2015年7月20日月曜日

【秩父鉄道撮影記事】秩父ジオパークトレインにて考えた

ほんの数秒前に左からシカが線路を横切った(dp3 Quattro)
秩父の土地利用状況のうち、約84%が森林なのだそうだ。それは、ジオパーク秩父のWebサイトを見ていて知った。そして、パレオエクスプレス5001列車を雁行して走り、秩父で追い越す運用に入っていた秩父鉄道7500系7502編成「秩父ジオパークトレイン」に乗っていて、そのことを改めて思い知ることになった。

冒頭の写真は浦山口の浦山川橋梁を渡り始める列車から撮ったことは、秩父鉄道を訪問されるお仲間のみなさんにはすぐにおわかりだろう。このカットを撮るほんの数秒前に、橋梁の向こう側をシカが横切ったのを見て、私はとても驚いた。タイフォンを鳴らして徐行して橋梁を渡った列車の車窓から右の木立に目をやると、黒い瞳をこちらに向ける2頭のシカがいた。

2015年7月16日木曜日

【JR八高線撮影記事】鹿山峠にて、1990年代(2021年12月加筆)

東飯能から歩いて聖望学園の前あたりにて

■DD51の重連が走っていた
JR八高線は関東平野の端、山地のはじまる場所、いわば平野と山地の境のあたりを走る。そのため、金子前後で加治丘陵(入間市と青梅市、飯能市の境)を越え、さらに東飯能から高麗川にかけては高麗丘陵を越える。そして、そこから先は寄居にかけて毛呂山や比企丘陵を抜けるために、金子から東飯能、高麗川から寄居にいたるあいだに最大20‰程度の勾配が何箇所もある。八高線でもっとも標高が高い地点は、入間市の金子付近だ。

2015年7月15日水曜日

【JR八高線撮影記事】入間川橋梁、1990年代

相模線電化後に八高線にやって来た相模線色のキハ30

■入間川橋梁に行くと思い出す
前日の記事に書いた約25年前に撮った写真をお目にかけたい。旧ブログでもアップしたことがあるので、いずれも再掲載だ。その記事を加筆して再掲載しようかと思ったものの、新たに書くことにする。

撮影はいずれも1992(平成4)年9月のはずだ。フィルムはPKR(コダクローム64プロ)。大学生になったばかりの夏休みなのにアルバイトもせず、したがって遠出する余裕もなくて、高校生のころの同級生と近場をうろついていた記憶がある。中学生から大学生にかけてまだ非電化だった八高線は私には、そう遠くないのに遠出した気持ちになることができる路線だったからだ。なにしろ、八高線は当時首都圏で最後の非電化路線だった。

2015年7月14日火曜日

【JR八高線撮影記事】入間川橋梁にて


■四半世紀ぶりの入間川橋梁訪問
ふと思い出してひさしぶりに八高線の入間川橋梁へ出かけた。私にとってはどういうわけか、ときおり乗りたくなり、思い出しては訪ねたくなるのが八高線だ。いまとなっては、わりとよく乗るほうかもしれない。

2015年7月13日月曜日

【チラシの裏】梅雨晴れを待つ


この週末はようやく晴れ。もう待ちくたびれたよ! という気持ちだ。けれど、あいまのどんよりした日も夕焼けは美しかったっけ。何回かカメラを持っていて遭遇した。

2015年7月9日木曜日

【チラシの裏】なにかを思い出すような


連日の降り止まない雨にいささか食傷気味だ。梅雨だし、植物のためにも夏に渇水しないためにも、適切な降雨は必要だし、気温が高くないのはありがたいのだが。そのためか、連日なにかともの思いにふけることが多い。仕事をしながら。

先日は、秩父に行った際にふと思いついて急行『秩父路』に揺られた。北武区間から御花畑まで乗るとそれなりに乗りでがある。そして、旧西武新101系由来のモーター音の唸りを聞きながらなにを撮るでもなくカメラをときおり車窓に向けていた。

