあいだに、わざわざ大回りをしている。これは、このあたりに古市古墳群とよばれる大小さまざまな古墳があるから、それを避けるためなのだという。じっさいに、Google Mapなどの航空写真(リンク先はGoogle Map)を見るとそれはうなづける。羽曳野(はびきの)市Webサイトと藤井寺市Webサイトの古市古墳群の解説ページを引用するとこうある。
2019年8月13日火曜日
【関西リハビリ鉄2019夏】青い閃光! 疾風のように……泉北高速鉄道3000系走る
■南海高野線を行く泉北高速車を撮る、だがしかし
南海高野線の列車を、難波〜中百舌鳥の区間で見ていると、いやでも目につくのは泉北高速鉄道所属車の活躍ぶりだ。縦横無尽と言ってもいい……難波〜中百舌鳥〜和泉中央だからそれは大げさか。とにかく、側面に大きくSEMBOKUと書かれた大きなロゴのある青い帯の電車は、南海高野線の電車よりもめだつように思える。はじめて私が南海高野線を目にしたときの第一印象は「泉北車ばかりめだつなあ」というものだった。
2019年8月12日月曜日
【関西リハビリ鉄2019夏】雨のなかのモノローグ*。阪堺電車雨の日
■モ503があらわれた!
前回のエントリーでも書いたように、これからしばらくは筆者が6月上旬から8月中旬まで過ごした、大阪・松原市や堺市近隣の鉄道シーンのうち、とくに筆者にとって萌えるものを中心にお話ししていく。あらかじめ言っておくが、今年もまた近鉄は南大阪線系統が中心だし、南海も高野線と相互乗り入れをする泉北高速鉄道がおもだ。阪堺電気軌道も上町線が多い。筆者は乗りつぶし派ではなく、気に入った路線を何度も通うタイプだからだ。阪神や阪急、近鉄大阪線に乗らずして関西の私鉄を語るとはおこがましいと我ながら思う。したがって、できるだけ「大きな主語」を用いないようにするつもり。
【ごあいさつ】Salut! Saliut! + PLUS 運転再開のおしらせ
■運転再開いたします
読者のみなさま、こんにちは。いつも、この草の根鉄ヲタブログをご愛読いただき、ありがとうございます。6月26日付けエントリーより「運転見合わせ」を行なっていた本ブログですが、本日8月12日より「運転再開」いたします。ご不便をおかけしたことを深くおわびいたします。
昨年の夏に療養のために滞在したところとおなじ、大阪・松原市の阪南中央病院に今年も行っておりました。今年は入院するつもりはありませんでしたし、昨年よりも滞在日数も多くなってしまい、業務関係のみなさんにはご迷惑をおかけしていろいろと申し訳ない思いです。
もちろん、楽しみにこのブログを訪れてくださるみなさんにも、心よりおわび申し上げます。
2019年6月26日水曜日
【おしらせ】「大阪のカメラのおっちゃん」ふたたび現る
親愛なる読者のみなさん
いつもご愛読いただきありがとうございます。
ながらく記事の更新ができずにもうしわけございません。
筆者は6月5日から大阪の病院におります。
昨年の夏と同様の、ステロイド依存皮膚症からの
離脱による皮膚症状の悪化によるものです。
bloggerはスマホからでは更新しづらいために
おそらく8月中旬までは、おそらくはあらたな記事の更新ができません。
いつも楽しみにしてくださるみなさんには恐縮ですが
あしからずご了承ください。
2019年6月26日
Salut! Saliut編集長
いつもご愛読いただきありがとうございます。
ながらく記事の更新ができずにもうしわけございません。
筆者は6月5日から大阪の病院におります。
昨年の夏と同様の、ステロイド依存皮膚症からの
離脱による皮膚症状の悪化によるものです。
bloggerはスマホからでは更新しづらいために
おそらく8月中旬までは、おそらくはあらたな記事の更新ができません。
いつも楽しみにしてくださるみなさんには恐縮ですが
あしからずご了承ください。
2019年6月26日
Salut! Saliut編集長
2019年6月1日土曜日
【秩父鉄道PETIT撮影記事】5000系電車のよさに改めて開眼する
■秩鉄5000系電車、めっちゃいけてるがな!
