2014年4月14日月曜日

【秩父鉄道1980年代】急行「秩父路」用300系電車のこと その3

塗装変更された301編成(1987年4月)

【はじめに】秩父鉄道300系電車について。第3回目は300系電車の塗装変更のことを記す。

■1000系導入時の塗装変更
今回は私的なエピソードを交えて書くことをお許しいただきたい。長らく小豆色とはだ色のツートンカラーをまとっていた秩父鉄道の電車は1986(昭和61)年の1000系電車導入を期に、黄色に茶帯(近年の言い方でいうところの、いわゆるチョコバナナ塗装)に置き換えられた。バスやタクシー、ロープウェイの車両もこの塗装になり、分社化したままいまでもこの塗装なので、沿線に行かれるみなさんにはなじみがあるだろう。

いま思えば省力化とコストダウンを兼ねたこの新塗装は、当時の私には正直いって残念でならなかった。登場時より長らく用いられていた小豆色とはだ色のツートンカラーは1980年代に見るといささか地味ではあったことはたしかだ。ただ、色合い自体は東武鉄道の急行用車両の塗装に似ていても、塗りわけラインの位置の低さのバランス配分がたくみだった。あたかもローライズジーンズのような、重さを感じさせないバランスのよさを持っているように思えて、たいへん好感を持っていたからだ。

急行『秩父路』号に用いられていた300系電車はこの時代、黄色に紺色の帯を巻くことで、一般用車両とはことなることをアピールしていた。アルミ合金製のサハ352には黄色と紺色のラインが入れられ、これはなかなかたくみな意匠に思えた。

この塗装はデハ303のオデコが気になるなあ

サハ352の新塗装はなかなかよかった(1987年8月)

■警笛をさかんに鳴らして走る
300系電車に初めて乗ったのは、1984(昭和59)年11月23日のこと。紅葉を見るために、三峯神社へ家族で出かけたときだ。

ご存じの通り、御花畑駅の改札口は列車が入線する直前に改札を開始する。急行列車が来る場合はそのむね表示され、いまでも「『有料急行』三峰口行きです」などと、急行券が別途必要だと駅員が小さな待合室に向けて案内する。

いまも変わらないこの光景を初めて見た小学生の私は、いったいどういう電車がやってくるのか興奮しながら待っていた。その当時でも珍しくなっていた硬券の急行券を握り、改札を済ませてホームに入ると、やってきた急行列車はヘッドマークをかざした湘南型で二扉セミクロスシートの立派な電車だった。はじめて見るその姿に、すでに古い電車が好きだった少年(つまり私)は大興奮した。

座席には「秩父錦」などの八尾百貨店のものであったか、日本酒の広告の入った白いシートカバーがあり、内装はクリーム色の化粧板。こののち1985(昭和60)年10月に寄居から三峰口まで301編成に乗り、その道中で同行の友人をデハ302号車内で写した写真の背後のシートカバーには「雲龍」という名前の酒の広告が入っていた。2002(平成14)年に廃業した山星金星の日本酒なのだろうか。天井は白く塗られていて、1980年代の流行とはことなる少し前の意匠であることは子ども心にもわかった。

古い観光バスのようだ、というのが第一印象。だが、古い電車ながらもていねいに扱われている雰囲気が好ましかった。

武州中川〜武州日野

さて、御花畑を出た列車はさかんに警笛を鳴らして走った。いまよりも第4種踏切も多かったはずで、そもそもこの日も踏切事故で大遅延していて、正午ごろになって御花畑に下り列車として到着したのだ。

そして、影森から三峰口は当時はまだタブレットを用いていたので、駅での進行方向がいまとはことなっていた。運転席後ろに座っていたところ、武州日野を徐行しながら通過する際に駅員が運転士に渡したタブレットが窓の外の保護棒に「どーん!」音を立てて当たり、予想以上に大きな音と衝撃がしたので飛び上がったことをいまでもよく覚えている。

この日の出会いで秩父鉄道と300系電車がすっかり気に入った。ほとんど魅入られたような気持ちになったので、子どもだけで秩父まで来てもよいという許可が降りた中学生になってからは秩父鉄道に何度も通った。当時すでに小田急から800系もやって来ていたとはいえ、釣り掛け駆動や初期のカルダン駆動の自社発注の特色ある電車が大切に使われている印象があったからだ。

ただし残念ながら、小・中学生の私には急行列車の走りはうまく撮れなかったためしがなかった。技術もなく、おまけに当時は朝晩しか急行運用がなかったために、前泊しない限り撮影できる機会も少なかったからだ。

そして、100形電車が退役した1988(昭和63)年春に最後に、秩父鉄道に鉄道を写す目的では2008(平成20)年ごろまで通わなくなってしまったので、それ以降は300系電車を写すことがなかった。

■JR165系に置き換えられて退役
300系電車は1992(平成4)年に老朽化と冷房改造が困難であることを理由に、JRから購入した165系電車に置き換えられて廃車になった。

冷房化改造には、車体内部に風洞を設けるなどの大掛かりな車体の工事が必要になる。さらに、重量のある冷房装置を搭載し、冷房用の電源を強化するために大容量の電動発電機かインバーターが必要になり、必然的に重量が増加する。そうなると電動機の出力増強も必要になり、台枠の強化や台車の交換などのかなりの大工事が必要になったはずだ。富山地方鉄道や長野電鉄、福井鉄道ではこれら「日車ロマンスカー」冷房改造にさいして、台車の交換も行なっているところからの類推だ。

さらに、ブレーキ装置の更新なども行うには、中古車を購入するほうが費用もかからなかったのだろう。秩父鉄道はすでに小田急800系電車、国鉄101系電車、東急7000系電車などの中古車両を購入して使用していたので、中古車両を購入して改装する実績があった。

国鉄からは古くは72系電車や70系電車の乗り入れがあり、その後も115系電車や165系電車が乗り入れていた。さらには103系電車や185系電車なども臨時列車として乗り入れたことがある。これら国鉄型電車であれば秩父鉄道の運転士も運転できた。その例に従い、急行列車の削減により余剰となって廃車が進んでいた165系電車を購入したということなのだろう。

2009年11月23日秩父鉄道110周年記念イベントにて

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