2019年8月22日木曜日

【関西リハビリ鉄2019夏】令和を走る昭和の国電! JR奈良線103系撮影記事 その1 「天井川をくぐる」



■奈良県内を走らない奈良線へ
JR奈良線の列車のほとんどは、京都と奈良を結んでいる。ただし、奈良線に正式に所属する区間は京都と木津(京都府木津川市)のあいだで、木津から奈良までは関西本線の一部だ。そのために、奈良線は「奈良線」と名乗りながらも「奈良県内を走らない」路線ということになる。とはいえもともと、1896(明治29)年に奈良鉄道が京都と奈良を結ぶことを意図して京都〜奈良間を全通させた。さらに、奈良〜桜井間を建設していた初瀬鉄道を1897(明治30)年に合併していて、この区間も1898(明治32)年に全通させた。だから、京都から奈良を結ぶ路線という意味では「奈良線」と名乗るのはまあいいよな。

そして、歴史的には、いまの桜井線も含む路線だったのだそうだ。いまは桜井線との直通列車は通常はないが、桜井線沿線の祝祭など、あるいは天理教関係の臨時列車などはある。年始にも103系が桜井線へ直通していたし、この撮影のあとの今年の夏も、天理臨(天理教のこどもおぢばがえり向け臨時列車)として117系電車や221系電車が走っていたのを目撃した。7月31日の第63回おんぱら祭奉納花火大会にさいしても、103系電車も桜井線に入線して臨時列車に充当されていたようだ。

そんな歴史的な背景などをふむふむと覚えながら撮影プランをふくらませていたある日のことだ。たしか、七夕の日だった。ちょうど在阪療養生活を始めて1ヶ月ほど過ぎてようやく遠出に耐えられると自分でも思えるようになったころに、ひさしぶりに奈良線沿線に出かけることにした。しかも、ツイッターを見ていたら、残り2編成にまで数を減らした103系電車のうち、NS409編成(クハ103-226、モハ102-611、モハ103-455、クハ103-225)が運用入りしている姿が目撃されていたからね。

■白い空が嫌ならば画面に入れなければいいじゃない
奈良線を走るうぐいす色の103系電車は、昨年夏の在阪療養生活中にもさかんに追いかけた。その後の姿も撮影したかったのに、体調が再び思わしくないままで、とうとう撮影することがかなわなかった。だから、もう出会えないのだろうと思っていたら、どういう偶然か、いや、たんに置き換え車両の手配がうまくついていないのだろうが、平成の御世が終わって令和になってもなんとか2編成だけ走り続けているという、「幸運の古参電車」みたいな存在だ。「古参電車」といっても、筆者と同い年くらいだけどな! あ、筆者もあちこちで「古参」の年齢か。

なお、残ったもう1編成はNS407編成(クハ103-216、モハ102-614、モハ103-458、クハ103-215)だ。車両の来歴をほとんど筆者は気にしたことがないので、きちんと調べたことがなかったけれど、どちらも編成両端のクハは1973(昭和48)年に山手線用に製造され、新製時より冷房を備えている。山手線のATC化にともなって関西に玉突きで転属された。ヘッドライトは2灯で前面運転台下の通風口がない。側面窓もユニット窓で、低運転台で非ATC装備車としては最後のほうに製造されたグループに相当するはずだ。JR西日本のほかの路線も含めて、ATCの使用の有無はともかく、高運転台車よりもこれら低運転台車が残っているのは興味深い。

撮影に出たころは梅雨空が続いていた。梅雨入りが遅かったくせに、たいして雨量も多くなく、そのくせ空は暗い日々が多かった。奈良線を撮影に行くにあたり、とても気にしていたのはこの「梅雨空を画面に入れたくない」という思いだ。画面内に情報の存在しない真っ白に近いものを入れたくない。脇役のくせに目を引いてしまうからだ。晴れの日と曇りの日では撮影方法や選ぶべき撮影地はことなるべきというのが筆者の持論だ。

そう思って思いついたのが、トンネルを利用すること。トンネルを抜けるシーンを写せば、画面に白い空を写さないで済む。そして、奈良線にはトンネルがあることは知っていたからね。さいわい、その日の運用ならば列車はトンネルのある城陽から奈良までの区間も走る!