秩父鉄道5000系電車をひさしぶりに目にし、そして乗り込んで揺られてみてうれしくなった。先日、撮影というよりも軽い散歩をするつもりで秩父まで行き、御花畑で列車を待っていると、やってきたのはたまたま5001編成だったのだ。
ああ、そうだった。おまえがいたんだった! やべえ、かっこいい!
しゅっとしはってる!
私は「大阪のカメラのおっちゃん」ではなく「埼玉のカメラおじさん」なのに、あいかわらず変な言い方をしているのは承知のうえだぜ。
2019年5月9日木曜日
【秩父鉄道1980年代】さよならは別れの言葉じゃなくて……秩鉄100形電車のこと
■大好きだった電車、ほんとうにさようなら
先月半ばに秩父鉄道から「『鉄道車両公園』のリニューアルについて」と発表され、すでにあちこちで記事にされているように、三峰口駅構内の鉄道車両公園に保存されている100形電車がまもなく解体されることになりそうだ。具体的に100形電車を解体撤去するという発表ではなく、プレスリリースによれば「公園リニューアルに向け、老朽化が進み安全の確保が難しくなりました展示車両につきましては、部品等の一部保存や写真等による資料化の後、誠に勝手ではございますが撤去させていただくことと致します」とあるだけではあるものの、2014年の平成26年豪雪のころに100形の室内の天井板が落ち、戸が破れているのは見ていたので、デキ1、ED381とともに解体されるだろうという想像はつく。
もちろん、私だって解体されるのは惜しい。自分に資金と土地とバイタリティがあるならば買って自分で保存したいくらいだ。だから、正直にいうと矛盾したふたつの思いにかられているのはたしかだ。とはいえ、1988(昭和63)年に廃車になり、1989(平成元)年3月に鉄道車両公園が開園してここに運び込まれて以来、ずっと屋根もなく雨ざらしにされてきて、むしろ30年ものあいだよくぞ崩れずにいたとさえ筆者は思う。この気持ちにも嘘偽りはない。いち営利企業に文化財としての保存コストを丸投げして、ずっと維持させて払わせ続けるのは無理があると思うのだ。
2019年4月30日火曜日
【秩父鉄道1000系電車】秩鉄1002編成「リバイバルカラー・デハ100形タイプ」を思い出しながら
2011年4月(再掲載) |
■平成の御代の終わりに
正直いうと私自身は元号が変わることをあまり強く意識していなかったけれど、平成年間が終わろうかという日にどういうわけか、かつて走っていた秩父鉄道1000系電車という「平成年間に最後に活躍した昭和の電車」のうち、2009年春に「リバイバルカラー・デハ100形タイプ」塗装になった1002編成のことをなつかしく思い出している。おそらくは、西武赤電復刻塗装と切妻形の西武571系電車からの連想にちがいない。
とはいえ、1980年代なかばまでの秩父鉄道のツートンカラーは「小豆色とはだ色」で、西武鉄道のかつての赤い電車の塗装である「ディープラズベリーとベージュ」とはことなる。むしろ、東武鉄道の特急・急行色である「ロイヤルマルーンとベージュ」に近い。東武のマルーンのほうがやや赤みが強いだろうか。似ているのだけど、その微妙な差については確信を持って語りにくい。色に関する記憶というのはあてにならないから。
2019年4月20日土曜日
【西武多摩湖線撮影記事】多磨湖畔の赤電のもとに春来る 続編
■いつもは多摩湖北線でばかり撮るけれど
むかしむかし……1980年代終わりから1990年6月に351系電車が西武多摩湖線を走っていたころのこと。ティーンエイジャーだった筆者はもっぱら多摩湖南線(萩山〜国分寺の多摩湖線国分寺口)でばかり列車の写真を撮っていた。その理由はとても単純で、351系電車はふだんは萩山と国分寺のあいだを往復するのがつねだったからだ。
とはいえ、野球開催日に国分寺から西武遊園地まで臨時準急列車が351系電車で運転されることがあり、それを多摩湖北線(萩山〜西武遊園地)で撮ってみたいとは思っていた。
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