2014年4月23日水曜日

【東急田園都市線PETIT撮影記事】田都楽しいかも

考えたら田園都市線内で電車を撮ったのは初めてなのかも
最近、朝から晩までなにやら「東急の電車漬け」だ。朝、西武の本拠地である所沢から乗る電車は「元町・中華街」行き。都心で半蔵門線に乗るので、再び東急の電車に遭遇する確率が高い。

おまけに、趣味で大好きな秩父鉄道も主力は元東急車だ。東急沿線に住んでいないのに、これでは公私ともに東急の電車に囲まれているではないか。


2014年4月19日土曜日

【秩父鉄道C58363撮影記事】西日をあびて

CTK_C58363_with_Sakura_head_mark

■一日の運用を終えて入庫するC58363を見ていた
撮影したのはソメイヨシノが咲き始めたころだから、もういささか前になってしまった。「SLさくら号」のヘッドマークを着けた秩父鉄道C85363がSLパレオエクスプレスとして走った日のことだ。

2014年4月14日月曜日

【秩父鉄道1980年代】急行「秩父路」用300系電車のこと その3

塗装変更された301編成(1987年4月)

【はじめに】秩父鉄道300系電車について。第3回目は300系電車の塗装変更のことを記す。

■1000系導入時の塗装変更
今回は私的なエピソードを交えて書くことをお許しいただきたい。長らく小豆色とはだ色のツートンカラーをまとっていた秩父鉄道の電車は1986(昭和61)年の1000系電車導入を期に、黄色に茶帯(近年の言い方でいうところの、いわゆるチョコバナナ塗装)に置き換えられた。バスやタクシー、ロープウェイの車両もこの塗装になり、分社化したままいまでもこの塗装なので、沿線に行かれるみなさんにはなじみがあるだろう。

2014年4月13日日曜日

【秩父鉄道1980年代】急行「秩父路」用300系電車のこと その2

デハ302。旧塗装期の末期

【はじめに】秩父鉄道300系電車について。第2回目は300系電車の細部についてお話しする。なお、写真は特記のない限り1985(昭和60)年10月1日撮影。

■ディテール解説
主電動機は三菱電機製のMB-3032-A形(75KW)で、小田急2220形や長電2000系と同じ。音色をはっきりは覚えていないが、YouTubeで動画を見ることができるので、知りたいという方はアクセスされたい。初期の新性能電車らしい静かな音がする。制御装置はABF-108-15 EDCH形で、同番号のものは京急1000系や長電2000系にも用いられている。ブレーキは三菱電機AR-D(発電ブレーキ併用自動空気ブレーキ)型。昭和30年代の私鉄形の高性能車の典型のような組み合わせなのだろう。

2014年4月12日土曜日

【秩父鉄道1980年代】急行「秩父路」用300系電車のこと その1

1985年10月1日、三峰口にて301編成

【はじめに】かつて秩父鉄道で急行『秩父路』号にもちいられていた300系電車について数回にわけてお話ししていく。第1回目はこの300系電車の概要について。

留置線に引き上げた301編成。800系電車も懐かしい

■秩父鉄道初の新性能ロマンスカー
秩父鉄道300系電車は1959(昭和34)年に日本車輌東京支社で製造された。車体長20メートル、幅2.8メートルの大型車体に2扉セミクロスシートというデザインで、秩父鉄道初のカルダン駆動と発電ブレーキを備えた新性能ロマンスカーだった。

2014年4月9日水曜日

【国鉄1980年代】ED16のこと

1986年8月の沼津機関区撮影会にて

■青梅線のあるじED16

鉄道に興味を持つ人で、首都圏で1980年代までに思春期を迎えたアラフィフ以上の人なら、青梅線にいたED16を覚えているのではないか。

2014年4月8日火曜日

【秩父鉄道7800系撮影記事】ナナハチの春

CTK_series7800EMU_7801F_01
ナナハチファースト捕捉成功!

■永井一郎さんの声を思い出しながら読んでくださいね
(かの「宇宙世紀0079(ダブルオーセブンティーナイン)……」のナレーションの口調で)人類が日本国有鉄道101系電車を使用しはじめて、すでに半世紀が過ぎていた。東京や大阪の周辺は巨大な通勤圏内のベッドタウンとなり、人々はそこで子を産み育て、通勤し、社畜として死んでいった。
(東京上空を空撮し、カメラはゆっくりと動く。鳥がレンズの前を横切る)

2014年4月7日月曜日

【秩父鉄道C58363撮影記事】SLさくら号を撮る

CTK_SL_Sakura_5001_train
天気が悪いはずだからここに来たのに(苦笑)
首都圏のこの週末は花冷えというのだろうか。冬支度をして外に出ても暑くなかったくらいだから、薄着で寒い思いをした人も多かったろう。せっかく咲いたソメイヨシノも都内ならこの週末で見頃は終わりだ。

気温が低いということは花見にはつらいだろう。だが、蒸気機関車の撮影には絶好の日和だ(寒いけど)と踏んで秩父鉄道沿線に出かけてみた。「SLさくら号」のヘッドマークがつくというのでおそらく人出は多いだろうが、天気予報では「大荒れ」とあるから、もしかしたら多少は人出も……などという邪な気持ちもあった。

そこで「天気が悪いならあえて行ってみよう」と思い、晴天では午前中の下り列車が完全逆光になってしまう桜堤のある駅に降り立った。それなのに、空はドピーカン(苦笑)。というわけで、定番アングルに入ることはできたのにあえて外してみた。定番のアングルだとナノハナを画面に入れられなかったというのもある。いいわけですが。

2014年4月6日日曜日

【西武多摩湖線撮影記事】多摩湖湖畔に春来る

Seibu_series_N101_Tamako_North_Line

■季節の移ろいについてふと思う
季節はいきなり変わるわけではない。季節の移ろいは少しずつ進んでいることは知っていても、都会や都市近郊に暮らしていると、それに気づくのは雪が融けるとか、花が咲くとか、そういう目に見える大きな変化を繰り返してなのかもしれない。

3月末になって首都圏でも気温の高い日が続きソメイヨシノが開き始め、春になったのだと改めて気づかされた。なかなかそのようすを撮ることはかなわなかったけれど、ようやく少しだけカメラを向けることができた。毎年のように同じ写真を撮っている西武多摩湖線(多摩湖北線)の「旧海軍の戦艦のような名前の駅」あたりで。

2014年4月1日火曜日

【国鉄・JR1980年代】鶴見線クモハ12052&053のこと

夕方の大川行き、武蔵白石

■昭和の終わりから平成はじめのころの鶴見線
前日のエントリーで国鉄大船工場(当時、そしてそれ以前は国鉄中原電車区)にいたクモハ12013のことを書いたので、今日は鶴見線に所属していたかの有名なクモハ12052、053のことを書こう。以前のブログでお見せした程度の絵しかないが、ご容赦いただきたい。1985(昭和60)年末から平成にかけての姿だ。