■椿井大塚山古墳に行った
筆者が夏に滞在していた大阪・松原市の近隣の堺市、あるいは羽曳野市と藤井寺市はいまや百舌鳥・古市古墳群を観光資源として活用しようとしているようだ。太古の昔の有力者が埋葬されていた跡と思えば、たしかにちょっとしたロマンもある。
とはいえ、古墳の近くに住んでいるみなさんにとっては、日常生活のなかでは古墳というのは「近所の森」「うらの丘」くらいのものだろうと思う。とくに、大昔からの伝承が失われたようなところなどは、なおさらそんな存在だろうか。もっとも、埋葬された本人にとっては本意ではないかもしれないけれど、そうやって登ってお弁当を食べることができるような存在のほうが、近隣住民のみなさんにとっては楽しそうだ。天皇陵として宮内庁が管理しているような古墳だと、堀の内側に入ることもできないし。もしかしたら古墳がどういう取り扱いになるかどうかは、埋葬者の地位だけによるのではなく、古墳や文化財保護に強い関心が持たれている時期に発見されたのかどうか、によるのかもしれない。
さて、8月上旬のある日、筆者は京都府木津川市にある椿井大塚山(つばいおおつかやま)古墳を訪ねた。これまた、古文の授業で習う「詠嘆の系助詞:ぞ、なむ、や、か、こそ」の説明文のように、じつに蒸し暑い日であったことだなあ、あったことよ、という一日だった。