2014年4月1日火曜日

【国鉄・JR1980年代】鶴見線クモハ12のこと

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夕方の大川行き、武蔵白石
前日のエントリーで大船工場(それ以前は中原電車区)にいたクモハ12013のことを書いたので、今日は鶴見線のかの有名な052、053のことを書こう。以前のブログでお見せした程度の絵しかないが、ご容赦いただきたい。


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戦前の雰囲気を残した立派な鶴見駅ホーム
私が鶴見線に通っていたのは、1985年暮れ以降だと手元の写真アルバムにあった。冬休みに南武線に乗り継いで出かけたのが初めて行った際の行程だった。当時、都内に在住していて、いちばん時間的のかからない経路は新宿→品川→鶴見というルートだったはずだが、わざわざ西武多摩湖線で国分寺に出てから西国分寺まで行き、府中本町→尻手→浜川崎というルートを使ったのは、西武多摩湖線の351系に乗りたかったことと、南武線の101系冷房改造車や南武支線を見てみたかったからのはずだ。

冬休みだったので、武蔵白石で乗り換えたクモハ12には鉄道ファンしか乗っていなかった記憶がある。

その後、鶴見線ダイヤの大減量が行われ、平日日中と土休日にクモハ12の単行が鶴見を起点に大川と海芝浦を交互に結ぶという、驚くような「ダイヤ改正」になってからは、思い出しては通うようになった。なにしろ、戦前生まれの17メートル国電が走り回るという平成の世の中とは思えない路線になったからだ。

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海芝浦支線を走る

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昭和60年代には思えない絵柄
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鶴見〜弁天橋は昼でも乗降客はそれなりに多い
もっとも、そのころ(1986年頃)からすでにラッシュアワーと昼間の乗降量の差は大きな問題になっていたろうし、そもそもラッシュアワーでも乗客が減少していて、武蔵白石駅の急曲線に対応した小型車体の新型車両を導入するにはペイしないと判断されたのだろう。なにしろ、東京方面からは鶴見まで出て乗り換えるか、川崎→尻手→浜川崎、もしくは八丁畷→浜川崎と乗り換えないと電車では微妙にアクセスしにくい路線だ。だから通勤で毎日沿線に通っている人たちにはおそらく川崎から路線バスを使う人も多いのではないか。かくいう私も、クモハ12が大川支線以外を走るようになって鶴見線に通うには川崎から臨港バスを使うことが多かった。この距離感と微妙なアクセスの悪さは、いかんともしがたい。

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踏切で待っていてこんな電車が来たら驚くね
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鶴見小野までは住宅地のなかを走る






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