2016年10月28日金曜日

【JR川越線撮影記事】秋の日はつるべ落とし


筆者は子どものころからたまたま西武鉄道沿線に住んでいた。転居はしても西武鉄道の沿線から離れたことがない。そのためか、西武鉄道沿線をうろうろするのに飽きたけれど、それほど遠くに行くほどの時間的な余裕がないというときには、ほんの少しだけ足を伸ばして八高線に出るということをする。青梅線や五日市線でもかまわないのに、なぜ八高線なのかというと、都心から(あるいは自宅から)遠くないのに長らく全線が非電化であり、遠出をする余裕がなかった思春期の頃には、鉄道誌などのグラビアページを飾る非電化ローカル線の雰囲気を手軽に味わうことができるように思っていたからだ。キハ30・35系気動車が走り、DD51牽引の貨物列車が行き交う姿には魅力があった。八王子〜高麗川が電化されたいまでも、非電化だった頃のようすを思い出してしまうし、非電化のまま残されている高麗川〜高崎のあいだに乗る機会があると、なんとなくわくわくしてしまう。

いっぽう、川越線は八高線よりも早めに電化されたために、非電化時代の八高線に通っていた頃は、乗ったことはあっても写真を撮ったことがなかった。写真を撮る対象として訪問するようになったのは、ここ最近のこと。ご存知のとおり、川越線は川越で運転系統が変わり、川越以東は埼京線・りんかい線と一体化して10両編成の電車が新木場まで走る。川越以西は高麗川から八高線に乗り入れていて、むしろ八高線と川越線はほぼ一体化されている印象だ。いや、それは私が勝手に受ける印象だけかもしれないが。


川越線と八高線は私の自宅から見ると、ふつうは利用することはないとはいえ「自宅のいちばん近くを走るJR線」であり、電化されて沿線はだいぶ宅地化が進んだものの、うまく写すと武蔵野の雰囲気を残した都市近郊を走る箇所もある。そうやってあらためて見ると被写体としては手頃に思えて、ここ数年はときどき訪れては写す。どういうわけか、仙石線用だった72系電車アコモデーション改造車を新性能化した103系電車3000番台が走っていた頃に写真を撮ったことがないのは不思議だ。72系アコモデーション改造車は子どもの頃に山と渓谷社『国鉄電車』でさんざん見て興味津々だったので、新性能改造直後に拝島駅でその姿を見て「あれか!」と驚いていたというのに。*1

ただし、いまは特定の列車や形式を写すというよりも、列車の走る風景を撮りに出かけるということだろうか。205系電車3000番台、209系電車3000番台、そして同3100番台の電車のどれが来ても、あまり気にしていないで写していることが多い。


とくにねらったわけではないのに、気がついたら走ルンです209系3000番台ばかりを撮っていた。そういえば、川越線・八高線の209系3000番台のインバーターは更新されていないのでしたっけ。これから冬にかけてどんどん日照時間が短くなっていく。近くで空を入れて写したくなったら、ふと思い出してまた川越線と八高線に通うだろうと思う。それにしても、いつだったかの梅雨明け頃の空模様のような美しい空になることがなかなかないんだなあ。

【八高線・川越線関連記事】
徹頭徹尾鉄橋主義(2016年7月1日)
鹿山峠にて、1990年代(2015年7月16日)
入間川橋梁、1990年代(2015年7月15日)

*1 「72系アコモデーション改造車は子どもの頃に山と渓谷社『国鉄電車』でさんざん見て興味津々だったので、新性能改造直後に拝島駅でその姿を見て「あれか!」と驚いていたというのに」:国鉄時代には似た姿に改造された鶴見線用モハ72970は、仙石線用車とは引き通し線の方向などがちがうことなどを理由に、仙石線用に転用されずに廃車になった。それが、仙石線用の電車はより大規模な新性能化改造がされて転用されたという、そういうところに「驚かされる」ヲタ少年であったということですね。103系3000番台は運転席直後の窓の塞ぎ方だけではなく、台枠の厚みがことなるために車体裾が少しちがっていて見わけがついた。などというのももう大昔の話ですねえ。

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