2015年11月28日土曜日

【ロシアカメラ】New Russar + 20mm F5.6 を試す


■New Russar + を試用しました
あれは2年ほど前のこと。ZENIT(旧KMZ:ズヴェーレフ名称クラスノゴールスク光学機械工場)のアーカイヴサイトを見ていたら、RUSSAR MR-2がZENITAR MR-2として少ロットで再生産され、ロモグラフィーから発売されるむねが書かれていて驚き、ここに記事にした。なにしろ、原設計は1957 年のレンズなのだ。ツポレフ134 (ジェット旅客機)ジグリ(ソビエトの国民車)がそのまま復刻されるような、そんな気分がした。あるいは、「原稿は燃えないものです」(『巨匠とマルガリータ』)とか。

それでも、2014年の夏頃には日本のロモグラフィーからもNew Russar + として復刻されることが発表され、いつごろ出るのかとわくわくしたものだ。それなのに、そんなことをすっかり忘れていた先日、その復刻版のロモグラフィーバージョンであるNew Russar +を試用させてもらう機会を得た。このNew Russar +についてはリンク先であるデジカメWatch(インプレス)の2015年11月27日付当該記事『ロシアより愛を込めて復刻! ロモグラフィーNew Russar+ 20mm F5.6を試す』をご覧いただくとして、こちらのブログにはもう少しチラシの裏的なことを記したい。





■1950 年代なかばから1960 年代はソビエトに最大瞬間風速が吹いた、かも
RUSSAR MR-2 の設計は1957年に始められ、1958 年より製造がはじまったようだ。設計したミハイル・ルシノフはいかにもソビエト・ロシアのインテリゲンチヤのようで、両親ともに教師の家に生まれ、母親はピアニストであり、一族は作曲家として知られていたそうだ。このRUSSAR MR-2 の登場したこの1950 年代なかばというのは、ソビエトの黄金時代ともいえる(*1)。政治史的にはスターリンの死(1953  年)のあとの権力闘争で勝ち抜いたフルシチョフによるスターリン批判(1956 年)が始まるころにあたる。この時代は、筆者が指摘するまでもなく、スプートニクの打ち上げやガガーリンの有人飛行が象徴するような、ソビエトの科学技術や文化にとって最大瞬間風速が吹いた時代だった。私たちが親しんでいるカメラなどの光学機器の分野でも、ドイツ製品の模倣から一歩踏み出して独自のカメラ・レンズが生み出された(日本もその点は似ている。そして、ドイツがまだ本格的には戦前の水準を超える工業製品を生み出せなかったためでもある)。だが、皮肉にもそれはスターリン時代に無理やり進められた重化学工業化の成果が一気に花開いたと言ってよく、ソビエトで花開きかけた花はフルシチョフの失脚後の停滞の時代に、米ソの軍拡競争に負けてふたたびしぼんでしてしまうのだが(*2)。

■光学系は変わらないみたい
さて、New Russar + の基本的な光学系や構造は、オリジナルであるRUSSAR MR-2 と変わらないように見受けられる。ただし、コーティングは異なるようだ。また、外装は真鍮製でクロームメッキが施されている。アルミ外装のシルバーモデルよりもずっとしっかりしている。そして、周辺光量落ちを緩和するためか、前後のレンズの支持部の形状が異なっていた。さいしょは、曲率が異なるのかと思ったものの、そうではないようだ。



■35mm フルサイズでは強烈な「トンネル効果」に
光学系が変わらないということは、やっぱり……案の定というか……デジタルカメラで用いると強烈な周辺光量落ちと色ずれが起こる。さらに、周辺の流れもある。とくに、35mm フルサイズセンサーを用いたカメラではかなり強く見受けられる。これはもう、そういうものだと思うほうがいい。APS-C サイズのエプソンR-D1やリコーGXR で用いても周辺光量落ちが強く出ることはすでに既知だった。これはフィルムとイメージセンサーの特性のちがいによるものだ。スーパーアンギュロンやNikkor-O 2.1cm F4 などの、対称型の光学系を持つレンズではやむをえない。そのうちこれを緩和するAdobe PhotoshopのCamera Raw用プロファイルを誰かが作ってくれるかもしれないけど……。なお、ゆがみのなさはみごとだったことは記しておきたい。



■ピント合わせはけっこうむずかしい
さて、New Russar + を最初に撮った日のカットを見て驚いたのは、ピント合わせのむずかしさだった。超広角レンズとはもともとピント合わせがむずかしい。被写界深度の深さに惑わされるからだ。さらに、New Russar + のピントリングはとてもスムーズで、はずかしながら無限遠方向とまちがえて最短撮影距離方向にピントリングを回していたことも多い。これは筆者が……視力が衰えているから(みとめたくないものだな……)。そこで、お借りしていたソニーα7II ではピントを確認しつつ拡大して撮影した。



■フィルムで使うか、モノクロで撮るのもいい
もしお手元にライカやライカスクリューマウントのフィルムカメラがあるならば、フィルムで撮るほうが楽しめるかもしれない。なにしろ新品なのだ。傷んだオリジナルモデルよりはずっと安心して使えるだろう。そして、周辺光量落ちと色ずれはデジタルカメラで撮るのとことなり、フィルムカメラであればずっとめだたない。あるいはモノクロで撮るのも楽しい。いずれにせよ、クラシックな描写をのんびりと楽しむ、そんな用途に向いているのだろう。いまふうの、画面端まで光量が落ちずに、四隅までぴしっとピントが来るようなレンズが好きな人に向いているレンズはほかにもたくさんあるのだから。

*1ソビエトの黄金時代:ソビエトの1960 年代前後というと、筆者はいつもダネーリヤ監督の映画『モスクワを歩く』『モスクワ郊外の夕べ』という歌を思い出す(リンク先はクライバーンの弾くアレンジ)。これはおそらく、筆者の学生時代の先生たちがまさに1960 年代の世代で、さんざん聞かされたから。この映画にあふれるオプティミスティックな雰囲気はとても魅力的だ。なお、映画のエンディングに出てくる主人公(映画監督のミハルコフ!)が歌っている地下鉄駅はモスクワ大学のあるサコーリニチェスカヤ線ウニヴェルシチェート駅(1959 年1 月12 日開業。1953 年にレーニン丘のモスクワ大学本館ができたあとに開業)で、筆者もさんざん乗り降りしたために思い出深い。おそらく、2015 年のいまでも大きく変わらない。

*2フルシチョフの失脚後の停滞の時代によって鈍化してしまうのだがフルシチョフがもし失脚しなくても、ソビエト体制のままであればけっきょくは停滞の時代は来ただろう。というのは、ポーランドへの介入未遂やハンガリー事件、キューバ・ミサイル危機、あるいは中ソ対立があったわけで……フルシチョフがソビエト体制を越えることはなかったのだから。これはもう想像の世界でしかないけれど。

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