■棚倉はとてもいい雰囲気
こうして1年ぶりに奈良線沿線に降り立った。去年は稲荷と宇治ばかりに行ったので、今回は趣向を変えて棚倉で降りた。いつも列車から見ていて、単線区間で運転本数が減る城陽〜奈良のうち、玉水〜棚倉〜上狛〜木津のあたりは田畑も多く緑のなかを走るところが魅力的で、いちどこの区間で降りて列車を眺めてみたかった。もっとも、筆者は松原市内から出かけるので、奈良線に乗るのは奈良口から乗ることが多く、この区間のほうが運行本数の多い京都口よりも、滞在先からは近い。

古い駅舎の残る棚倉で降りて、駅から歩く。大和造りといっていいのか、白い漆喰のりっぱな家が並ぶ、昔からの路地は筆者にはとても興味深い。1896(明治26)年から列車が走っていて駅もあるのだもんなあ。非電化の頃、はたまた開業当初にマッチ箱のような客車を小柄な蒸気機関車が牽引していたようすを想像して遊んでみるのもおもしろい。

妄想遊びをしながらまず、駅に近い側のトンネル出口で下り奈良行きとしてやってくる103系電車を待った。そのまえに、221系電車による『みやこ路快速』が上下1本ずつ通過するので、それで露出とピントのチェックを済ませる。

余談だけど……このブログは余談ばかりが多いけれど……こうして夏の暑い時期に『大和路快速』や『みやこ路快速』、あるいは大阪環状線区間内で221系電車に揺られる機会が増えたら、この電車がけっこう好きになってきちゃった。涼しくて快適だし、インバーターではない重厚な走行音もよしかな。張り上げ屋根と側面の行き先表示のあたりだけ見ていると、どうもむかしの小田急5000形あたりを思い出してしまうのもいい……眼科に行くべきだな。221系がいらなくなったら首都圏にもくれ! などを心の声をだだ漏らしさせてみる。

お客さまのなかにお医者さまはいらっしゃいませんかあ!



■この日はものすごく強運&幸運だった!
さて、テスト撮影も終えてじりじりし始めたころに、どっしりとした音を立てながらお目当ての103系電車NS409編成が京都から下ってきた。うわ、ほんまに走っとる!(それが目的だったくせに)とドキドキしながらレリーズした。なんとか撮れたぜ。ああもう、うれしくてたまらない。

列車が棚倉を出発して奈良へ向けて走り出すのを目で追いながら、こんどは奈良から京都に向けて走るこの列車を、トンネルの反対側から撮ろうと考えた。スマホの地図アプリを立ち上げて見ると、トンネルの反対側に行くまではちょっとした丘を上って川を越えて約10分ほどだった。うまく撮れる場所なのかは行ってみないとわからない。それでも、行って見る価値はありそうだ。

「丘」を登ってその頂上に立ってみて、やっと「天井川」であることを理解した。この「丘」といい、そのトンネルは文字だけで読んでいて頭の中で理解したふりをしていた、水面が地表よりも高いところを流れる「天井川」である「不動川」のものだった。ああなるほど、こうなっているのか! と。すなおに驚いて……すまん、いまはまず撮りたいのは103系なんじゃ、あとでまた寄るからな。とすぐにトンネルの反対側に降りて、構図を決めた。

なんとか絵にできる構図も設定できた。目指す列車の前を通過する上下の『みやこ路快速』を撮りながら、おめあての103系京都行きを待っていた。すると、背後から奈良行きの各駅停車として、まったく予想していなかった103系電車の残りもう1編成であるNS407編成が姿を現した。

くぁwせdfgふじこl……マジかああああ!

【撮影データ】
Panasonic LUMIX DMC-GX7 Mark II/LUMIX G VARIO 45-150mm F4.0-5.6 ASPH. MEGA O.I.S./Adobe Photoshop CC 2019