2019年8月17日土曜日

【関西リハビリ鉄2019夏】こちらももと「角ズーム」2連! 南海汐見橋線撮影記 その1


■汐見橋にとりあえずIKEA
者はかの北欧系家具販売大型店が好きで、しばしば出かける。固有名詞をいま出さないようにあえて書いてみた。10年ほど前にテレビコマーシャルで「♪せいゆうにとりあえずーいけあー」とも歌われた……って固有名詞を出してるな……ええ、まあそのIKEAのことだ。

筆者のIKEAの偏愛ぶりは、家具を買わないときにもしばしば行くところにある。家の家具もじっさいにIKEAだらけだし。しかも、先日まで大阪に滞在していたときにも、わざわざIKEAに出かけたほどだ。

そうして、大阪・IKEA鶴浜に出かけたときのこと。このIKEA鶴浜はあちこちのIKEAが工業地帯や倉庫街に、もしくはそれらの再開発地区に立地するのと同じように、大阪・南港の港湾施設の一角にある。クルマで行くのではないなら、JR難波か梅田からバスに乗るのではないとアクセスしづらい。ちなみに、難波のほうがシャトルバスの運行本数は多い。

IKEA鶴浜からの帰り道に難波行きバスに乗って、おそらくは大浪通を走っていたときだろうか。道路が鉄道と交差する場所があり、たまたま踏切遮断機が降りた。そして、私の目の前を南海2200系電車2連が軽やかに通過していった。

私は内心ではひどく驚いた。異性の連れがいたので驚きを顔や態度に表さないようにしつつ。それでも、これはもしかして……かの南海汐見橋線(高野線の一部だけど、以下「汐見橋線」と表記)ではないか! と思って震えた。なにしろ大都会の、しかも難波からほんの目と鼻の先のようなところを、もと角ズームが走っているのだ。ヤバい、ヤバいよ。超よくね!

そこで、後日ここにあらためて来るぞ! と心に決めた。「とりあえずIKEA」してよかったなあ。




■テツはアツいうちに撮れ
私がガチヲタだなあ、と我ながら感心しつつ自分の行動にあきれもしたのは、その翌日に「南海汐見橋線訪問」をさっそく行動に移したということ。なにしろ、雲ひとつない梅雨晴れになり、しかも時間はあった。運動しないといけない入院患者だからな。まさに、テツはアツいうちに撮れ。

だから、翌日にさっそく汐見橋線を訪ねた。スマホの経路探索アプリで見ていると、アクセスしやすいのは、大阪市高速電気軌道(いわゆるOsaka Metro)千日前線桜川駅、もしくは阪神なんば線桜川駅下車とある。地下鉄でも阪神電車の桜川駅への連絡通路を歩いてから、地上に出る。そうして桜川駅から地上に出て、大都会のなかに位置するのにじつに古色蒼然とした、南海汐見橋駅を見上げて、しばし呆然とした。

その日はほんとうに空が青く、雲ひとつなかった。きょう、ママンが……いやいや、でもね「太陽がまぶしかったから」といいたくなるような日差しだった。難波のすぐそばなのに。町中にあるのに。こんなにひと気がないなんて。白昼夢を見ているかのようだ。






■芦原町まで歩きながら
あずまびとであり、かつ大阪の地理がよくわかっていない筆者は、大阪都心の繁華街の位置関係と距離感が把握できていない。だからこそ、都心の現代ふうの繁華街とむかしの商店街、町工場が並ぶ地区、あるいは風俗街が東京都心よりもずっと狭いエリアに隣接しているところに、きっと不思議だと思わされるのだろう。

汐見橋線沿線を歩きながら考えていたのはそんなことだ。汐見橋から芦原町(あしはらちょう)にいたる一帯は、オフィス街というよりも古くからの町工場と住宅が並ぶようすを見ていて、ああ、なるほど、この路線のいまのようすは、おそらくは水上交通と都市の繁栄の変遷をものがたっているのだろうと考えさせられた。大阪の旅客ターミナルとしての中心は高野鉄道の開業当初から難波であったとはいえ、いまの汐見橋駅では貨物の取り扱いもあり、いまでは想像つかないほどに賑わっていたようだ。大阪(大坂)の発展は江戸時代に運河が掘削されて水上交通が発達して進んでいったそうだけど、こうした水運が活用されなくなって貨物輸送が廃止されていったことも、汐見橋線がいまの姿になる大きな一因だったのだろう。



【撮影データ】
Panasonic LUMIX DMC-GX7 Mark II/LEICA DG SUMMILUX 15mm F1.7 ASPH. /LUMIX G 42.5mm F1.7 ASPH.  POWER O.I.S./LUMIX G VARIO 45-150mm F4.0-5.6 ASPH. MEGA O.I.S./Adobe Photoshop CC 2019