2015年7月2日木曜日

【チラシの裏】京王「帝都」電鉄に乗りたい

懐かしきかな京王競馬場線6000系リバイバルカラー(2010年8月)

■少年老い易く学成り難し
今年ももう7月を迎えた。ああ、時の流れの速さにじつに、じつに驚くばかりだ。

少年易老學難成
一寸光陰不可輕

という詩の作者はじつはよくわかっておらず、いろいろな意味があるらしいという説もあるとはいえ、従来の定説とされてきた解釈にここであえて従えば、もう少年どころかおじさんになってひさしい筆者はいっこうにお利口にもならず、満足のいく学も身につかないまま。仕事の成果もアレなまま、どんどんと時が流れて行く。これでは『永遠のゼロ』ではなく『永遠にゼロ』じゃないか、私じしんが。

2015年6月28日日曜日

【JRE115系PETIT撮影記事】高崎の115系1000番台湘南色に萌える


■高崎で見る115系電車6連にぐっとくる
先日来から所用でときおり前橋から桐生にかけて、つまり上毛電鉄沿線を訪問する機会がある。つい先日も午前9時頃に高崎で両毛線の電車(正確には、高崎線から直通する前橋行き走ルンです)を待っていると、下り方面から115系がやってきた。ところが、よく見ると……編成が長い。3連×2の6連だった。そうか、ラッシュ時は6連で走るのだな。

2015年6月24日水曜日

【チラシの裏】「旅情」を写真にするにはどうすればいいのか


「旅情」を絵にしたいと思い続けている。ではその「『旅情』とはどういうものか」については、先般のエントリーでも書いた。その定義をここではそのまま引用しよう。

世界の美しさをかいま見てしまい、だれかにそのことを伝えたくてたまらない気持ち。

この定義はそう誤っているとは思わないが、いささか気取り過ぎではある。スカしていると言われたらその通り。そこで、もう少し簡単にしてみれば、旅先で感じた「ああ、いいなあ」という気持ち、というところか。某SNSの「いいね!(Like!)」ほどに軽くはない。古典の教科書で習う「ぞ、なむ、や、か」のように「詠嘆」だ。昔の教科書にはこれらはこう書いてありませんでしたか。「よいことだなあ。よいことであるぞ」と。


2015年6月16日火曜日

【チラシの裏】路面電車の行き交う町にて


■路面電車が通り過ぎるのを見ながら
曲がり角に連柱のある古いビルが建っている。その曲がり角をときどき、中央駅行きの路面電車がやってくる。信号待ちで一時停止したあと、ゆっくり起動する際にチンチンと鐘を鳴らしてパンタグラフからばちばちとアークが飛び、大きな音があたりに響く。

そのようすをしばらく見ていた。くだんの古いビルの二階は喫茶店になっており、持ち込んだパソコンで作業をしていても、路面電車が来るたびに手がつい止まってしまうのだ。

2015年6月11日木曜日

【JRE185系PETIT撮影記事】「スワローあかぎ」にて


■185系電車に乗りたくなった
高崎線の特急列車は昨年(2014年)春のダイヤ改正で、使用車両が基本的には651系に置き換わったことは、ここにお越しになる方で鉄道趣味仲間の方にはご存知のとおり。わずかに、新宿発着の『スワローあかぎ』号には185系が充当され続けている。少し遅めの時間に都内に出る私は、しばしば朝の新宿行き2号や、夜の前橋行き13号を目にし、そのつど「なつかしい国鉄型車両のブロワ音」に耳をそばだて、乗ってみたいなあと思っていた。

毎日、高崎線で定期運用されていたころは、「しょせんは『新特急』」「なんとなく微妙」などと思っていたくせに。だが、斜めストライプ塗装が復刻しつつあることや、高崎線に限らず首都圏から国鉄型車両がみるみると数を減らしているのであれば、身勝手なもので気にはなる。